オズワルドの漫才「しまもと」に感じた圧倒的才能
オズワルドの漫才「しまもと」があまりに衝撃だった。
面白いとか、センスがあるとか、そんな言葉じゃ言い表せない。
私が感じた凄さを誰かに共有したくてこのnoteを書いた。
オズワルドって誰
前提として、オズワルドが何者かを紹介する必要がある。
知ってる人は飛ばして。
吉本の実力派漫才師
オズワルドは吉本興業に所属するコンビの芸人である。
ボケの畠中悠とツッコミの伊藤俊介からなる漫才師で、
M-1グランプリに4年連続で決勝進出している実力派である。
オズワルドのスタイル
オズワルドの特徴は、畠中の奇妙ながら一本筋の通ったボケと、畠中に戸惑いながら絶妙な間で繰り出す伊藤のツッコミである。
畠中のボケに感じる奇妙さを、伊藤が客の想像を超えるワードセンスでツッコムのがたまらない。
このnoteで紹介する「しまもと」もそんな2人の魅力がたっぷり発揮されている。
「しまもと」って何
まずは漫才を見て
「しまもと」はオズワルドの漫才の1つで、私が衝撃を受けた作品である。
まずは何の先入観も持たずに「しまもと」を最初から最後まで見てほしい。
見たら次に進んでほしい。
「しまもと」の動画は2本ある。
2018年に単独ライブで初披露となったバージョンと、2022年のM-1用に改造されたバージョン。
今回紹介したい、見てほしいのは2018年バージョンである。
後述する私が語りたい要素は、2018年バージョンにしかないからである。
どこを語りたいのか
「しまもと」は設定から面白い。
自分の大切さをわからせるために、自分以外になる。
常人には思いつかない設定で見るものを引き付ける。
途中のやり取りも面白い。
「しまもとは、やがて何かしらの事件を起こしますよ」
「……それ捕まるの畠中だよ」
など挙げたらきりがない。
ただ、面白い芸人は彼ら以外にも大勢いる。
私が圧倒的才能を感じたのは、最後のしまもとの3つのセリフである。
3つです。
3つなのです。
しまもとの最後の3つのセリフ
しまもとは畠中の大切さをわからせるために生まれ、畠中と入れ替わった。
その目的通り、伊藤は最後には畠中の大切さに気付き、畠中に戻ってほしいとしまもとに頼んだ。
そこにまさかの返事が来る。
「しまもとはこのままがいいです。」
「しまもとは、しまもとはこのまま時が止まってしまえばいいのにと思っています。」
「伊藤さん、しまもととこのままどこか遠くへ行きませんか。」
しまもとが自分の役割を放棄した。
伊藤が困惑したまま漫才が終わる。
客の想像を超える大オチと笑いで締める、素晴らしい漫才である。
だが、私が語りたいのはこのオチの、笑いとしての良さではない。
私が語りたいのは、この3つのセリフの卓越した文学性と、そこから導かれるオズワルドの圧倒的に非凡な才能である。
これが本題で、やっと次の章から語っていく。
3つのセリフの卓越した文学性
断りを入れておくと、私は文学性という言葉の正確な定義は知らない。
これから語る内容は文学性という言葉の意味とは違うかもしれない。
ただ私は、この3つのセリフを、国語の教科書に載ってもおかしくない程に優れた表現だと感じたのである。
3つのセリフの文学性を端的に言うと以下である。
しまもとの複雑な感情と、感情の変化を、間接的に受け手が読み取れるように描いていること
なおかつ、セリフを至極自然体な言い回しのみで構成していること
順番に説明していく。
1.複雑な感情とその変化を間接的に描く
しまもとが最後になぜ自分の役割を放棄したのか、何を考えていたのか、作中では明言されていない。
しかし、最後の3つのセリフは、しまもとがこの時何を思っていたのかを受け手が鮮明に読み解くことができるように構成されている。
「しまもとはこのままがいいです。」
1つ目のセリフではまだ、なぜ役割を放棄しようとしているのかわからない。
