伊勢 おかげまいり 外宮~内宮
今回は外宮から内宮まで歩きます
コースは近鉄のホームページからハイキングコースをチョイス
近鉄さんは丁寧で助かります
鳥羽から電車移動。時間は11時。この日、台風の影響で気温は30度越え予想。近くのコンビニでお茶を買って出立
外宮参道で腹ごしらえ。伊勢といえばやはり伊勢うどん。
コシがないと言われようだが、太い麺は腹を満たしてくれる。美味しくいただきました
正式名称は豊受大神宮
第21代雄略天皇の御代(約1500年前)天照大神の配慮により、丹波の国からお迎えした伝わる。天照大神がお召し上がりになる食物の守護神であり、産業の神様でもある。
外宮を出で観光案内所を左に見て右折。しばらく歩くと
祭神は雨牟羅雲命御王、宇迦之御霊神
他にえびす神、菅原道真公など合祀山田産土神八社の一つ
外宮神苑・勾玉池のほとりのこの地は「赤畝」と呼ばれた土地。古くこの地に鎮座した本社は「赤畝社」と呼ばれ、外宮の摂社であったと推定される。しかし、この後に荒廃し室町時代になり、土地の人々の産土神として蘇った。かつての赤畝の社がなまって「あこね」となり、明治になる「茜」と当てられた。
遷宮の際にその残材の払い下げを受けて神宮にならって遷宮をしてきたのはその理由のためである
この橋を渡り、尾上坂をのぼり日本の五大遊里の一つ古市(間の山)を経て内宮へいたる
古市は、参拝を済ませた人々の精進落としの場として、江戸の吉原、京の島原と並ぶ日本三大遊郭の一つに数えられ、最盛期には70軒あまりが軒を並べていた。
この日は本当に暑かった。途中のお茶屋で一服
地図を見せて「ここはどの辺ですか?」と聞いてみる。店員さんは親切に「庭球場の近くですから」と教えてくれた。外宮から歩いてきたと言うと「は?」と驚かれた。大変正しいリアクション
2階の座敷を使わせていただき、大変涼ませていただいた。ありがとうございました。
ここで道のり半分だとわかった。
油屋騒動
寛政8年(1769年)5月4日夜、医師、孫福 斎は、なじみの遊女お紺と酒を飲んでいたが、お紺が他の客に呼ばれて戻ってこないことに腹を立て、9人斬りの殺傷事件を起こした。これを油屋騒動と呼ぶ。
事件の二ヶ月後、歌舞伎役者の近松徳三が脚色し「伊勢音頭恋寝刃」として世に広め、現在も演じ続けられている。
近くの大林寺にはお紺と斎の比翼塚がある
案内板を読んでいた太郎がぽつんと
「キャバクラでも似たようなことあるよな」
(……うん……そう、だね?)
さて、この油屋は、現在は掘り下げられて近鉄線が走っている
長峰神社
祭神は天鈿女命
天照大御神が天の岩屋に隠れた際に踊って閉じこもる神の興味を引いたことで有名。歌舞伎役者や伊勢音頭の遊女の祖神として祀られている
往年の写真や資料、妓楼で使用した道具などがある。遊女の手紙の展示もあった
内宮まであと2.1㎞!
ここから坂を下って猿田彦神社の境内に入る
祭神は天宇受売命
瓊瓊杵尊の天孫降臨の際に随行した。迎えた猿田彦と最初に対面したことで天上の神と地上の神との縁を取り持ったことで、良縁・芸能・鎮魂の神とされる
本殿は二重破風の妻入り造りである「さだひこつくり」
二見興玉神社と同じ祭神のはずだが、ここにはカエルはいない
猿田彦神社を出れば内宮はすぐそこ
皇大神宮(内宮)
祭神 天照大神
崇神天皇の御代、大和の笠縫邑に祀られ、その後、垂仁天皇の時代に各地を各地を巡行の後に五十鈴川の川上、現在の地に鎮座した
宇治橋の板は15㎝ほどの厚みがあるが、すり減るため、遷宮の際には取り替えるとのこと
御正宮の棟持ち柱は遷宮のあと、鳥居として再利用される。橋手前が外宮のもの、渡河後が内宮のもの。安定させるために5メートルほど埋めてあるそうで、御正宮の大きさが想像出来る
現在とは違い、ここには神官たちの住居があった。その名残が線になって残っている
倭姫命が御裳のすその汚れを濯いだという伝説があり、御裳濯川(みもすそがわ)とも呼ばれる
島路川を渡った森の中にある風の神様
祭神は級長津彦命、級長戸辺命が祀られている。元寇のおりに風を吹いてくれた神様だとか
天照大神の荒魂が祀られている
荒れているのではなく、アグレッシブと捉える方が正しいらしく、なにかを始める際に御利益があるのだとか
内宮を出て五十鈴川駅方面へ
天照大神の弟である月読命を祀る
天照大御神の弟神、月読尊をお祀りする内宮の別宮。
他にも、月読尊の御親神である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)も一緒に
並んでお祀りされている
祭神は田畑を守護する三柱の神、佐佐津比古命と宇加乃御玉御祖命と伊加利比賣命。その昔、この辺りが五十鈴川の葭(葦)原であったことが、社名からうかがえる
ここで写真は終わり
五十鈴川駅から伊勢市駅を経由して名古屋まで
お疲れさまでした