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《馬鹿話 718》 行事
「今から、姫はじめを執り行う」と満男が、今年の儀式の開始を宣言した。
順子は「はい」と答えると、ゆっくりと歩いて満男の元に向かった。
誰が言い始めたのか分からないが、一年に一回行われるその行事は、今では重要な国民的な儀式となっていた。
「今年は、北北西でしたね」と順子は満男に訊ねた。
「テレビでそう言っていたな」と満男は磁石を取り出して、布団に置かれた枕の位置を北北西に向くよう移動させた。
「よし、これで準備はできた」と満男は順子に言った。
順子はスマホを取り出すと、画面を見ながら「あら、今年はまた儀式の内容が増えているわ」と言い出した。
満男は順子のスマホを覗き込み、「去年は確か、男は白い寝間着、女は赤い寝間着と決まったばかりだろう」と順子に訊ねた。
順子はスマホに書かれている、儀式の決まり事を読み始めた。
「1時間以上は行為に及んではいけない、1月2日を越えてはいけない、一行為につき一回、云々」と順子は決まり事を満男に伝えた。
満男は黙って順子の言葉を聴いていたが、「それで、今度はどういう決まりができたんだ」と訊ねた。
「今度は、明かりを点けてはいけないと決まったみたい」と順子は答えた。
一体こんな儀式をいつから誰が決めているのかと、満男は思ったが、世間で流行っているのだから今更文句を言わずにおこうと満男は思った。
「バレンタインだって、いつの間にか皆がチョコレートを贈っているし、節分だって、いつの間にか皆が太巻き寿司を食べるようになっている」
「いちいち、こんなことに文句を言ってもしょうがないか」と満男は独り言を呟いた。
「姫はじめって、面白いわね」
「こうして、どんどん行事が増えてくれば、それなりに楽しみも増えるし」と順子が言った。
「そうだよな」と満男も順子の言葉に相槌を打った。
「それじゃあ、準備も終わったから、そろそろ始めようか」と順子に言って、満男が時計を見ると、日付が変わるまで後30分しかないことに気づいた。
「急いでやらなくちゃ」と満男が順子に声を掛けると、慌てて順子が口に指をあてた。
「そうか、声を出しては願いが叶わなかった」と満男は思った。