見出し画像

縁、感謝

私は今居る業界とは全く異なることを大学時代に専攻していた。様々な事件や出来事を通して現在に辿り着くのだが、そこには多くの縁があると思っている。

某社で私が担当としてお付き合いをしていたとある地方のSIerさんが居る。私は外資系企業の大きな看板を背負っていたのだが、人対人のお付き合いという観点でまさに”パートナー”としての時間を過ごした。
どういうわけだか、お互いに気の合う部分もあり、私が職場を移ってもその人間関係は続き、SNSなどでお互いの生存確認をしていたように思う。

その大変お世話になった年配の方がとうとう今月末で退任されるとの連絡をいただいた。まず、私を覚えていてくれたことが嬉しかった。立場としてはもう、相談役のはずなんだけど、こんな若輩者に連絡を貰えたことが嬉しかった。

そしてその方の片腕として、お付き合いのあった方(既にその会社は去って独立)からも同じタイミングで連絡を貰った。これもまた嬉しいことで、本当は今期末でとても厳しいメンタルだった私にパワーをくれたと思う。

自分の考え方の傾向として、あれが出来ていない、これが出来ていないと自分を責めることが多いと思う。逆にこれも出来るようになった、あれも出来るようになったとはなかなか思えない。

今回久しぶりに連絡をいただいた二人は、そんな私の自尊心を強力に押し上げてくれる僅かながらのフォロワーだ。私の感覚ではそんなに大したことではなかったようなことも、いまだに思い出話と共に感謝と言われる。こちらこそが感謝だ。

つまり、人と人との関係は縁で結ばれ、互いの感謝の気持ちによってその縁がより強固なものに、イイものに変化していくのだろう。まさに今それを実感し、充実した気分である。

縁というものはどちらかというと受動的だと思う。たくさんの縁が私の周りにはあるのだが、アンテナの感度が悪いとそれが縁だと感じることが出来ないのだろう。自分が落ち着いていて、傲慢ではなくむしろやや謙虚な心持ちのときにその縁が見えてくる。

あと何人、死ぬまでにこういうお付き合いのできる人を会うことが出来るだろうか。それほど多くないのだろう。であれば、アンテナの感度を磨きながらこの縁を逃さないようにしたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?