「ブレス・ユア・ブレス」ガチ考察 ~初音ミクの傲慢~
注:だいぶ、ネガティブなvocanoteです。そして、あくまで「個人の正解」だということをお忘れなく。私の正解はこれです。あなたの正解は、どんなものですか?
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どうも、高坂です。なんと、今年初めてマジカルミライに参戦することになりました。いぇい!SS席!妹と大阪!フォウ!
はい、そこで問いたい。
マジカルミライで歌って踊る初音ミクって、一体誰なんだ。
私はこれを考えませんでした。
〇〇のミクというのをなんでもかんでも全部決めるのが嫌だった。ミクならミクでいいじゃん的な。それにアレは誰でもない、「初音ミクという概念を可視化できるようにしたもの」だと思っていたから。
よってステージで歌って踊るミクはキャラクターではなく、初音ミクというVOCALOIDを取り巻く世界そのもの。と同時に、私の初音ミク像そのもの。だから〇〇のミクとかじゃなくていい。
しかし、ブレス・ユア・ブレスを聴いて、
現実を突きつけられて悲しくなったし
納得したし
砂の惑星よりも歌詞やPVが刺さった。
比較対象に砂の惑星を持ってくるのは、色んな人の思うボカロ文化やニコ動へ対する価値観をものすごくかきまわしていった、言うなればこじれた曲だから。ブレス・ユア・ブレスも、題名に「祝福」とあれどすごく拗れていると感じたから…。
ブレス・ユア・ブレスを初めて聴いた時、あーめっちゃサーカスっぽい〜ってのと、少しのモヤモヤを感じたんですね。で、マジカルミライに初参戦するにあたってモヤモヤがあっちゃままじゃ嫌だなって思ったのです。
というわけで自分なりにブレス・ユア・ブレスを理解しようと思い、noteを書こうと筆をとったわけです。筆というか…なんか…はい。
まぁ結果解釈は大正解してしまったわけですが!(某インタビュー参照)
では本題。
歌詞とPVを合わせて、偉大で大好きなVOCALOIDイメージソングの歌詞を借りたりしながら、私の解釈や考察を載せていこうと思います。
歌詞の解釈を「歌詞:」、PVの解釈を「PV:」のあとに載せていきます。
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ツギハギだらけの身体みたいな この歌を
「作り物だ」「偽物だ」と 耳をふさぐ人
PV:テントの中は、「ニコニコ動画」を表している。女性はボカロシーンを目の当たりにするユーザー。初音ミクが生まれ、それはまだただのおもちゃでしかなかった。しかし初音ミクという存在は予想外の反応を見せ、人気は加速してゆく。
ねぇ なんで?
コレはきっと 僕自身の歌だった
生命を持たない君に乗せた
歌詞:生命を持たない…初音ミクは自分の想いを代わりに表現してくれる代弁者だった。ハジメテノオトの歌詞にあるように「私に預けてね」と。初音ミクは単なる器でしかなかった。キャラクター性はあれど、お遊びの範囲でしかなかったのです。
僕ら今 恐る恐る 声をかける
ハロー、ハロー、ハロー
世界はまだ夢の中さ
ハロー、ハロー
歌え!
