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《馬鹿話 727》 クリーニング
クリーニング店には、高級な毛皮のコートやプレタポルテ、取り扱いの難しいオートクチュールの洋服まで様々な衣料が持ち込まれる。
特に衣料に付いた染みは、クリーニング店の職人を悩ませる。
あまりに高級な衣装は、一般のクリーニング店では初めから引き受けないことも多い。
ニコニコクリーニングでも、染み抜きに要する時間と失敗した時のリスクを職人が判断し、通常以外の染み抜きは断っていた。
「徳さん、ウエディングドレスだけど、この染みを抜けるかい」と社長は職人の徳次郎に聞いた。
純白のウエディングドレスの胸元付近には、点々と何かで付けた染みが残っていた。
徳次郎は主人から渡されたドレスを受け取ると、明るい場所に持って行った。
光の下で、ドレスに付いている染みの正体を知ろうと、ルーペを使って観察した。
「社長、この染みは取れませんね」と徳次郎は社長に告げた。
「いったい何の染みだい」と社長は徳次郎に聞いた。
「これは涙の染みだから、取ろうと思ったら、涙の原因を教えて貰わなくちゃいけません」と徳次郎は言った。
「そんなことを言っても、このドレスを着ていた人は、もう亡くなっているからなあ」と社長は言った。
「昨日、このドレスの持ち主の娘さんが、母親の着たウエディングドレスを自分も着たいとおっしゃって、持ってこられたのだが、そのお母さんはもう他界されていると言うことだった」と社長は徳次郎に説明した。
「明日、店の方に娘さんに来て貰えないでしょかね」と徳次郎は社長に頼んだ。
「わかった、連絡してみよう」と社長は言った。
翌日の夕方、ウエディングドレスの染み抜きを頼んだ娘さんと、その父親と思える人物が店を訪れた。
「実は、この涙は私が妻に流させたものです」と父親は切り出した。
「私たち夫婦は、若い頃お金がなくて、結婚式を挙げられませんでした。ですから、せめて妻が亡くなる前に結婚式をしようと、3年前に小さな教会で身内だけで、式を挙げたのです。でももうその時は、妻は自分の身体のことが判っていましたので」
そう話すと父親は娘の方を向いて小さく頷いた。
「その日以来、そのまま妻が着たウエディングドレスは大切に仕舞い込んでいたのですが、こんど娘が、その時妻が着たウエディングドレスを自分も着たいと言い出しまして、仕舞っていた所から取り出しましたら、胸の処に染みがあったのです」と父親は話した。
「ああ、それで判りました」と徳次郎は言った。
「ちょっと、みなさんこちらに来て貰えますか」と言って、徳次郎はみんなを明るい場所に移動させた。
徳次郎はウエディングドレスを持ち上げると、明るい光に透かして見せた。
「よく、見てください」と徳次郎は娘さんと父親に言った。
「何か文字が見えるでしょう」と言うと判りやすいようにドレスの生地を広げて見せた。
そこには、よく見ると「おめでとう」と読める染みが残っていった。
娘さんと父親は、その文字を見ると思わず抱き合って泣いた。
傍らで、ことの始終を見ていた社長は徳次郎の肩を叩いて、「これ、落ちるかい」と徳次郎に訊ねた。
すると徳次郎は社長の顔を見て、「オチないねぇ」と言った。