【ブックレビュー】『科学哲学への招待』
概要
東北大名誉教授、日本哲学会元会長の著者が放送大学のテキストとして作成したものを書籍化したのが本書。『科学哲学への招待』と題しているものの、「科学史」「科学哲学」「科学社会学」の3分野にバランスよく紙幅を割いている。特に、手ごろな入門書が無い科学社会学の第3部がありがたい。ちょうどこの本を(時間をかければ)読みこなせるぐらいが、高校卒業時点で求められる読解力と教養のレベルなんじゃないかという気もする。
内容
第一部 科学史
歴史家のバターフィールドは「科学革命はキリスト教の誕生以来他に例を見ない目覚ましいできごとなのであって、これに比べれば、あのルネサンスや宗教改革も、中世キリスト教世界における挿話的な事件、内輪の交代劇に過ぎない」と言った(『近代科学の誕生』)。
「科学革命(Scientific Revolution:大文字の科学革命)」とは、16世紀から17世紀にかけてヨーロッパで発生した、“自然観”の転換を伴う一連の科学的発見の総称である。代表的なものが、コペルニクスの宇宙論、ガリレオの運動論、ニュートンの万有引力の法則だ。科学革命以前に根付いていた古代ギリシアのアリストテレス的自然観は、(1)天上と地上は根本的に別の運動法則に支配されており、(2)天界では天球が円運動をすることでその上に乗った天体も円運動し、(3)地上の物体はモノ自体の「自然的傾向」と「接触によって加えられる外力」によって運動する、と考えられていた。コペルニクスが(2)を、ガリレオが(3)を、ニュートンが(1)を打破し、アリストテレス的(目的論的)自然観から近代的(機械論的)自然観への転換が完了する。
17世紀の科学革命によって「知的制度」としての基盤を整えた「科学」は、19世紀に「社会制度」としての基盤——大学・学会・出版物(ジャーナル)を備えた。元来、プラトンが創始したアカデメイアを源流とする高等教育機関は幾何学や論理学から成る「自由七科」を扱う場所であったが、それは本来的には奴隷階級が携わるものだとされた「機械技術(mechanical arts)」を扱わないことを意味した。ところが、ナポレオン戦争以降、国家間の戦争を遂行するために工学的技術者養成するための専門教育が国家主導で実施されるようになる。それに伴って、実用を志向する新型の「大学」において職業として科学に従事する人々、すなわち「科学者」が誕生した。それまで金持ちの道楽として営まれてきた科学が、大学とともに学会やジャーナルを核とする専門家共同体の集団的営為に回収されたのである。この一連の過程を、「第2の科学革命」あるいは「科学の制度化」と呼ぶ。なお、この頃に「旧型の大学(スコラ)で教えられる哲学」という意味で神学が「スコラ哲学」と呼ばれるようになった。
第二部 科学哲学
物理学や数学の根幹を揺るがすような大発見を受けて、20世紀初頭に科学的知識の認識論的基盤(真理であると判断するための基準の体系)を再検討する「科学哲学」という学問領域が誕生した。20世紀科学哲学の金字塔はポパーの批判的合理主義(反証主義)だ。ポパーは、科学的法則に合致する個別的事例をいくら集めても「常にその法則が成立する」とは言えないが、その法則に反する事例(反例)を一つでも提示できたら「常にその法則が成立する」を棄却できることに注目し、「実証」ではなく「反証」を科学の基礎に置くことを提案した。その上で、実験・観察によって反証可能であるか否かを科学と非科学の境界線として設定し、「ある実験・観察結果が得られれば容易に反証されるが、いまだそのような実験・観察結果が得られていない」科学的命題こそ優れた科学的命題であると考えた。
それに対して、「実験・観察によって科学的命題の真偽を確定すること(決定実験)は不可能だ」と論じたのがクワインだ。科学的命題は相互に結びついて「知識の全体的なネットワーク」を形成しているのであり、ある科学的命題について反証が得られたとしてもその命題を即座に棄却する必要はなく、ネットワークのどこか別のところで調整を行うことによっても対応可能である。要するに、反証事例を取り込むような形で科学的知識を再構成する方法は複数あり、「正しい修正」を一つに定めることができない。例えば、「真空は存在しない」としたアリストテレスの自然観はトリチェリの水銀柱実験によって棄却されたように見えたが、アリストテレス主義者は「強い力が加わると空気(の純粋な部分)が水銀を透過して真空に見える空間を満たす」と主張することができた。
決定実験の不可能性をよりラディカルに捉えたのが、クーンのパラダイム論だ。クーンは、「観察という行為はなんらかの理論を前提としている(観察の理論負荷性)」と考え、理論から独立した「生の事実」を否定した。つまり、科学的理論を打倒するのは別の科学的理論でしかありえない。クーンは、あるパラダイム(理論の体系)が別のパラダイムに置き換わる過程を「科学革命(scientific revolutions:小文字の科学革命)」と呼び、科学は幾度の科学革命を経て不連続に進歩してきたという。
第三部 科学社会学
パラダイム論によって、科学の発展過程を記述するには「人々が観察結果をどのように受容するか」を解き明かすこと、つまり「科学者集団の生態学」が必要であることが認識された。社会システムに組み込まれたものとして科学を捉える「科学社会学」の始まりである。
科学社会学の中でもとりわけラディカルな主張が、「社会的条件は科学者の行動のみならず、科学理論のあり方そのものにも影響を及ぼす」と考えたエディンバラ学派の「科学的知識の社会学(SSK)」だ。中でもブルアは、人文社会科学のみならず自然科学の知識も社会的条件に制約されているのであり、科学者集団の社会的性質を明らかにすることで、彼らが採用するであろう科学理論を予測することができると主張した。宗教社会学が集団の社会的性質から信仰体系を予想しようとしたのと同様のことを科学で行おうとしたのだ。ブルアはその後「数学の社会学」と名付けるべき研究に取り組む。
SSKはその後、科学知識について相対主義の立場を鮮明にしていき、科学知識の確実性や普遍性を守ろうとする科学者と対立した。一時は意図的な偽論文投稿騒動にまで発展したものの、次第に双方が極端な主張を控えるようになり、現在は科学者と科学社会学者の健全な相互批判が模索されている。
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