「しまもとは、しまもとはこのまま時が止まってしまえばいいのにと思っています。」
2つ目のセリフでもまだわからない。
「伊藤さん、しまもととこのままどこか遠くへ行きませんか。」
3つ目のセリフでようやくわかる。
しまもとは伊藤と一緒にいたいから畠中に戻りたくないのだ。
ただ自我を保ち続けたい、人格の主導権を持っていたいだけならば、伊藤と一緒に、というニュアンスの言葉はでてこないはずである。
さすがになぜ伊藤と一緒にいたいのかまでは、はっきりとはわからない。
親愛か、あるいは恋慕に近い感情からかもしれない。
ただ状況を考えれば、直前の伊藤が畠中を大切に思う言動に影響されて芽生えた感情であることが伺える。
しかし、もし伊藤と一緒にいたい気持ちが100%ならば、それをすぐに直接的に言うはずである。
そうでないということは、しまもとの中には他の感情もあるのだ。
状況から考えて当然にあると考えられる感情は、畠中への使命感である。
しまもとは畠中の大切さをわからせるために生まれたのだから、目的を達して畠中に戻るのが使命である。
伊藤と一緒にいつづけることは、その使命とは両立できない。
1つ目のセリフ
「しまもとはこのままがいいです。」と、
2つ目のセリフ
「しまもとは、しまもとはこのまま時が止まってしまえばいいのにと思っています。」は、
使命を優先して自分の気持ちを押し殺して畠中に戻るか、使命に背いてしまもとのまま伊藤と一緒にいつづけるか、相反する感情のどちらとも決めかねている葛藤のセリフであることが読み解ける。
しまもとの感情はさらにもう1つある。
それは3つ目のセリフから読み解ける。
3つ目のセリフ
「伊藤さん、しまもととこのままどこか遠くへ行きませんか。」は、
上述したように、しまもとの使命を完全に捨てたセリフである。
3つ目のセリフを発した時には、しまもとの中で使命感はかなり小さくなっているか、ほぼなくなっていると伺える。
それなのに、3つ目のセリフでもなお、伊藤と一緒にいたいということを直接的には言っていないのである。
自分とこのままどこか遠くへ行きませんか、という提案は、あなたと一緒にいたいということを間接的には表してはいるものの、直接的に言っているわけではない。
伊藤と一緒にいたいという気持ちは、しまもとの使命感と葛藤し、最終的には上回る程なのだから、非常に強い感情のはずである。
それなのに、使命感が小さくなってなお、伊藤と一緒にいたいという強い気持ちを直接的には表現できず、間接的な表現に留まっている。
つまり、伊藤と一緒にいたいという強い気持ちを直接的に伊藤に伝えることを憚らせる別の感情が、しまもとの中にあることがセリフから読み取れる。
その感情は何なのか、状況を考えれば見えてくる。
しまもとを憚らせる別の感情とは、諦念に近い憂慮であると思われる。
しまもとは伊藤と一緒にいたい。
しかし、しまもとの目の前で伊藤は畠中の大切さに気付き、畠中に戻ってほしいと願っているのである。
しまもとが伊藤と一緒にいたいと直接的に伊藤に伝えても、伊藤に拒絶されてしまうであろう。
しまもとはそれを自覚しているのである。
このような憂慮があるからこそ、一緒にいたいと直接的には言えないのである。
一方で、この憂慮がしまもとの心中を支配していたのならば、最後の3つのセリフは出てこずに畠中に戻っているはずである。
半ば諦めているものの完全には諦めきれない、諦念に近い憂慮であることが読み取れる。
まとめると、最後の3つのセリフの時に、しまもとは以下の3つの感情が葛藤していたのである。
しまもとのまま伊藤と一緒にいつづけたいという感情
畠中に戻るという使命感
1の気持ちは断られるであろうという諦念に近い憂慮
そして、これらを理解したうえでしまもとのセリフを読むと、この3つの感情のバランスがセリフを1つ発するごとに変化していっていることがわかる。
「しまもとはこのままがいいです。」
