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大嫌いだけど、会いに行きます。ブラックな私

生涯で出会った人の中で、最も苦手で大嫌いな人

血の繋がらない父親。

私の青春時代の大半を、踏みにじった最低の人。

ずっと許せなかったな、、
家を飛び出す形で結婚して何年も家に帰らず、連絡もせず、音信不通だったけど

私が居ない間は、母に全ての矛先が向けられていて、八つ当たり的な暴言は日常茶飯事。

まあ、夫婦で我慢しあっているのだから、私がどうこう口出しすることもないけれど。


567が流行る前は、何度か家族揃って帰省していたけれど、今年は、私1人で年末年始を使って帰省することに。

5日間。

結婚して、初めてだな。

同居していた義父母が健在の時には、考えても居なかったし、出来なかったこと。

義母は肝硬変で、ずっと体調悪くて病院通いだったし、義父は、義母が他界してすぐに、肺の病気で目が離せなかった。

まだ子供たちも小さかったしね。


帰省することになったのは
両親の介護

父親は、うつ病に加えて、透析も受けている。
年齢も83歳。
散歩もしなくなったから、ほぼ寝たきり状態。
それに加えて、認知症の悪化。

何度か母から電話で聞かされていたけれど、関東から関西。
すぐに帰ることも出来ず、今はデイサービスやヘルパーさんに入って貰っている状態。

老老介護。

母が父の介護(抱える)をしている時に、腰を痛めてしまったと。

診断では圧迫骨折。

近くには兄夫婦が居るけれど、1日居て介護をしてくれる訳でもなく。


567以降、帰省出来てなかったこともあり

長期で家を空けられるのは、お正月くらいかな、、

って思っていたら、母からも「ヘルパーさんから、娘さん帰省しないの?」と言われたのよ、って。

夫に相談したら、快く「しばらく帰ってなかったから、親孝行しておいで。こっちのことは、心配しなくていいよ」って言ってくれた。

ありがたいな。。

父親だったら「俺のことはどうするんだ!」って言いかねないもん。

家族が多い分、誰かしら家事をやってくれるだろうと、今なら安心して帰られる。

父親のために帰る、と思うとモヤモヤするけど、母を助けるため、と思って帰省します。

この先あと何回、親と会えるのか、、

無理してでも、時間を作って会っておかないと。

親孝行か、、

家を飛び出したのは、親不孝だったのかも知れないけど、私は間違った選択じゃ無かったと思っている。

私は私の幸せのための選択をしたまで。

親のために、自分を犠牲にしたくなかったから。

私が幸せで居ることが、私も親も望んでいることだと、信じたい。

私は、子供たちが幸せの選択をすることが、何よりも大事だと思っているから。

子供たちには、ずっと幸せの選択をし続けて欲しい。

子供たちの人生だもの。


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