人と比べる
フォローしてる方の記事から触発されて私も書いてみる。
他人と比較することに私は慣れている。小学校の時から「偏差値」に慣れ親しみ、学校の勉強については常に比較したし、されてきた。
数字が出るものは比較しやすい。入学試験の難易度が高い学校に合格することが、価値のあることだと勘違いもしていた。(まあ、これは私立の進学校に通ったのである種洗脳されてしまったとでも言うべきか。)
この癖は相当厄介で、どこの学校出身とか、どこの会社でどんなポジションだったかとか、年俸がいくらだとか、そういうことばかりを気にしている自分がいる(いた)。
他人との比較はしばしば不快なマウンティングを促すし、いつまでたっても他人に負けたくない気持ちが心の安寧を脅かす。百害あって一利なしだ。
この呪縛から離れつつあるのはなんとなくだが、外見を気にしなくなってきたことからだと思う。カッコいい服や時計など、そういう自分を装うものにあまり執着しなくなってきた。
むしろ機能やコスパを重んじるようになってきたように思う。
外見的なことよりも内側からにじみ出るカッコよさ、そういうことに価値を見出すようになると、だんだんと穏やかになってくる。
人は人、自分は自分。
私は過去の大怪我で決定的に他人に劣る障がいを持った。左眼の視力と左耳の聴力を喪ったのだ。この時、絶望した私を救った言葉は退院の時に主治医が掛けてくれた言葉だ。
「不幸にして視力と聴力、それぞれ左側を喪ったけれども、片眼じゃないと見えないもの、片耳じゃないと聴こえないものがあるかもしれない。私にはそれがわからない。これはあなたの個性なのだから、寧ろそれを強みにしてこれからの人生を歩んで欲しい」
そうか!片方しか見えない、聞こえないのは私の強みなんだ!
確かに日常生活では不便なこともあったけど、私は右耳だけでクラブでDJプレイもした。下手くそかもしれないけど、私なりに右耳だけでやる工夫もあって、それはまさに強みだったんだよな。
だから、私は人と比べない。自分が満足するかどうか、それだけだ。比べても仕方ないでしょ、だから何?