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自らの力で勝ち取る

人生において、本当に自分が努力してその結果として何かを成し得る、勝ち取る経験というのはあるだろうか。

私の場合、子供の頃から現在に至るまでそれがほとんどない。分かり易いのは学校に入るときの苦労、入試だ。私が小学生の時にちょうど町田の忠夫中事件というのがあって、割と中学が荒れていた。小学校は公立校に通う私が進学する予定の中学もかなり荒れていて、それが嫌なこともあって私は私立中学受験をしてとある学校に入学出来た。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%A0%E7%94%9F%E4%B8%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

中学入試はそこそこ勉強しないといけないので、4年生から入試準備のために塾には通ったが、塾での友達も出来て割とエンジョイ出来た。本当に入りたいと思った学校は私の学力では難しかったので、ちょっとランクを落として入試に臨んだが無事合格出来た。これはまあまあ頑張ったといえるが、ほぼ親の努力だ。中学から高校への進学は一応内部進学のための入試があるがほぼ全員高校に進める。これも苦労なし。大学入試はちょっと苦労した。浪人することになったが、予備校生活を楽しんでしまったので当初医学部進学希望だった私は途中から獣医学部志望に変えて、入試は難なく終えることが出来た。

大学卒業後、獣医学部卒にも関わらず国家試験に落ちた私は獣医とは全く無関係の道に進んだ。今と同じIT業界の営業の道を進むわけだが、これも人の紹介や、業務委託など様々経験したが、ほぼ周囲の人々のおかげで現在までやってこれた。苦労したなーという実感が非常に薄い。

だから例えば高校野球のように一所懸命練習して、その結果として優勝するというような話を見聞きすると非常にうらやましい。何かに「燃えて」取り組み、その結果としてご褒美を得るわけだ。良い人生経験だと思う。これに比べて私の場合には大した努力もせずにそこそこの結果を手にすることが多いために、どこか醒めていたり、クソ真面目な人々を小ばかにする傾向が過去あったように思う。これは本当に反省しているし、ダメな態度だったと振り返って思う。

逆に色々な経験をしてきたことによって、愚直な、真面目な態度が結局は必要で尊いことも学んできたように思う。努力の対価としての成果、逆に成果から割り戻して努力するような権謀術数的なアクションではなく、日々コツコツと精進していきたいものだと今は感じている。

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