人はそこを青春席と呼ぶ。
教室、窓際の1番後ろ。
くじ引きで思いがけずのことだった。
「青春席だね」
友達の一言。
ああそうか、ここは青春席なのか、と思った。
窓から見える景色は良くて、
田舎らしい青空と木々が見える。
流れる雲が何の形に見えるか、なんてことを考えたときもあったような。
でも私は、そんな空想に浸っているよりも、
真面目に授業を受けていたと思う。
いわゆる青春とは、
ドラマや映画、アニメ、少女漫画で見るような、
または、Instagramとかtiktokとかにありそうな(偏見です)。
そういうことを言うのかな。
どこまでも私は私であったし、
私であることに必死だった。
いつのまにか、
憧れていたのはキラキラした充実ではなかった。
人によってキラキラの基準は違うと思います。
だからこそ、十人十色の
「理想」とすることがあって、
「現実」が事実としてあって。
「辛いことにもすべてに意味があるから、それも含めて青春だ」なんて、私は目の前のひとりに言えるのだろうか。
どうしても希望を持てないとき、
理想に蓋をすることでいきていられるとき、
そんなときがあったのかもしれない。
私なりに、数ヶ月過ごしたその席について感じたこと、
青春席から得たものは、
次から青春席にこだわらなくなること。
特に学生にとっての席替えは重要事項だけれど、
人によって優先順位は違うだろう。
席が1番の人もいれば、席がよくても違うことが1番の人もいるだろう。
どこの席だとしても、
急に理想が降ってくるわけではない。
こんなことを言うと、夢がないし、
思いっきりこの席のメリットを使う人もいるだろうに。もったいないことしたかな。
思うようにいかないとき、
何の意味があるのかよくわからないこと、
掛けてほしい言葉がもらえないとき、
悲しくて寂しくてがっかりすること、
うまくできないことが積み重なるとき、
きっと忘れてしまうこともあるのだろうけど、
すべて過ごした教室と、座った席とともに、
記憶に残るだろうな。
別に、良いことが起こったわけでもないけれど、
起こったとしても、席のおかげだと私は思わなかっただろうけど、
あの席から見えた景色は忘れない。
風の通りがよかった。
校舎にかかる時計、隣の棟に留まる鳥、
薄ら遠くに都会が見えるような見えないような。
飛行機雲が見えた時は、特別嬉しかったな。
ああ、これは私らしい青春席だったのだ。