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お伊勢さんとの面白いご縁


最近ある「神社プロジェクト」に関わらせていただいて、伊勢神宮について調べる機会がありました。



伊勢神宮は、愛知に住んでいるわたしにとっては身近な存在。


個人的には、最近は年に1回は行っているかと思います。


これだけ気軽にお伊勢さんに行けるのは、とってもラッキーなんですよね。



とくに、古神道や古事記や、日本の歴史などをいろいろ学んで

「日本人の精神性」とか「皇室の役割」などを知っていくうえで、今回伊勢神宮についていろいろ知ることができたのは

わたしにとって「伊勢神宮」とのかかわり方の意識も変わることでした。

岡崎とお伊勢さんの、不思議なつながり


その1つが、わたしが岡崎に生まれ育った意味



数年前から、あるご縁で伊勢神宮の神嘗祭にお供えする米づくりプロジェクトに参加させてもらっています。





主宰者さんは、まったく違うご縁で昔からの知り合いなのですが、

その方が「神嘗祭の奉納米つくり」を始めるに至った物語が超!面白いのです。


詳しくは表立って語れないところもあるのですが😅



そんな米作りプロジェクトが始まった大きな理由は、かつて岡崎がお伊勢さんの神領で、

お伊勢さんにお供えするお米を奉納するための神社があったということ。




また、大正天皇の大嘗祭の時には、岡崎の田が悠紀斎田に選定されたこともあります。




今回いろいろ調べてわかったのですが、愛知県や静岡の遠州あたりまでは、伊勢神宮ができた当初からお伊勢さんに深い繋がりがあったのですね。


また今回、岡崎とお伊勢さんの関係性で、改めて調べてみたことがあります。


それが「岡崎の“六並び”」


この話、数年前に一部の岡崎人の間でちょっと話題になったのでした。


実は、岡崎市は伊勢神宮から見ると「鬼門(北東)」にあります。

で、とくに伊勢神宮から北東にまっすぐ線を引くと、

そのライン上に、家康公の産土神である六所神社や、岡崎市内で「六」が地名につくところがズラッと並ぶのです。


ちなみに、前述した「伊勢神宮へ納める米を奉納した神社」は稲前神社というのですが、この神社も「鬼門ライン」上にあります。


この不思議に気づいて、何年か前ブログで発表していらっしゃった方がいて、

そのブログが当時話題になったんですが

今回そのブログを読み直したり、詳しく調べてみたら、もっといろんなことが分かってきました。


ブログの著者は、岡崎にある国立研究所の研究員さん。



バリバリ“理系”の人が、さまざまな文献などを調べ、いろんな仮説を立てて語ってくれていて、なんと本にもなっていました。


この“六並び”をもっと広範囲で見ると、岡崎市内だけではおさまりません。

“六並びライン”上に、「六供」という地名(場所によっては文字違いも)があちこちにあり、遠く山形まで届くというのです。


この「鬼門」を結ぶライン上には、諏訪大社もあります。

伊勢神宮の反対側、南西(売れ鬼門)を見ると、そこには熊野大社があります。


なんだか、壮大な“何らかの意図”が見えてくるような話ですよね😉

で、わたし個人がこの話にどう関わってくるかというと…



わたしの実家の住所は「岡崎市六供町」であり、
実家の氏神様は稲前神社です。

そして不思議?なことに、六供町はとても広いのですが、六供町で稲前神社が氏神様の家は、たぶんうちを含め5軒だけです。


これはけっこうな“ご縁”と言えるんじゃないか⁉
なかなかの“サイン”ですよね😁


面白い流れでお伊勢さんとのご縁でできてきたのが、こんな風につながってくるとはなあ~♪

と思っています。



例のブロガーさんの本は、陰陽道をベースに、伊勢神宮についてだけでなく、諏訪大社、熊野大社などとの関係性もいろいろ考察していて、

最高に興味深いのです。


『ロマンで古代史は読み解けない』



この本の内容、今回の「神社プロジェクト」全体にも関わってきそうなもので、思わず引き込まれました。




そして、「神社プロジェクト」に関わっている流れで、こんな本にも出合いました



『神の国日本の 美しい神社』



またプロジェクトと関わっていく中で、日本の神社について、もっと学びを深めてきたいと思っています。


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