7パー、セント(35億風に)
メラビアンの法則でいえば、言語で伝わるのは7パーセントだけ。
この数値を知らなくたって、言語で全て伝わらないのはみんななんとなく分かってることだと思う。
だって今ここにある自分の感覚は100パーセントで。
もっともっと深くて広くてすべてを受け入れてる。
文字にするときは、そこから抽出して、ちょっとでもあの時の感覚を取り戻そうとして、誰かに分かってほしくて、ぴったりの表現を探してさがして書く。
どれだけ時間をかけても、感覚ほどには研ぎ澄まされないもの。
でもそれがおもしろいんだと思う。
こういう感情を、あの人はどう現すのか。こういう感触を、私はどう描くのか。
私にとってはその7パーセントでどう表現されてるかが好みで。
「この考えいいな」と思った人の話を直接聞きにいっても、不思議と文章より入ってこないし、理想が崩れる場合だってあるくらい。
どういう声でどういう動きで、どういうテンションで語っているのかを知って、リアルさは増すけれども。それはただの補完な気さえしてしまう。
すっごく豊かな私たちの感覚を、どうやって文章にしていくかは、
その人のセンスだと思っていて、私はそのセンスが良い人が好きで憧れる。
先日エッセイを買ったのだけれど、パラパラ見て飽きてしまった。
それはその作者が言葉遊びをしてたから。物の名前から連想されるものを次々と書き連ねて、物に対して自分が思うこと、感じたことを表現しているんじゃなくて、後で頭で考えてつなげたんだなという感じがした。
私はそういうのは好みでないんだなと気が付く。
私が好きだと感じるのは、その人の感覚の片鱗が写し取られてて、自分にもその感覚があるかと探ったり、疑似体験をできるようなもの。かつて感じた感触を思い出せるもの。
7パーセントしかないのに、感覚100パーセントを表現しようと限界まで魂を込められた文章では、ひょっとしたら、誰かにいつか、8パーセントくらいには伝わるのときもあるのかもしれない。
そしたらその読んだ人の感覚は、底上げした1パーセントが足されて感覚101パーセントになったりするのかも。なんて。
とにかく私はその7パーセントでどう表現するかが好き。
やるときには、どうせ7パーセントだけれど、その7パーセントでどう100パーセントのものに近づけるか、どこまで感覚にせまれるか、を求めるのが楽しいと思う。
地球上で言葉で伝わるのは何パーセントだと思ってるの?
7パー、セント…。
みたいなね。ボブ髪じゃなくて残念。