不幸な人は無くしたものの数を数え、幸せな人は今ある幸せを数える
こんにちは。こあらっこです。
今日は今週読んでいた本から、ぐっと来た言葉について書いていきたいと思います。
皆さん、「羨ましい」と「妬ましい」の違いってわかりますか?
「妬ましい」って、なんかおどろおどろしいイメージありますよね?
でも、「羨ましい」も若干嫉妬が入った負のイメージがあるのかな?と思っていました。
でも、ネットで検索してみると、
「羨ましい」:自分より恵まれていたり、優れたりしている人をみて自分もそうありたいと思うこと。
「妬ましい」:自分より恵まれていたり、優れたしている人を羨み憎むこと。
と出てきます。
ん?
「羨ましい」とは、嫉妬も入っている負のイメージがあったのですが、厳密には、負の感情はなく、ただ純粋に自分もそうありたいと思う気持ちだったのかと初めて認識できました。
では、他人の幸せや成功をみて「羨ましい」と思う人と、「妬ましい」と思う人の違いはなんでしょうか?
それは、今現在に幸せを感じているか否かだというのです。
今現在、仕事や家庭、友達、人間関係、、、。
そこになんらかの幸せを感じている人は、「羨ましい(いいなあ)」とは思っても「妬ましい」とは思わない。逆に、色々なものに追い詰められて幸せを感じれない状態にいると「妬ましい」という気持ちになってしまうのではないかと。
でも、完全に不幸ばっかりの人、完全に幸せばっかりの人っているのでしょうか?
こあらっこはいないと思います。
幸せそうに見える人にも、トラブルはあるし、不安や悩みだってある。決して、幸せばっかりではないのですよね。
不幸せな人ってさ。無くしちまったものの数ばっかり数えてんだ。
例えば、二文落としたら手元に五文入ってきても、ずーっとあの二文があったらって悔やんでる。なんかそれ、馬鹿らしいよね。
今週グッときた言葉です。
この言葉を言ったのは、両親に死なれて一人で奉公に出ている男の子です。まだ小さいのに両親に先立たれ、それでも周りの大人たちに優しくしてもらっていると自覚し、自分は幸せだと感じている男の子の言葉です。
「不幸せな人は、無くしたものの数ばかりを数えている。」
逆にいうと。
「幸せな人は、今ある幸せを数えている。」
こあらっこの友人に、親が脳梗塞になって命の危険にさらされた人がいます。
幸い命の危険は去ったのですが、、、どれだけ回復できるかは未知数の状態です。
その人がこんなふうに言っていたのです。
「こんな状態(親が倒れて生死の境を彷徨うような大変で不安で悲しい状態)になって、不幸なことばかりに思えたけど、親の世話(病院手続きやお見舞い)をするようになって疎遠になっていた兄妹との関係が昔みたいに密になった。不幸な中にも、不幸だけじゃなくて良いこともあるんだなと思った。」
この人は、幸せになれる考えの人だなと思いました。
完全な不幸ってなかなかないんですよね。
不幸の中にも幸せはある。
どこに目を向けるのか。
「自分を幸せにするのは自分自身しかいない」ということですね。
「幸せの数を数えて生きていく」
こあらっこも、この考えを忘れずに生きていこうと思った今週でした🎵
では、良い一日を〜🎵