活動ができないし、一回しんだし、見上げた天井に紫の悪魔がいた
久しぶりの更新です。
タイトルは関係ないです。
予定では、今年中にしばや まさる、新刊を出します。こいつが始まりなのか終わりなのか分かんないけど、ある意味で、ひとつの壁だった。越えなければ書くことを続けることもやめることも、言い換えれば生きることもできない。そんな壁、みたいな本。また宣伝できりゃあいいなあ。本気で作りすぎたからあまり宣伝もしたくないけど(え?
ただ、一回しんだのはまあ、最近のはなしで、これがあったからこそ気付いたこともありまして。
委託本扱って一年少し、結論としては0の僕が0の場所でやったら、結局1になり、そうなると徐々にあらゆる場所で起こることと同じことが起こっていくのかな?ぐらいな感覚。つまり、文学好きは寄るし、僕に慣れてしまった人も寄る。初見であっても売れる時は売れる。そんな感じ。規模の差こそあれ、純粋な読み手なんていうものは、「僕が決める」ものではない、ということ。
それでも委託させて頂いた作品に間違いはなかったな、とも思った。一年間で読んだ作品数はまあまあな数にはなってきた、発掘できてない方ももちろんいる。でも、当時最強の布陣は現時点でも概ね最強だった、ということ。
ここを語ると長くなるし、今回スマホだから面倒だし、あれだけど、概ね、というのは、やっぱり書き手が進化することや、新しく強い書き手を知ることもある。
新しく強い書き手、作品は、独断と偏見で紹介してもいいかもしれない。委託というタイプではない方で、それ故つよい、という方もいる。または、僕にとってひとつの作品が鬼のように強い場合もある。
と、話は戻るが、間違いではなかった。というのは、やはり当時から委託させて頂いている作者の作品は少なくとも僕に合っていたし、ほぼほぼ全てにおいて強い。強い、というのは面白いということとイコールではなく、面白いものが生まれる確率が高い、に近いのかもしれない。
ここが気付いた部分であって、肝というか……僕はそもそも純文学の定義も分からなければ、同人界隈も詳しくない。けれど、作品だけはそこそこ触れてきて、僕のなかには共通して苦手な何かがあるように思われた。それは「」内の語り口調であったり、ありきたりを避けるための安易な逃げのようなもの、のあとに訪れるありきたり。うまくは言えないが、漫画読みの僕にとって、そういう漫画知ってる、或いは漫画見てるみたいだなあ。は苦だった。アカン、長くなりそうだから駄目な理由はもうやめる。
ただ、強い作者には共通して、なぜそんな面倒な描写や設定をするのだろう?ということがままあった。それをひとことでいうならば必要だったからだろうな、と。 だから言いたいことはなんとなく分かるが入り込めないまま終わることもあるし、入り込んでも言いたいことが分からない場合もあった。それそのものは良いとは言いがたいが、他の作品を読んだ時、あまりにもするりと入り込めて、分かってしまう場合ができた。
多分だけど、あらゆる角度からほぼほぼ同じような場所を殴る人が、僕にとっての強い書き手だったのだろうと思う。そして殴る角度が殺人的なとき、強い作品と呼んだ。
はじめて強さと向き合った僕は、しんだわけだった。
今作ってる本と向き合った時、僕はさらにしんだわけだった。
ようするに僕は同じ場所を違う角度から殴り続けているようで、殴りやすい場所からしか殴っていなかった。
殴りやすい場所から確実に殴るだけならば、書くよりも簡単な方法はいくらでもあると思う。でも殴れないに等しいものをただの個人として、あらゆる場所から殴ってみることのひとつが書くことなのかもしれない。
色々落ちついて活動できるようになったら、まったり売っていきたいなあ。