信州大学繊維学部の「針塚賞」の歴史
はじめに
信州大学繊維学部では2004年3月の卒業式から、各学科1名、学業人物共に最も優秀なる卒業生を、顕彰するために「針塚賞」を授与することとなりました。この賞の由来は、繊維学部の学祖、つまり上田蚕糸専門学校(旧制)の初代校長の針塚長太郎先生に因んでいます。
針塚長太郎先生
針塚先生は大変に立派な方で、当時の勅任官、つまり天皇陛下の勅令により赴任した校長先生でした。そのため、従三位を、後に正三位を、国から授けられています。昔、私の高校の化学の先生は、戦前の広島高等師範学校卒で、勅任官だと言われていました。戦後生まれの私達にはよく解らなかったので、同僚の老先生に説明して頂いたところ、勅任官というのは、天皇陛下の御命令(=勅令)により、任官するもので、この場合任官と同時に、従五位とかの身分も与えられるのだと言うことでした。従って、勅任官というのはエリートというのと同義語であったと言うことでした。これは、奈良時代や平安時代から続く国家公務員のキャリア組を処遇する制度だったのだそうです。確か、今もこの制度は生きていると思います。昨年(2003年)イラクで銃撃を受け殉職した奧大使も、その公務中の殉職に報いて、位階は従四位を、勲章は旭日中綬章を受けられています。
写真1:信州大学繊維学部付属農場の建物脇にある石碑「蚕霊供養塔」。書は、信州大学繊維学部の前身上田蚕糸専門学校(旧制)の初代校長針塚長太郎先生による。
このように針塚先生は勅任官で大変立派な方でした。同時に大変教養のあった方で、書は誠に達筆でした。大教養人は達筆であるというのが、日本語のワープロが出来るまでの2000年間近く、万人の認める基準でした。先日、信州大学繊維学部図書分館の季刊紙Libraryに書かせて頂いたように、針塚先生の揮毫の書は繊維学部キャンパス内に、私の知るところ、2つ残っており、1つは農場の建物脇にある石碑「蚕霊供養塔」、もう一つは旧千曲会館の一階日本間にある掛軸「啄徒啄師(たくとたくし)」です。どちらも、実に流麗達筆で、大変感心します。明治維新後、日本の近代化の礎になったのは、蚕糸業でした。その蚕糸業を育成発展させるために、群馬には富岡製糸工場が、そして信州上田には上田蚕糸専門学校が作られたのです。
詳細はnote記事「信州の科学技術と歴史」の第3章をご覧ください。
https://note.com/ko52517/n/n685c275df540
上田市内に残る針塚先生の墨跡
最近、日頃の運動不足を解消するために、私は休日テーマを決めて市内を長時間散歩しています。車に乗らず自身の足で、市内を歩き回ると、本当に色んなことを発見します。先ず、一ヶ月くらいは水辺を歩くのをテーマにして歩き回りました。市内の常田池や矢出沢川に、冬、沢山の鴨が飛来して越冬していることや、美しく歴史を感じさせる矢出沢川には、何と鴨ばかりか、大きな錦鯉も泳いでいることなど、今まで20年以上も上田に住んでいて全く知らなかったことなどがわかり、大変散歩が楽しいものとなっています。先日は、市内の神社仏閣をテーマに歩き回りました。
そこで、針塚先生の書が、繊維学部のキャンパスの外でも上田市内に10か所を越えてたくさん残っているのを発見して大変驚きました。たとえばその一つは、常田地区にある毘沙門堂の入口に建つ石柱2本のうちの1本です。右の石柱がそうで、「指定保存史跡 毘沙門堂阯 長野縣」という書です。石柱側面に昭和六年五月に建てられたとありました。その反対側の石柱側面には「従三位勲二等針塚長太郎書」とやはり明記されているので判りました。この石柱の文字は、上田市常田の住民の有志が、後世の明治・大正・昭和初期の大教育者であった針塚先生に頼んで、書いてもらったようです。このことからも、針塚先生が如何に当時の市民から敬愛されていたことがわかります。なお、境内には、二つの碑、「鳳山禅師追福之碑」と「龍洞鳳山禅師碑文」があります。2つとも昭和3年に常田地区の有志の方々の募金で建てられています。活門禅師に対する追福之碑は、漢文書下し文の名文で、読んでみると、大教育者の人格を彷彿とさせ、大変感動します。また、この碑上部には、何と佐久間象山の直筆の篆額(篆字による表題)が揮毫されています。こんな所に幕末の偉人の直筆があるなんて、何で今まで知らなかったのだろうと、悔やむほど感激します。針塚先生も、きっと二人の偉人の学識に感激して入口の石柱の書を引き受けられたのではと思いました。詳細は前回のnote記事「信州のレオナルド・ダ・ビンチ」をご覧ください。
https://note.com/ko52517/n/n2a0d13f67238
写真2:常田区毘沙門堂門碑。右の石柱「指定保存史跡 毘沙門堂阯 長野縣」の書は、信大繊維学部の前身上田蚕糸専門学校(旧制)の初代校長針塚長太郎先生による。