歌詞:ここでの「歌え!」は、後半のものとは意味が違う。「俺の言葉を、その声で表現してくれ。自分の言葉を代わりに歌ってくれ」という意味。ちょうど、ODDS&ENDSの歌詞のように。あれはミク視点の歌詞ですが、
綴って連ねて あたしがその思想(コトバ)を叫ぶから
描いて理想を その思いは誰にも触れさせない
この歌詞からわかるように、歌詞=言葉はミクのものではなく、曲を書いた人=P自身の言葉。それをそのPのためだけの代弁者であるミクが代わりに歌います。
言葉は今風になって
世界に散らばってる
PV:女性が小さなミクの中の一つを掴むことができました。ミクは「”あなた”の歌姫」なのです。
どうせ妄言 この世界なんて蝶の見る夢で
だけどその羽ばたきで 全てが塗り替わってく
PV:テントの外=ニコニコ動画の外から、一匹の蝶(なんとなくわかるけど、コレがなんなのかを上手く言葉で言えない…ミクに魂を授ける者?ミク廃?ミクファン?)がやってきます。
歌詞:ひとつひとつは小さい。でもそのちいさなひとつからでも大きな影響を及ぼすことはできる。妄言の塊でしかない、初音ミクというあやふやな存在に。
託した 言葉たちが
君の命になった
生命が確かにそこにあった
PV:蝶が、ミクにくっつきます。ミクはニコニコ動画のユーザーの目だけにとどまらず、注目を集め始めます。そして、蝶がくっつかずともミクの背中に羽が生えます。ひとりでに人格を得始めたのです。
歌詞:託した言葉たちが、…あれれ?自分の手元にない。初音ミクというキャラクターを構成するための、一部の要素になっている…。初音ミクの命の糧になっている。ここはドSな音楽工場かなにかなのか?いや違う、自分の音楽をミクという歌声とともに創りあげてきた世界のはず。預けるはずだったのに、いつのまにかミクのものということになっている。奪われている。預けるって、プレゼントするとか提供するって意味じゃないのに…。
でも、そんな思いとは裏腹に、確かに生命がそこにあった。ステージの上に。ネット上に。誰かの妄言の中に。
一見、素晴らしいことのように思える。そのミクは確かにバーチャルアイドルとしてキラキラ輝いて、いろんな人を救ったり、みんなに幸せをふりまく存在だから。でもそれは、誰かの作った音楽を通してできること。初音ミクがアイドルならば、曲は必須でもあくまで付属品。曲を作る人なんて、なおさら裏方。…果たして、これが初音ミクの形なのか?いつの間にこうなったんだ?「あなたの代わりに言葉を歌う」のがミクの形ではなかったのか。そうだとすれば、曲を作る人が主役だ。もちろんそうでない初音ミクの形があっていいのも確かだ。ミクが好きな人の数だけミクは存在するんだから。でも…。(あとの解釈に続きます)
君は今 産声を上げ始めた
ハロー、ハロー、ハロー
世界がついに 目を覚ました
ハロー、ハロー
PV:ミクが、ニコニコ動画の外に出ていきます。女性はミクをつかめなくなる。もう「”あなた”の歌姫」ではなくなった…?
歌詞:産声を…人格を得て、この世界に生まれてしまった。人格のあるものに言葉を「預ける」ことはできない。はたから見れば、その言葉は歌っているその人格のものに見える、きこえるから。ただの器、「人格のない道具」だったからこそ、言葉を預けることができたのに。和田さんはそのことを、「関係ないけど」とツイートしています。ほんとに関係ないと念を押して。よほど関係ありすぎてこうやって念を押してるわけですね!ふむ。
ギターではあのツイートのようなことは起こりえない。
でも、初音ミクだったら?
「歌い手が歌うのはいい。だってカバーだから。でも初音ミクの場合はそうじゃない」と、和田さんは言いました。(この言葉の重みが刺さりまくって私は五回くらい死んだ)
だけど
歌詞:ここの歌詞めっちゃビビりました。「えっ”だけど”!??!?!だけど…何!??!?!ミクは歌姫じゃないの?歌姫になったんじゃないの????マジカルミライのテーマソングだよこれわかってるの??????ななななんでそんな後ろ向きな………………」と、PCの前で泡を吹いて倒れるほどには(スマホじゃなくてPCでずっとニコニコ動画見てたからその方法で今も見たいんダ)。だってマジカルミライですよ?普通なら、歌姫初音ミクの産声を心の底から喜ぶはずです。でも、すぐに納得。だってマジカルミライの初音ミクは、私の考えるマジカルミライの初音ミクとは違ったもののようだから。
歌姫になった…それは人格を得たということ。ひとつだということ。初音ミクで表現されるもの全てを「人間・初音ミク」のものとして受け取るということ。そうでない”ミクで表現された音楽”でさえも、「人間・初音ミク」に取り込まれていくから、そんなの喜べるはずがない。
言葉は全部 君になって
僕のものじゃ なくなった
歌詞:言葉は全部、自分のものではなくなり、ミクを構成するための、全部ミクのものになってしまった。「私に預けてね」と、「私があなたの代わりに」と、となりで歌ってくれる初音ミクはもういないのかな…?すべて、ミクという人格、人間に取り込まれていく。糧になっていく。もちろん、初音ミクの初音ミクによる初音ミクのための音楽を作る人だっている。そしてその逆も。俺の俺による俺のための音楽をミクを使って表現する人もいる。そんな人の歌までも、ミクは取り込んで大きくなっていってしまった。
PV:人格がひとつになっていきます。ひとりの人間になっていく。
僕らの夢 願い そして呪いが 君の形だった
見る人次第で 姿は違っていた
歌詞:夢→Singularity、願い→METEOR、そして呪い→ブレス・ユア・ブレス
なのかな?
