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神は死んだ!ついでに俺も!
みなさんこんにちは。
なんで足速い人ってモテるんでしょうね?
あくまで仮説なのですが、多分瞬足のせいです。
瞬足のマーケティング戦略です全て。
瞬足という靴のブランドを特別なものにする為に…!
足速いという事を正義にしたんだろ…!!
そのために虐げられた、声なき者の声が聞こえますか?瞬足さん。
そうやって…運動が出来ることが全てだって…
カースト制度は足の速さが作ったんだ!!
全て瞬足のせいだ!!
シャトルランでゼェゼェ言ってる奴とか!
徒競走で1回も期待されたことの無い人の気持ちなんて分からないでしょう!!!
なんて、責任転嫁はさておき。
モテないのはその人のせいです。
今日は何を話していくのかというと、最近ちょっと思っていることについて話そうかと。
たらたらと書くだけなので悪しからず。
① 彗星は始まりか終わりか
彗星って綺麗ですよね。
ニュースとかでも話題になったりします。
私たちが彗星を観測すると
「うわあ…!綺麗!幻想的!」って思いますよね。
私たちにとってその時の彗星は、初めての出会いであり、輝きです。
でも、彗星自身はどうでしょうか?
長年宇宙を漂って、最後の輝きを地球で放ちます。
それは始まりなのでしょうか?
どちらかというと、終わりなのではないでしょうか?
彗星のように、物事って輝いているように見えているけども、実は落ち目だったりします。
そんな事が最近ありまして。
モノポリーの会をやっているのですが私。
やっているというか2回目をやったんです。
そこでは私が教える立場として、学んだビジネス知識をアウトプットしようと思っていました。
そのために時間を作って、本を読んで、インプットをしました。
それで当日を迎えたのですが、正直に言うと、全然モノポリーに勝てず。
教える立場として威勢を張っているのに、何をしているんだと。
これに関しては責任転嫁など出来ません。
10割私自身が悪いので。
次からどの立場で主催すればいいか分かりません。
もうやりたくなくなったのが正直なところです。
意気込んで、今後こんなことします!って言った結果がこれですか、何をしているんでしょう。
2025年、そんな始まりかと。
あまり書きたくないのでサラッと終わらせますが、
まあそんな事が最近ありました。
② 知らず知らずのうちに
いつからなのでしょう。
私は劣等感に塗れていました。
自己肯定感は高い方なので、別に自分をどうこうしてやろうとは思ってないですが。
吃音に悩んでいた中学時代とかもそこまでじゃなかった気がしますし、
高校時代もそこまでじゃなかったと思います。
いつからだったのでしょう。
いつも見る夢は大体決まってて。
何かにずっと追われているんです。
シュチュエーションも違うし、追ってくる人も違います。
ただ、ずっと追われている。
何から追われているんでしょうか。
不安感?焦燥感?劣等感?
なんなのでしょうかこの源泉の感情となるのは。
多分、劣等感だと思います。
自分なんて大したことないと思ってます。
自分が自分を1番信じれていないのかもしれません。
おそらく、格や肩書きに弱いのもここからなのではないかと思ってます。
感覚としてはこうです。
心という空に、雨雲が急にかかってくる感覚。
なんと形容していいか分からないもの、
確かにあるけれども掴めないもの、
それが心を覆ってくるんです。
③ 雲の流れる速さって
雲の流れる速さって結構違いますよね。
空をみてると思いませんか?
あれって風の強さによって変わるらしいです。
風が弱い時はゆっくりと動いて
風が強い時は早く動くらしい。
これって心を覆う雨雲も同じじゃない?って
心を黒い雨雲が覆うのなら、自分の周りに風を吹かせまくって早く移動させちゃえばいいじゃないかって。
そう思ったんです。
そう思った後に何をしたか。
稼動量を増やそうと思いました。
自分の不安を埋めるためには自分が動くしかない。
受験が不安なら勉強するしかない。
就活が不安なら対策するしかない。
デートが不安なら下調べするしかない。
人生そんなもんです。
学習を怠っているようでは、毎年何もしないくせに神に祈ってるやつらと一緒です。
まずは自分の足で動こう。
そう思って、最近は活動してます。
④ ツゥラトゥストラは語る
ニーチェさんって人がいます。
教科書に出てきた「神は死んだ!」ってセリフ、覚えている人も多いのではないでしょうか?
ニーチェが生きた時代は、西洋の文化や価値観が大きく変容した次第だそうで。
キリスト教が形作ってきた西洋社会の道徳や規範が、近代において、大きく失われていると。
科学の発展や理性の重視によって、神という存在がもはや人々の価値観を支える中心にはなっていない、という洞察から出た発言だそうです。
神から解き放たれた人類はなにを思うのか?
「何の価値もない意味も存在しないという感覚」
そんな感覚に陥ると。
私はその感覚の最中にいます。
何ができるんだ?出来たところでなんなんだ?と。
ニーチェはこう答えます。
超人、という従来の価値観に縛られず、自分自身の価値を主体的に作り出す存在になるべきだと。
私もそう在りたい。
そのために努力し続けるのみです。
数多く失敗してもいい。
失敗しかしてない気もしますが。
日進月歩で頑張っていきたいと思います。
さて、今日はこんな所で。
終わりにしたいと思います。
では、またお会いしましょう。