人生の無駄づかい

「私が事務職してないのって、社会の損失じゃない?」

って冗談で言ったら夫は苦笑いした。でも私は半分本気だった。

なんとなく入った会社で、事務職は自分にかなり向いていると思った。多少大変でも、事務の仕事ならどこへ行っても出来るという自信もできた。

でも、結婚を機に正社員から契約社員に転職。そして今度は仕事を辞めた。もう無職になって半年以上経過したのに、仕事をしていないことへの罪悪感をずっと抱えている。

パートでもはじめようと思って職務経歴書を作ってみると、ますますその思いは強くなる。理由があって仕事を辞めて、今度はパートで働こうと決めたのにも関わらず、「これでいいのかな」「これまでの経験が無駄になっている」「大学の費用を回収できていない」。そう、もう一人の私が責めてくる。

思えば、これまではずっとレールの上を走ることに必死だった。高校は進学校へ。現役で大学へ。一般企業に正社員で就職。
レールから外れた場所で生きていくチカラが自分にないと分かっていたからこそ、ただ辿ることに必死だった。

でもそんな、人から見られたとき用に、私が勝手に決めた「正しいレール」を辿ることこそ人生の無駄だって、色んな人の働き方や生き方を見せてもらって、やっと少しそう思えてきた。


偶然手にとった雑誌に、同じように仕事を辞めたりセーブした女性の体験談が載っていた。「迷いもあったけど、思い切った。自分にとって大切な優先順位を考えて決断した」そういうことが書かれていて、その人は、今とても幸せそうだった。

それを読んで、やっと自分の今の決断を、もう一人の私が認められた。

それまで心のどこかで、私が勝手に決めた「正しいレール」に載っていない人を、「なんで?」って疑問に思っていたんだと思う。「もっとやれるでしょう?」「楽したいだけなのでは?」って。だから自分にも許せなかった。そしてそれはとても傲慢な気持ちだった。

誰だって、責任をもって自分で決めた自分の道を歩いている。その決断には、雑誌に載っていた人のように葛藤もあったかもしれない。

それでも、その道で自分は行くんだと、大切にするものを決めて歩いている。

これまでの経験を活かして事務職をしない、働かない、ことが無駄なのじゃなかった。自分の決めたことをやりたいようにやらないことが、私の人生の無駄づかいだった。

誰かにどう見られるか、これまでの努力を回収できるか、作り上げた「正しい」を守れるか、そういうことを気にして人生を歩くのはもう辞めようと思う。

自分の人生を無駄づかいしないように、自分が今どうしたいのかだけを見つめて、歩く道を決めていきたいなと思っている。




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koala
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