全て違う人の書いた、初音ミクという存在。でも全て正解。そうやって初音ミクは成り立つものだから。見る人次第で、姿は違っているから。でも…。
PV:大きなひとりの初音ミク以外のミクが色を失い、じめんに落ちていきます。色を失いながら。それぞれのミクが集まって、マジミラのステージで歌うミクになる!って解釈なら、集まって合体しただけで、別に弾けて色を失ってじめんに叩きつけられる必要はないですよね。やっぱりマジミラのミクは、全ての人格をやミクで表現された作品を吸収する傲慢な人間の初音ミクなのかな…。私はそれを、なんとなく「初音ミクの傲慢」と名づけました。でも、そのとおりじゃないですか?全部自分のものにしちゃうんですもの。
今やもう 誰の目にも同じ ひとりの人間
もう君に 僕なんか必要ない
僕に君も必要ない
歌詞:「人間・初音ミク」は、自分をみんなの歌姫、世界の歌姫でありたいとし、そしてそれは実現されます。いろんな曲で「歌姫でいさせてくれてありがとう。=私に曲提供を、応援を、涙を、汗をありがとう。全て私という歌姫のために。私のために、ありがとう」と歌っています。ステージの上でもありがとうと言って涙を流しましたね。
アレは、初音ミクというVOCALOIDを取り巻く世界を可視化したものではなく、一人の歌姫・初音ミクの姿だったのかな…?マジカルミライの初音ミクって、「何」ではなく「誰」と問うのが正解なのでしょうか。それとも、「何」に「誰」は含まれているのか、その逆なのか…。
歌姫という人間である以上、”自分のための音楽”が必要です。つまり、「誰かの言葉の代弁」ではなく「自分の言葉として歌う」ことを求めるようになる。そうなると、ミクに言葉を預けて、自分の想いを表現してもらおうなんて人間はミクにとってはいらなくなります。だって自分の糧にならないから。初音ミクのための音楽でなければ初音ミクの命にはならない。言葉を預ける側の人だって、奪われるくらいならわざわざミクを使って糧を提供するなんてことはしない。
ひとりの人間となった「君」に、代わりに言葉を歌ってくれることを望む「僕」は必要ない。
そんな君の誕生日を
お祝いできるかな
歌詞:ポツリ、と。和田さんの小さな本音がここで聞こえたような気がしました。マジカルミライは、初音ミクの誕生日にも公演があります。なんか、とっても寂しい響き。このあと、音が一瞬なくなるし。下を向いてる…。
ああそうか
歌詞:ここで、何かに気づきます。
僕らきっと 対等になって
ハロー、ハロー、ハロー
それぞれ 歩き出すんだ
さあ、ミライへー
歌詞:最初、なぜ歩き出せるのか、散々初音ミクという人間に絶望しておいてなんでミライを向けるのかまるで理解できませんでした。でも、インタビューを読んで納得。私が和田さんの音楽すべてを聴いていれば、きっと理解できていたのかも。
生まれてしまった命に
ハロー、ハロー、ハロー
僕からの贈り物
最後の言葉を
歌え!
