謙虚な態度
実るほど頭が下がる稲穂かな
ある一定レベル以上の、いわゆる成功した人々に共通しているのはいずれも謙虚であるということだ。ひたむきに、真摯に課題に取り組みそれらを解決して結果として成功を収めている。
逆に調子に乗って油断したために一気に没落していく人々もいる。驕る平家は久しからず、というやつだ。おごりたかぶり、思いあがったさまは周囲を不快にさせるために、周囲からは「ざまあみろ」と言われてしまう。
なぜ謙虚な姿勢は尊いのだろうか。どんなに成功を収めても「まだまだ」と思うのは高い向上心の表れの一つだと思うが、逆にどんなに成功しても、基本に忠実であるということが謙虚さの一部かなと思う。
何か煮詰まった時にそれをブレイクスルーするために基本に立ち返る、というのはとても大事なことだと感じている。
複雑になってきた様々な事物の原点、スタート時点の姿を再度確認して、今までの足跡をひとつずつ確認していく。途中なんとなくクリアしてしまった課題をきちんとロジックを確認していくことで、新たなアイデアも生まれる。非常に面倒であると同時に、これをやることで安心することも出来る。
私は何か壁にぶつかったとき、一番最初の気持ちを思い出すことにしている。例えば仕事で煮詰まったとき、何もかも投げだしてしまいたくなるくらい絶望的に思えたときにはその会社に入ったときの気持ちを思い出す。自分なりに夢や希望を持ち、非常にモチベーションが高い状態だったはずだ。その気持ちを燃料として、もう一度その壁に取り組もうと前に進む。そうすると面倒だと思ってすっ飛ばしていた細かな作業を「やってみよう」とある意味では謙虚に思えてそれに取り組むことが出来る。また周囲に冷静に助けを求めることも出来る。こうなるとその壁はどんどん低くなり、クリアすることが出来るのだ。
逆に傲慢な態度だったらどうだろうか。自分の能力を過信し、確認すべきプロセスを確認せずに、見落とした箇所は見落としたままだ。しかも傲慢な人の周囲にはサポートしてくれる仲間はいない。どんどんと孤独になる。とうてい解決は出来ないし、ネガティブスパイラルそのものだ。
私は今年の誕生日で50歳を迎える。しかし未だに若手に学ぶことは多く、彼らから多くを学びたいと思っている。年齢や役職を気にして頭を下げることが出来ない人はかなり損をしているだろう。相手がどんな相手だとしても、謙虚に、教えを乞うことこそ自分を成長させる重要なアクションであるということを改めて肝に銘じたい。