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サイゴンが陥落した1975年アメリカに亡命した大学の同級生トゥルンさんは今どこに?

(はじめに)


 私は今(2006年)S大学の教員をしています。今年私どもの学科に、学科としては初めてベトナムからの留学生を受け入れました。その留学生N 君はホーチミン(旧名サイゴン)市の出身で、私が、彼のチューター(個別担任)にたまたまなりました。それで、私は31年ぶりに、R大学化学科の同級生だったトゥルンさんのことをしみじみと思い出しました。彼女はサイゴンが陥落した1975年、R大学の4年生でしたが、学業途中でアメリカに亡命しました。あれから31年、今どこでどうしているでしょうか。同級生としていつも心配しています。
 

1.サイゴンが陥落した1975年、トゥルンさんさんは


 それは1975年のことです。R大学化学科で同級生に、南ベトナムのサイゴンから1972年から留学してきていたトゥルン(Tran)さんという女の子がいました。
 トゥルンさんは3年生の春休みの1975年の3月に、数年ぶりにサイゴンに里帰りし、4月の初め、4年生の新学期が始まるのにあわせて、日本に戻ってきたばかりでした。しかし3月は平穏に見えたサイゴンが、4月に入って、北ベトナムの大攻勢により間もなく陥落しそうだとのニュースが流れました。
 そんな4月の初め、私と彼女は、R大学キャンパスの地下にある学生食堂で、久しぶりに二人で向かい合って、お昼ご飯を食べました。そのとき、彼女は、サイゴンの家族を心配するあまり今にも泣き出しそうな顔をしていて、動揺の色が隠せませんでした。彼女はいま日本にいるのに、彼女の魂はここにはないような感じがしました。私の言葉も半分以上聞こえてないような風でした。彼女の悲愴なあの顔がいまだに忘れられません。それからわずか3週間後の4月30日にとうとうサイゴンが陥落し、ご両親との連絡が取れなくなりました。
 トゥルンさんのお父さんはパリ会談にも出たほどの南ベトナム政府の高官だったと聞いていました。4月30日を境に彼女は南ベトナムという祖国がなくなり、そして仕送りも途絶え、このままでは日本で難民となり学業を続けられないという苦しい状況に追い込まれていきました。亡国の民のパスポートやビザに何の意味や権利保障があるのでしょうか。私は今もよくわかりません。しかし、その問題のうえに経済的にも彼女は苦しい状況に次第に陥っていきました。彼女はスーパーのレジ打ちのアルバイトを始めました。

2.学業途中で、アメリカに亡命


 そのような時期に、アメリカはその年の1975年10月までに旧南ベトナムからアメリカへ脱出してきた者には無条件で亡命を認めるとの声明を出しました。これがラストチャンスでした。当時の日本は亡命を事実上認めていない国だったのです。そこで彼女が、親戚のいるアメリカへ亡命するため、R大学の同級生は、彼女のアメリカまでの飛行機代をカンパすることになりました。

3.心残りなトゥルンさんとの別れ


 9月下旬、まだ夏休みでがらんとしているキャンパスの学而館と修学館の間の広い
通りを、まだ夏の装いの青い空をバックに、図書館の方からたった一人でトゥルンさんが歩いて来ました。学而館入口の前で、私は彼女とすれ違った時、彼女が立ち止まって私の方に向かって何か言いかけていたのに、私の方はちょっと先を急いでいることがあって、立ち止まりませんでした。一方的ににっこり会釈しただけで図書館の方へ通り過ぎてしまいました。
 私は当時大学院進学のことで頭が一杯だったのです。それであとでゆっくり話そうととっさに思ったのです。しかし、それが彼女と会った最後となってしまいました。今もどうして二三分のことなのに聞いてあげなかったのだろう、言葉をかけてあげなかったのだろうと後悔しています。私は、私の父母が1945年8月牡丹江市で満州国滅亡という亡国の憂き目にあい「引き揚げ」に苦しんだことをよく知っていたのに、友人が南ベトナム滅亡という亡国の苦しみの中にいて「他国へ脱出」しなければならない切ない思いのその時、自分のことだけで頭がいっぱいで、彼女に十分言葉をかけてあげられませんでした。いまだに後悔しています。あと半年で日本の大学を卒業できたのに、本人も本当に残念だったに違いありません。彼女を空港まで送っていくタクシーの中で、トゥルンさんの親友だった日本人女子学生のYさんがずっと泣いていた、と後で聞きました。
 

(おわりに)


 今、あのトゥルンさんはどこでどうしているでしょうか。あれから31年(現在48年)が経ち、時代が変わり、またベトナムからの留学生が日本に来るようになりました。本当に、あれから幾星霜という感慨を持ちます。
 
今年(2023年)、トゥルンさんが亡命してから48年も経っていますが、R大学同窓会の方では、もしかしてトゥルンさんのその後をつかんでいるのではないかと思い、亡命のいきさつなどを書いて同窓会事務局の方に問い合わせました。しかしながら、下記のようなお返事でした。
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そのトゥルンさんですが、学科の同窓会のデータにはありませんでした。全学の校友会にも尋ねてみましたが、やはり無いようです。残念ですが、卒業されていない状況ですので校友としての名簿に載らないのだと思われます。
お力になれず申し訳ありません。トゥルンさんが今もお元気にお過ごしであることを祈るばかりです。
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世界中の皆さん、どうやったら、調べられるでしょうか?!


上記の文章には、詳細な個人情報は伏せてあります。しかしながら、それでは調査が困難ですので、彼女のカタカナ表記のフルネームだけを以下に示します。彼女のフルネームは、トゥルン・チー・スン・フンといいます。私は残念ながらカタカナ表記でしか、フルネームを知りません。そのため、まず、ベトナム語が出来る越日の方に、これをベトナム語のアルファベット正書法で書き換えて頂き、それから、アメリカ在住の友人に何らかの方法で調べてもらうというのが、良いでしょうか。皆様に、もしよいアイデアがございましたらご教授いただければ幸甚に存じます。
 
2006年5月22-24日随筆
2023年5月13日 加筆
2023年5月29日 加筆
 
 
*なお冒頭の写真は、サイゴン陥落の日、アメリカ軍のヘリコプターに乗り込んで脱出する南ベトナムの人々の写真です。下記のURLの大分県日田市の願正寺のホームページから引用させていただきました。
https://ganshoji.com/publics/index/26/detail=1/b_id=1285/r_id=15856/
 
 

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