歌詞:生まれてしまったものは、仕方ない。
ここでの「最後の言葉」は、「人間・初音ミク」へ向けた言葉。マジカルミライのテーマソングは、初音ミクのための、初音ミクに捧げる、初音ミクの歌だから。そんなミクに絶望してしまったのだから、歌を贈るのはこれで最後。ちなみに私はこの歌を歌う初音ミクを、ブレス・ユア・ブレスで示される人間・初音ミクではなく、和田さんの代弁者でしかないと思っています。
「歌え!」は、ほら歌えよ、お前の歌だぞ!みたいな。素直じゃないけど祝福している。タイトルもね。(Bless Your Breath)初音ミクが生まれたことを祝う曲。私には呪いの歌に聞こえるけれど…。「祝(呪)ってやる!」みたいな感じだと思います。
言葉はまた 風になって
未来へ繋がってく
歌詞(?):マジカルミライは、初音ミクの未来へ無限に繋がっていく創作文化を体験できるイベントです。この曲はマジカルミライの曲。なんだかか誰だからわからない「初音ミク」は、たくさんの人の初音ミクという何かを背負い、未来へつながっていきます。
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とまぁ、解釈はこんな感じ。
全っ然ポジティブに受け取れません。
というか、PV。どうして最後まで地面に落ちていった色のない小さなミクは拾い上げられなかったんだろう。
いらない、のかな。
初音ミクの「Appearance of life」を一言でいえば、「生まれてしまったあなたへ」なのかな。エゴの塊のような言葉なんかじゃなくて、初音ミクの真実を表す言葉。
まぁ、たったひとつの曲が初音ミクの真実になることはありえないんですけどね。
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私はこの曲が、砂の惑星より刺さりました。
だって砂の惑星って、過去と比べた…いうなれば過去の人が過去を見ながら今を歌った曲。
高坂がボカロを聴き始めたのは2014年の夏頃。既にハチさんはいませんでした。知ってはいましたけど。うーん、そもそもPさんで曲を選んでいなかったので、知らないといっても過言じゃないかな。
でもこの曲は、今の人が今の初音ミクについて今という時間に未来のために歌っている曲。和田さんが言葉を紡いだんです。マジカルミライにぶつけるために。
初音ミクは一人じゃないです。そもそも「一人」と形容することの方がおかしいと思ってます。でもこの曲に「ふざけんな!拗れた曲持ってきやがって!解釈違いだ!」みたいな…怒り?を覚えることはなかったです。
和田さんの素直で、まっすぐな寂しい気持ちがこの曲に隠れているから。「そんな君の誕生日を、お祝いできるかな…」って。それに、自分の音楽を自分で一生懸命やってきた和田さんの言葉だったから。
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自分でもわけがわからなくなってきました。要約します。
「生まれてしまった命」「生まれてしまったあなたへ」
命もあなたも 全てひとりの人間になってしまったミクのこと。
初音ミクはただの道具であったからこそ、自分自身を投影することができた。そんな使い方もできた。でもミクは大きくなりすぎて、道具だったのに、人格をともなってしまった。そんなものに自分の言葉を「預ける」こっとなんてできない。
「自分自身の音楽」を作っても、けっきょくミクという人間に食べられてしまう。
自分の音楽をミクに捧げる人ならそれでいい、むしろ本望かもしれない。
でもそうでない人もいる。そんな人に君は、ミクは必要ない。人格を伴った存在は。
人格を伴ってしまったひとつの初音ミクも、ミクという自分に音楽を捧げてくれない人なんて必要ない。
「歌う」という演奏方法は、今まで自分の声しか使えなかった。でもVOCALOIDの登場で、自分以外の声で歌うこともできるようになった。しかしその歌が、自分のものではなくVOCALOID、初音ミクのものになってしまうなら、もうミクに言葉を預けることはできない。
ブレス・ユア・ブレスは「今の初音ミク」を徹底的に、ありのままに綴って、それを和田さんの代弁者である初音ミクという歌声が歌う。そんな感じ。
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ブレス・ユア・ブレスの解釈に対し、ひとつの模範解答が示されましたよね。
これです → これ
ものすんんんんんごく納得しました。やっぱりこういう意味だったのかって。
リスナーに呼びかけるようなフレーズ、なんてそんな…ちゃうやろ…(独り言)
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と、高坂はこのように、ブレス・ユア・ブレスをポジティブに受け取れませんでした。フォロワーさんなら高坂のツイートからわかるかもだけど、ちょくちょく呟いていました。
あなたはどうですか?「ブレス・ユア・ブレス」、楽しめそうですか?
それではまたTwitterで会いましょう。
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追記
どの事件かは口に出さなくてもわかると思います。このnoteはほんとに今日投稿する予定でした。
このnoteの中には今日投稿するからこそ不謹慎と受け取れるような文章もあるかと思います。そこはごめんなさい。