受験で失ったもの
焼き肉90分食べ放題に行った。お店は雑居ビルの2Fにあるのだが、入り口が分からなかった。目的の店を素通りし、隣のガラス張りの一室に入りかけた。そこは床屋だった。危ない、90分切り放題にされちまうところだったぜ。もしそんなメニューがあったとしても、理容師の技術を拝見しながら、時間をかけて坊主に辿り着くだけである。
私は人生に一度だけ、坊主にしたことがある。18の時だ。校則を派手に破った訳でも、廊下ですれ違う野球部の1年生に挨拶されたかった訳でもない。母校の野球部は強豪で部員が多く、新入生は先輩を覚えるまで毛量で判断しているらしい。
18と言えど、坊主にしたのは浪人の頃である。受験に恋愛は不要。煩悩を断つのに丸刈りは効果的だ。しかし、私は宅浪していてそもそも家族以外には会わなかった。私が頭を丸めた真の目的はギャグであった。実際、赤鬼が白ブリーフを履くくらい似合わず、鏡を見る度に笑った。
宅浪のしんどさの一つは、勉強場所が限られることだ。私はケチで、図書館に通う電車賃も、カフェのドリンク代も渋った。とはいえ、ずっと部屋の机に向かうのは飽きる。そこで私が見つけたのは、風呂場だ。風呂イスに腰掛け、机代わりのダンボールを膝に置いた。
我が家の浴室の扉は透明だ。扉に「べんきょー中」と張り紙を張れば、もはや展示中の動物である。フクロウのように「タクロウ」と名付けよう。運がいいと、森永ラムネを震える手にこんもり乗せる禁断症状が観察できる。
坊主だったタクロウも、今ではパーマの大学生だ。初めてパーマの仕上がりを見た感動は、赤鬼が黒と黄色の横縞トランクスに巡り会った時に似ている。つまりパーマは私にぴったりだった。かけはじめたのは大学4年で、もっと早くすればよかったと悔やまれる。
1年生は教養課程で数十ものクラスに分けられる。入学式の数日後、各クラスごとに教室で履修ガイダンスが行われた。私は上は灰色のフリース、下は黒のジャージという、タクロウのユニフォーム( ≓ 休日のおっさんスタイル)で、椅子に腰掛けていた。席がほとんど埋まった頃だった。教室の前扉から、ショートヘアの美人が落ちついた足取りで入ってきた。耳に花形のピアス、黄玉の黒いワンピースを着ていた。胸が高鳴った。
ガイダンス中、私の意識は左斜め前方の彼女へ向けられていた。もしかしたら、あの子と話せるかも。もしかしたら、あの子と仲良くなれるかも。もしかしたら…
先生の話が終わり、自由解散となった。例の彼女は、近くの人達とおしゃべりしていた。私も同じだった。教室内の人がまばらになった頃、ふと前を見ると、例の彼女が前の席の男子と話してるではないか!絶好の機会到来だ。
が、私はすぐに帰った。その子と一言も交わすことなく。教室を出る時に振り返ると、彼女と目が合った。すごくかわいかった。
私には、自信がなかった。こんな素敵な方と、釣り合える男ではない。私のファッションは休日のおっさんだ。しかも、もみあげは極太マッキーペンで書いたような長方形である。こんな私に合わせるなら、貴方は味のり形のピアスにワカメ柄のワンピースを着なければならないでしょう。
またチャンスが来ることを期待したが、コロナ禍ゆえのオンライン授業。彼女にはもう会えなかった。
この挫折のショックを、イメチェンへのエネルギーに変えられてばよかったのだが、私はダサいままだった。「大事なのは外見ではなく中身だ。目標に向かって頑張っていればいつか素敵な人に出会える!」という考えを、私は手放せなかった。
入学後に素敵な人と出会えたのは、苦しい宅浪を乗り越えたご褒美だったかもしれない。しかしその後、手を取ってダンスを踊るには、自信と経験がいる。最近ようやく分ったことだが、外見磨きは自分に大きな自信をくれる。あの時既にパーマだったら、連絡先は交換できただろう。
もう一つ、彼女に声をかけられなかったのは、女の子とのしゃべり方がわからなったからだ。
タクロウして勉強に捧げた一年は、友人や恋人を作る練習を完全に放棄した一年であった。母親としか話していないのだから、女の子の前でしどろもどろになるに決まっている。幸福の鍵が、社会的な成功よりも人間関係の豊かさにあるとしたら、私は不幸になるために一年を費やしたのだろうか?本当に、勉強以外に時間を使えなかったのか?
卒論や就活が、少しずつ近づく。「それさえすれば充分と思える」時期が、再びやってくる。しかし、忙しさにかまけて対人関係の修行を怠ってはいけない。人との関わりは死ぬまで続くのだから。
風呂場に籠っていたタクロウよ、私は今年こそ、誰かのサン・タクロー・スになるぞ。
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