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湯河原 城山ハイキング

湯河原温泉1泊の城山ハイキングに行ってきました。

城山は桓武平氏の武士である土肥氏の山城があったとされる山。

湯河原駅

さて、行ってみよ~!

今回は湯河原温泉が主目的で、あまり(というかまったく)下調べをしていなかったことは色々な意味で反省。

歩き始めて直ぐに嫌な予感が胸に沸く。まさかあの前方に見える山まで歩くんじゃないだろな?(結構あるよ?)

湯河原駅から徒歩10分。

城願寺

城願寺は土肥次郎実平(鎌倉初期の武将)が建立したとされる寺で土肥一族の墓所がある。

樹齢800年のビャクシン
土肥実平お手植えと伝わる

寺を出で歩き出す。まだ足は軽い。

セミノールをお買い上げ

みかんをむきむき食べ食べ歩いていると道路脇に浅間神社参道の石版を発見。

参道

ここから海が見えるはずなのだが、木が茂っていて見えず(若葉茂る季節柄しかたない)階段に落ち葉が積もっているので滑りやすく注意。

この辺りまでは元気だったんだけどな………。

さて、いよいよ山に入る。

舗装された林道を歩く。この日は曇りがちで特に問題はなかったが、夏は照り返し……考えたくないな……。

前方の、あの山を登るのではないかという疑惑はどんどん濃くなっていく。

「やっぱりあの山だよねえ」
「城山だもんね」
「この辺りの石垣は城跡じゃないの?」
「新しい気もするし、どうだろ?」

下調べが足りなかったことをじわじわと後悔しつつ坂道をゆく。とりあえず一休みしておやつだ。

ありあけの横浜スフレどらやき

そういえば子供の頃、休憩のことを「たばこにしよう」と言ってたな。子供でも平気で「たばこだよー!」と言っていたが、今なら問題視されそう。

糖分チャージしたところで出発。

初夏なのに紅葉?

この石垣はやはり城跡なのだろうかなどと話しながら歩く。

城山は石橋山の合戦で敗れた頼朝が敗走した場所である。興味はあるが70㍍登って戻ってくる体力に自信がない。

えええ?そんなにあるの?と慌てる一同
立石入口
今度は下り

兜石と同じ理由で諦める。↓こんな石らしい。

山頂入口

やっと山頂か?舗装された林道から離れる。
しかしここからが長かった。

もみじいちご

山道のいたるところにもみじいちごが伸びていた。トゲに注意だ。

アザミが花盛り

やっと到着。

山頂には日陰がない。近くにある四阿には座るところがない。と、いうことで各、石に座りながら持ってきたドライパインとドライ梅を食べながら糖分&水分補給。

う~ん、読めない。境?
山頂からの眺め1

手前の島は初島かな? その向こうは伊豆大島か。

山頂からの眺め2

さて下山。
アスファルトの林道に戻ってひたすら下り道。途中、崖くずれ跡がいくつかあり、こんな石が転がってきたら怖いよね、などど話しながら歩く。

坂が終わったところに

五所神社

創建は古く天智天皇の御代。土肥郷の総鎮守
石橋山の合戦の前夜には社前において盛大な戦勝祈願の護摩を焚いたと伝わる。

ご神木の楠
銀杏

なんとかゴール。
ホテルに引き上げて、温泉で汗を流して、ご馳走で栄養補給

で、翌日。

車で椿ラインに向かう。
駐車場から5分!素晴らしい!

ここには茶屋があり、足湯も楽しめる。

不動の滝
巳我和利不動尊
出世不動尊
出世大黒尊

お参りを済ませて出発。車で山を登っていく。

箱根伊豆地方は関東山伏の発祥の地であり、この一帯は山伏たちの行場だった。
しとどの窟は石橋の戦いに敗れた頼朝が隠れた遺蹟であると同時に山伏に関する聖地でもある。
湯河原は地蔵信仰、観音信仰の遺蹟とともに弘法大師を信仰する遺蹟も多い。石像は山麓にあったものを遷座したもの。

とはいえ徒歩20分!(昨日に比べれば)余裕余裕♪

しとどの窟入口

少し下った場所にあった看板に「しとどの窟は城山の谷底にある」とあるのを見つける。まさかの坂道……それも急な。

しとどの窟

以仁王の平家追討の令旨を受けた頼朝は、石橋山において大庭景親と戦ったが敗れ、大杉の洞やこの窟に隠れて九死に一生を得る。

当時の窟はもっと大きなものだったが、関東大震災で崩れ、現在の姿に至る。

「ここもさ、もっと観光地になれば、ロープウエイとか斜行エレベーターとか出来るのにね」
などど息を弾ませながら駐車場に戻る。(二日連続の登りはキツい)

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