🌎1つめの答え合わせ―30数年前の謎が解けた⁉
「まほろば」第1回での、白駒妃登美塾長の講義の中で、
私的に「2つの答え合わせができた」と、先日書きました。
こちらの記事
答え合わせができた1つは、30年以上前のヨーロッパ一人旅での体験。
もう1つは2年くらい前に、あるセッションで自分の根底にあるものを見た時に出てきた言葉。
ずいぶんと年数が離れた2つの出来事ですが、2つとも結びついていて、
大事なことのヒントをその時その時に見せてくれていたんだな……、と思ったのです。
今回、白駒さんが本題の話に入る前に、安部昭恵さんと一緒に行ってきたポーランドについての話をしてくれました。
100年余り前、欧州列強に翻弄されていたポーランドの人たちがシベリアに送られていました。
時はロシア革命の前後。
シベリアのポーランド人、特に厳しい環境下のシベリアで親を亡くした子どもたちは飢えに苦しみ、大変な思いをしていたそうです。
そんなシベリアのポーランド孤児を助けようと、行動を起こしたのが日本でした。
子ども達を日本に迎え入れ、各地で治療を受けさせ、交流を深めたりして、
子どもたちは身体も心も元気になって帰っていったそうです。
↓白駒妃登美さんが、安部昭恵夫人と参加したのはこちらの式典
シベリア孤児に関する、こんなサイトもありました↓
この話では日本ではほとんど知られていません。
ですが、ポーランドでは多くの人が当時の日本による人道支援のことを知っていて、
そのせいで、ポーランドは今でも親日家がとても多いのだそうです。
これを聞いて思い出したのが、30年前の旅でポーランドを訪れた時のことでした。
ベルリンの壁が崩壊し、旧東欧の民主化がどんどん進み、
まだ社会も人々の暮らしも落ち着かないような時期だったと思います。
ポーランドの印象は、ほの暗く、地味で、正直言うと「すさんだ国」という雰囲気でした。
ですが、ポーランド人の驚くような親切を何度も受けたのです。
通りで立ち止まって地図を見ていると、すぐに「どうした?」というように声をかけられました。
あまりに声をかけられるので、おちおち立ち止まれないくらい😅
さらにびっくりしたのは、駅の売店で買い物をした時にお金をすぐに取り出せなくてモタモタしていたら、
通りがかりの人がスッと小銭を置いていってくれたのです。
この出来事は今でも忘れられません。
白駒さんの話を聞いて、わたしが30年前に受けた親切は、わたしが日本人だったからなのかも、とふと思いました。
わたしが日本人だと確信を持っていなかったとしても、
かつて日本人がポーランドのシベリア孤児を温かく迎えたように、
アジアのどこかから来たわたしに、ある種“恩送り”のように接してしてくれたでしょうか……?
100年前の日本人の精神性が、30年前のポーランド人にも影響を与えていたのかもしれません。
もう1つの「答え合わせ」にまつわるお話は、次回へ続く😉