1つ目のセリフでは、伊藤と一緒にいたいという気持ちと、使命感と憂慮という畠中に戻るべきであるという気持ちが、どれにも傾かず互角に近いバランスであることが伺える。
か細い声の「このままがいい」は、黙って畠中に戻るか悩む中、伊藤と一緒にいたいという気持ちをぎりぎりで発したのだと思われる。
「しまもとは、しまもとはこのまま時が止まってしまえばいいのにと思っています。」
2つ目のセリフでも、3つの感情がどれも拮抗しているように伺える。
ただし、口調が強くなっていることかから、伊藤と一緒にいたいという気持ちが1つ目のセリフの時よりも強まっているように聞こえる。
「このまま時が止まってしまえば」は、しまもととして伊藤と一緒にいる今を続けたいという気持ちだけでなく、畠中に戻るか突き進むかどちらにも腹を決めることができないという気持ちが表れたセリフとも考えられる。
「伊藤さん、しまもととこのままどこか遠くへ行きませんか。」
3つ目のセリフでは、畠中への使命感が小さくなり、伊藤と一緒にいたいという気持ちが優勢になっていることがわかる。
ただし、畠中には戻らないと腹をくくりつつも、諦念に近い憂慮は依然として残っている。
直接的に伊藤と一緒にいたいとは断られるのを恐れて言えず、「どこか遠くへ行きませんか」という間接的な誘いになっている。
ここまでに記したしまもとの心模様は作中で明確に表されてているわけではない。
しかし、決して私の主観にまみれた推測ではなく、セリフの1つ1つからある程度客観的に読解できる内容であることがおわかりいただけると思う。
しまもとの最後の3つのセリフは、3つの感情が渦巻く心中と、又そのバランスが変化していく様を、間接的に受け手が読み取れるように描かれたセリフなのである。
2.自然体な言い回し
しまもとの最後の3つのセリフがもう1つ優れているのが、至極自然体な単語や言い回しのみで構成されていることである。
漫画でも小説でもドラマでも、現実の人間ではおよそ出てこないであろう言い回しのセリフがしばしば見られる。
リアリティのないセリフがあることは必ずしも問題ではない。
現実では用いられない表現を楽しむのも創作の魅力であり、またそうした表現は作者の個性の出しどころでもある。
ただ、非現実的な言い回しは、受け手が不自然な印象を感じてしまうと、キャラクターが作られた存在であることを受け手に意識させてしまうことがある。
つまり、受け手の没入感を損ねてしまうことがある。
言わされてる感というとわかりやすいだろうか。
前の段落で説明したような複雑な感情を描けていたとしても、セリフが不自然であると、受け手が感じるものは減少してしまう。
しかし、平易な単語や言い回しでは、登場人物それぞれの唯一無二の感情を鮮明に描くのは難しい。
要するに、(前段落で説明したような)登場人物の感情を描くことに加え、それをどれだけ自然体な言い回しで構成できているかが、そのセリフが優れているかを示す指標の1つなのである。
この観点でしまもとの最後の3つのセリフを見ると、非常にありふれた表現だけで構成されていることがわかる。
「しまもとはこのままがいいです。」
「しまもとは、しまもとはこのまま時が止まってしまえばいいのにと思っています。」
「伊藤さん、しまもととこのままどこか遠くへ行きませんか。」
独特な単語や言い回しは出てきていない。
唯一、「時が止まってしまえばいいのに」は、比喩的な表現で、日常ではあまり使わない言い回しであるが、数ある比喩の中では最もと言っていいくらいありふれた表現である。
試しに歌詞を検索できるサイトで「時が止まれば」で検索してみると212件ヒットした。
感情が高ぶった人物から発せらるセリフとしては十分に自然といえるだろう。
3つのセリフの中で「このまま」という単語が共通しているのも非常にリアリティがある。
