信濃国分寺境内の石碑に彫られた珍しい未発表と思われる回文歌を発見
(はじめに)
今年6月から11月まで、上田市教育委員会主催の古文書講座を受講しました。前々から、古文書が読める様になったら、趣味の散歩の途中に訪れた古い神社仏閣で、書かれた古文書が理解できるようになって、もっと楽しいだろうなと思って受講しました。とっても難しく、まだまだですが、少し読めるようになりました。そこで、42年間も信州に住んでいて、よく行く信濃国分寺の石碑の中に、珍しい未発表と思われる回文歌というのを発見しました。そのお話をします。
1. 回文、回行異文と回文歌
1-1. 回文
回文については、きっと皆さんもご存知と思います。
しんぶんし
たけやぶやけた
など縦書きだと上から読んでも下から読んでも、発音も意味も同じっていう文章になっているというものですよね。
発音だけの回文ではなく
漢字の回文もあり
山本山(やまもとやま)
これは海苔の宣伝で有名ですよね。これは発音では回文にはなっていませんが、漢字では回文になっています。
清家清(せいけきよし)
この方は有名な建築家ですが、この方も発音では回文になっていませんが、漢字では回文になっています。
1-2. 回行異文
これは、回文の一種かと思いますが、大変珍しいもので、縦書きでは右の行から左の行へ順に読む時の文章の意味と、左の行から右の行へ順に読む時の文章の意味が、全く逆になる、快文書です。
ここでは横書きなので、上の行から下の行へ順に読んで、つぎに下の行から上の行へ順に読んでください。下は、PHP研究所と未来屋書店が主催する文学賞「未来屋54字の文学賞」に発表されたものの様です[1]。
幸せになりたいの。
嫌よ、貴方と別々に
なんて・・・そんなの私
じゃないから。一生
私の愛する人は貴方
だから、おねがい。
驚くべきことに、読む方向によって文章の意味が、全く逆になっています。この作者、天才ですね!
私、この文章を「回行異文」と名付けました。回文の一種だと思いますが、日本語は、素晴らしいですね。こういう事も出来るのですね。
このように長い文章で回文や回行異文を作るのは、本当に難しいですよね。
1-3. 回文歌
なので、和歌は31文字で長いですので、回文にする=発音も意味も同じにする、というのは非常に難しいと思います。和歌で回文を作れるのは、一種の天才ですよね。和歌で回文になっているものを、回文歌というそうです。今まで回文歌というものを私は知らなかったので、ネットで調べてみました。回文歌というのは、驚くべきことに、900年前の平安時代後期からあるそうです[2]。
私が回文歌というものを初めて知ったのはごく最近です。それは散歩中に、読んだ石碑に書かれていたからです。
2. 信濃国分寺境内で回文歌
私は、いつも散歩に行っている近くの信濃国分寺の境内で、2024年10月に、今まで全く読まなかった石碑の碑文を読んで初めて回文歌というものがあることを知りました。なぜ今まで読まなかったのかというと、くずし字で書かれており、実は、読めなかったからです。
この石碑は、重要文化財になっている五重の塔の前あたりにありますが、大きな別の石碑の裏の奥まったところにあるので、特に注意して近づかないと、この石碑の碑文に気づく事はほとんどないです。それで私も近くに42年も住んでいて、この石碑に近づいて碑文を読んだ事はそれまでなかったのです。
この石碑は高さ2メートルほどで幅90センチくらい厚さ25センチくらいの大きな石板で、台の上に立っています。石板の表面にその由緒が彫られていれ、その石板の25センチくらいの板の厚み部分の右部分には、慶応二年丙寅年(1866年)に建立されたことが彫られ、左の部分には、一首の回文歌が彫られています。文字は全部、いわゆるくずし字で書かれています。そのため、現代人には、半分も読めないです。でも、私、丁度、上田市教育委員会主催の古文書講座を受講していたときに、このくずし字で書かれた石碑を見つけたので、このくずし字を解読しようとチャレンジしてみました。今回チャレンジ精神で、読み取った碑文は下記の通りです。
ただし、私のパソコンではくずし字表記が出来ないので、ここではくずし字の元となる漢字(字母)で表記します。誤読があればご指摘歓迎します!!!