その他、著者が、上田市内で見出した、針塚長太郎先生の墨跡の写真を、下に掲げます。
写真3:上田市内横町公会堂前太神宮献灯。この書は、信大繊維学部の前身上田蚕糸専門学校(旧制)の初代校長針塚長太郎先生による。
写真4:中央東愛宕神社境内。この書は、信大繊維学部の前身上田蚕糸専門学校(旧制)の初代校長針塚長太郎先生による。
写真5:上田城三吉米熊後背銘板。書と文章は、針塚長太郎先生。
写真6:上沢公民館横碑。書は、針塚長太郎先生。
写真7:荒井宅内(林之郷329-1)功農碑とその除幕式当日の宴会の写真。昭和の初め頃。宴会の写真は荒井氏に見せていただいたもの。
写真8:旧丸子町塩川坂井信号近横堂笹澤先生之碑。書は、針塚長太郎先生。
写真9:丸子公園内下村碑。書は、針塚長太郎先生。
写真10:築地区弓立神社横上野翁堂碑。書は、針塚長太郎先生。
写真11:築地区弓立神社社殿改築記念碑。書は、針塚長太郎先生。
写真12:沢山湖記念碑。書は、針塚長太郎先生。
写真13:矢沢公園内蚕霊供養之塔。書は、針塚長太郎先生。
これ以外にもまだ、著者が見出していない、針塚先生の墨跡が、上田市内に残っているかもしれません。もし、ご存知でしたらご教授いただければ幸甚に存じます。
針塚賞
この上田蚕糸専門学校(旧制)の初代校長、針塚長太郎先生<<在任期間:1910年(明治43年)8月13日 ~ 1938年(昭和13年)3月31日>>にちなんで、「針塚賞」が設置されました。「針塚賞」は、戦前、上田蚕糸専門学校の全学科卒業生の中で最優秀の者1名を表彰する制度として、かつて行われていたそうです。昔は、恩賜の金時計だったらしいです。しかし、戦後、上田蚕糸専門学校が、信州大学に統合されて、信州大学繊維学部となるなど、教育制度上も大きな変化があり、「針塚賞」は多くの人に長い間忘れられていました。そして最近までそのような表彰制度があったことさえほとんどの教職員が知りませんでした。2~3年前からこの表彰制度が議論されてきて、2003年度には最終的に名称が「針塚賞」となりました。しかし議論の過程で昔「針塚賞」があったことを知っていた人は皆無でした。それで本当に全くの偶然で同じ名称が付けられました。議論を重ねていた時、私はちょうど、機能高分子学科の教務委員で、私の出身の大阪大学には、大阪大学第2代総長であった楠本長三郎先生の名を冠した「楠本賞」というものがあり、大阪大学の各学部・学科の優秀な卒業生にこの楠本賞が授与されます。それで、私は、教務委員会で、「信州大学繊維学部の各学科で最優秀な学生に授与される賞の名前は、前身の上田蚕糸専門学校の初代校長である針塚長太郎先生の名前を冠して『針塚賞』としたらよいのではないか」と、その教務委員会で意見を述べました。それで、多くの方々から賛同が得られ、「針塚賞」という名称に決まりました。これは、初代校長針塚長太郎先生が非常に偉かったというのを、多くの人が知っていたからでしょう。でも、昔も「針塚賞」というものがあったことを知っていた人は皆無でした。本当に全くの偶然で戦前と同じ名称が付けられたのでした。
針塚先生の御遺族の方にこの賞の復活のことを学部長がお話ししたところ、大変喜ばれたとのことでした(2004年3月2日八森学部長談)。また、学内メインストリート中央脇の針塚先生の銅像と名盤が、ここ数年間台座から外されていましたが、2005年3月の卒業式までには間に合わせて復元されることが、2004年3月の教官会議で決まりました。そして、2004年9月に復元されました。今度の2005年3月の卒業式には、「針塚賞」を受賞した卒業生は、ここで記念写真が撮れることでしょう。また、OB・OGの方々には大変なつかしい像として昔のキャンパスをしのぶポイントとなることでしょう。
写真14:信大繊維学部キャンパス内針塚先生銅像。銅像左右は針塚先生の御曾孫・御孫様。2009年9月29日撮影。繊維学部百周年祭のとき。
おわりに
「針塚賞」が信州大学繊維学部に2004年3月から復活されたのを機に、以上のことを皆様にも是非知って頂きたく筆を執りました。毘沙門堂も信州大学繊維学部からも近くです。教職員の皆様、卒業生の皆様、そして現役の学生・大学院生の諸君、さらに、日本の近代化への歴史に興味のある全国の方々、是非、繊維学部キャンパス内にある針塚先生の銅像と、上田市内にたくさんある針塚先生の墨跡を訪ねてみてください。
*冒頭の写真は、荒井宅内(林之郷329-1)功農碑の除幕式当日の宴会のものです。冒頭の写真の左から2人目が針塚長太郎先生です。
信州上田之住人和親
2004年2月15日随筆
2004年2月17日加筆修正
2004年3月1-2日加筆修正
2004年6月13日加筆修正
2004年9月11-13日加筆修正
2004年11月15日加筆修正
2021年9月10日加筆