人間は、特に感情的になっている時には、語彙が乏しくなってひとつの単語やフレーズを無意識に繰り返し使ってしまうものである。
「このまま」でいることに強い思い入れがあるしまもとが、3つのセリフすべてで「このまま」を用いることは、しまもとの感情が乗ったうえで極めて自然体なセリフになっていると言える。
3.まとめ
整理すると、以下の2つの要素を含んだセリフは、優れたセリフであると言える。
登場人物の複雑な感情と、感情の変化を、間接的に受け手が読み取れるように描いていること
なおかつ、セリフを至極自然体な言い回しのみで構成していること
そして、しまもとの最後の3つのセリフは、2つの要素を極めて高い水準で満たした、卓越した文学性があるセリフなのである。
芸術といっていいレベルである。
国語の教科書に載っていいレベルである。
圧倒的に非凡な才能
私が語りたいことの半分は、前章で述べた、しまもとのセリフの文学性である。
もう半分は、そこから導かれるオズワルドの圧倒的に非凡な才能である。
ここでいう才能は多岐にわたり、順番に説明していく。
1.文芸家としての才能
1つ目は文芸家としての才能である。
これは前の章で説明したしまもとの最後の3つのセリフの文学性から、直接的にわかる才能である。
複雑な感情を描くことから、並みの人間には難しい。
さらに、短時間での感情のバランスの変化までをも受け手に鮮明に伝わるように描くというのは、さらに難易度が上がる。
さらに、それを至極自然体な言い回しのみで構成して実現するのは、クリエイターの中でも限られた人間にしかできない芸当と思う。
しまもとの最後の3つのセリフを描けるオズワルドの圧倒的な文芸家としての才能をおわかりただけると思う。
2.余力で生み出す才能
変なタイトルと思われるかもしれないが、これ以外に形容する言葉が見つからない。
しまもとの最後の3つのセリフを生み出したのが漫才中であるという点からもオズワルドの凄まじい才能を感じるのである。
なお、この段落は私の推測の部分が強いことは留意されたい。
漫才は、言うまでもなく観客を笑わせるために創作される。
芸人はいかに笑いを生むかを意識してセリフや展開を創っていく。
「しまもとはこのままがいいです。」
しまもとの最後の3つのセリフの1つ目は、それまでの展開を裏切って大オチの笑いを生み出している。
1つ目のセリフは、私の推測ではあるが、しまもとの詳細な心情を思い描いたのではなく、笑いを生むために思いついて生まれたセリフと思われる。
そして、そこから派生して2つ目と3つ目のセリフを生み出したのである。
笑いを目的とする以上、初めからしまもとの切ない心模様を描こうとしたわけではないのだ。
つまり、笑いを生むという意識が頭の大半を占めている状態の中、しまもとの複雑で切ない感情を思い描き、さらに卓越した文学性のあるセリフを生み出したのである。
前段落でしまもとの最後の3つのセリフは、限られたクリエイターでしか作れないレベルであると述べたが、オズワルドは、しかもそれを創ることが主たる目的でない中で生み出したのである。
3.客観視する才能
私が語りたい最後の才能は、自分の作品を客観視する才能である。
誰しも自分で生み出したものにはバイアスがかかってしまい、それを客観視することは難しい。
それを生み出す難易度が高かったり、こだわりのある内容であったりしたらなおさらである。
こだわりのある内容や作りこんだ内容は受け手に伝えたくなるのがクリエイターの性である。
受け手からしたら微妙な要素でも、作り手のこだわりによって残っているということは、作品のジャンルにかかわらず頻繁に見受けられる。
最近でいえば、NARUTOを編集者と二人三脚で描いていた作者が編集の意見を聞かずに連載したサムライ8という漫画が、わかりづらい設定だらけで読者の支持を受けられずに大コケした。
つまり、クリエイターとして作品を生み出す感性と、作品を客観視してコントロールする能力は、全く別の才能なのである。