2-1. 碑文表面の説明文
大倭豊阿し八ら能 国ふりとし亭 五音那利し年 六義楚登
奈し川々吟し亭 歌以なし古尓て 氏教や耳 茂亭し傳へ捺し八
そ八ゆ能も回文歌 登那舞いひ 傳へ亭古を 阿め川叶な
風調你巡り 与遊越々月 十一本学ひ得し八 信濃国更四里
注流藤原能明言 登いへ流人 半那耳有江保 計比天楚願日
登良佻可らて茂 己道ト感路 太乃満耳す しよの川毛年能違とも
与之年へ以まより情い回い婦登 祢可し亭
いふ迸可りにふし
従三位藤原保實書[3]
以上が、私が1ヶ月掛けて解読したものですが、大体読めない字が多数あり、字母がよくわからないので、読み下しが、7割くらいしかできませんでした。
でも今の所、私なりに読み下したのが次の通りです。
(読み下し文)
大やまと豊あしあはらの 国ぶりとして 五音なりしね 六義そと
なしつつ吟じて 歌いなし古にて この教やに もてし傳へなしは
そはゆのも回文歌 となむいひ 傳へて古を あめつ叶な
風調に巡り とゆおお月 十一も学び得しは 信濃国更四里
注る藤原の明言 といへる人 はなに有ほけひてそ願ひ
とら佻からにも己道と感る たのまにかしよのつねの違とも
よえねへいまより 情い回いふとねかして
この読み下し文、正しいのかどうか?ある程度意味は分かります。日本は、古より五音などを連ねて歌を作ってきた。その中に回文歌というものが伝えられている云々。しかしながらいくら読んでも、これで正しい意味に読み取れているのかよくわかりません。きっと、かなり誤読しているものと思います。どなたか賢者識者のご教授をお待ちしております。
また、石碑横左の部分には、珍しい回文歌が彫られています。
2-2. 石碑横左の部分に彫られた回文歌
登こし江尓 世々能こひ名久 すしあし寿く 奈比こ奈乃 代々尓経し古と
天通舎回翁
(読み下し文)
とこしえに よよのこひなく すしあしすく なひこなの よよにへしこと
天通舎回翁
これ確かに、回文歌になっています。上から読んでも下から読んでも発音は同じになります。しかし、私には、これまた意味がよくわかりません。
自分なりに、次のように解釈しました。
(意味)
永遠に続く恋はなく すしあし(?)少彦名(すくなびこな[4])は 代々言い伝えられてきた
どういうこと?何でここに少彦名が出て来るの?この解釈でいいのか??
(おわりに)
私が読み取った信濃国分寺にある石碑の碑文は上の通りです。すみません、まだ初学者の未熟者なので、読めない字が多数ありまして、正確とはいいがたいですが、御容赦ください。
普通そうなったら、今はネット検索しますよね。なぜなら、ネットを検索すればほとんどあらゆることが出て来るこの現代ですから、上記のこの回文歌、どこかに他にも出ているのじゃないかと一生懸命探しましたが、どこをさがしても出て来てきませんでした。信濃国分寺以外で未発表なのかもしれません。また、作者と思われる天通舎回翁という人も探してみましたが、全く、ネット上には見当たりませんでした。一般に知られていない幕末から明治の初めの知られざる歌人ようです。どなたか、和歌に詳しい方で、この回文歌や作者の天通舎回翁をご存知の方おられたら、是非、書き込みをしていただければ、大変嬉しいです。
令和6年(2024年)11月19日 随筆
*なお冒頭の写真は、信濃国分寺境内にある回文歌の石碑です。
参考
[1] PHP研究所と未来屋書店が主催する文学賞「未来屋54字の文学賞」
作者「麺と鳴くゆっケ(ↄ⅋ⅎ) @yukkemakki」さん、2018年7月11日発表作品
https://x.com/yukkemakki/status/1017060290536460289
[2] https://japanknowledge.com/articles/asobi/01.html によれば、
回文歌のいちばん古いのは、平安後期の歌論書『奥義抄』<藤原清輔著1124年~1144年成立>に「草花を詠む古歌」として載っている次の歌です。
むら草に草の名はもし備はらばなぞしも花の咲くに咲くらむ
[3] ふじわらのさねやす
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E4%BF%9D%E5%AE%9F
[4] Google検索:AI による概要
少彦名命(すくなびこなのみこと)は、日本神話に登場する神で、医薬の祖神、穀霊、酒造りの神、温泉の神として信仰されています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%93%E3%82%B3%E3%83%8A