編集者やプロデューサーといった職業が必要な理由でもある。
再三述べたように、しまもとの最後の3つのセリフは卓越している。
にもかかわらず、オズワルドはその卓越したセリフの存在感を、受け手に伝わらない程に薄めている。
しまもとの最後の3つのセリフは、1つ目のセリフが大きな笑いを生む。
2つ目と3つ目のセリフは、文学的に優れてはいても、その言葉一つ一つを受け手に丁寧に伝えても笑いにはあまり繋がらない。
1つ目のセリフだけを粒立たせ、2つ目と3つ目は存在感を薄めて聞き流せるくらいにしておくオズワルドの選択は正しいと言える。
実際、しまもとの最後の3つのセリフやしまもとの心模様に言及している人は、私がYouTubeのコメントやTwitterで確認した限りではほとんどいない。
(なお冒頭のYouTubeの動画は2022年12月がアップロード日だが、もともとは2020年4月にアップロードされ、2022年12月になって音量等を改善して上げなおされたものである。既に削除された2020年4月の動画のコメント欄も当時私は確認していたが、たしか1件だけ「最後のしまもとのことを思うと寂しい」という趣旨のコメントがあったと記憶している。)
限られたクリエイターでしか作れないレベルのセリフと心模様を描けておきながら、それらを受け手に伝えないという極めて冷静な選択ができたという事実は、オズワルドが非常に高い自己を客観視する才能さえも有していることを示している。
なお、冒頭のYouTubeの「しまもと」の動画は、単独ライブで初披露された時のものである。
前述した選択はやはり客前で試す前の自分たちの選択によるものなのである。
又、存在感を薄めるよりもセリフごと消したほうがいいのではと思う方もいるかもしれないが、それは違う。
前章で述べたように、最後の3つのセリフはしまもとにとって至極自然体なセリフなのである。
「しまもとはこのままがいいです。」
を大オチとして、困惑する伊藤に続けて発するセリフとしては
「しまもとは、しまもとはこのまま時が止まってしまえばいいのにと思っています。」
「伊藤さん、しまもととこのままどこか遠くへ行きませんか。」
この2つ目と3つ目のセリフが最も自然なのである。
つまり、しまもとの最後の3つのセリフは受け手に伝えるためではなく、最も自然なセリフだから残されているのである。
消しはしないという選択も極めて冷静で素晴らしい。
4.まとめ
以上述べたように、しまもとの最後の3つのセリフとその文学性から、オズワルドには圧倒的に非凡な才能があることがわかる。
卓越した文学表現を生み出す、文芸家としての才能
1を主たる目的でないところで生み出せる、余力で生み出す才能
1で生み出したものを伝えないという選択ができる、客観視する才能
オズワルドは漫才師としてもM-1決勝常連になるほどの実力を持っておきながら、漫才や笑いに収まらない才能に満ち溢れていることがわかる。
畏怖すら感じる。
最後に
私が「しまもと」をYouTubeで見てこのnoteに記した内容に思い至ったのが、たしか2020年の11月ごろである。
オズワルドがM-1の2回目の決勝に行く少し前である。
当時はあまりテレビに露出していなかったが、これだけの才能に溢れている彼らは今後漫才や芸人という枠組みにとらわれず多岐にわたって活躍するであろう、と勝手に思って応援していた。
実際、2022年12月現在、彼らは作詞作曲、役者、脚本など芸人以外での活躍が目覚ましい。
勿論、M-1を準優勝して、バラエティにも多数出演して、お笑いの調子もいいようだ。
このnoteを読んだ人もオズワルドの活躍を応援してくれると嬉しい。
最後に、拙いnoteだが読んでくださった方に感謝申し上げたい。
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