道祖神とパンデミック
令和2年(2020年)は、新型コロナのパンデミック(爆発的流行)で世界中が大混乱した一年でした。このような疫病の流行に、太古の昔から、人類は苦しめられ、それを何とか乗り越えてきた歴史でもあります。ここで、最近、信州の各地にある道祖神と太平洋全域にあるチキの役割を考えてみました。道祖神やチキの役割は、現代風に言うと出入国管理ゲートだと、最近、つくづく思うようになりました。
信州上田市での道祖神祭
信州では1月や2月は、道祖神祭がある時期です。私は、今信州上田市に住んでいますが、讃岐の出身なので、道祖神というのを、信州に来るまで見たことがありませんでした。どういう意味があるのかも全く知りませんでした。ところが25年くらい前に地元上田市踏入地区のPTA副会長をしたとき、道祖神祭を子供たちが担うために、初めて、地区の長老から、お祭りのあらましを聞きました。踏入地区の中には、11基の道祖神があり、それは昔、各集落の入口だったところに立っています。地区のPTAでは、その一つ一つを子供たちと巡って、新しいしめ縄を張り、各戸を回って道祖神のお札を配ります。さらに昔の50年くらい前までは、子供たちだけで各戸を回ってお札を配ると、各戸の大人から、飴などのお菓子をくれたものだったといいます。各戸へ訪ねて行った子供たちがお菓子をもらえることなどは、アメリカのハローウィンと同じで興味深いです。現在は、公会堂で、子供たちにお菓子や豚汁をふるまうように変わっています。
道祖神と入国管理ゲート
さて、道祖神がなぜ各集落の入口にあるのかですが、もともと道祖神は、太古の昔の縄文時代からあったようです。昔はよそ者が、集落に入ってくると、災いが起こると信じられていて、その災いが起こらないように、道祖神が村の入口に必ず立っていたそうです。よそ者が来ると、そのあと、今までないような疫病が蔓延することが多かったので、集落の外から何か悪い神様が入ってくるのだと考えたようです。それを撃退するのが道祖神なのです。2020年2月頃は、新型コロナウイルス発生源の武漢から来る人を、入国管理ゲートで、チェックしていましたが、世界的な大流行が始まってからは、外国からやってくる人や帰国する人すべてを、入国管理ゲートでPCR検査をしてチェックするように変わりました。まさに、この入国管理ゲートが、道祖神の役目だったのですね。
今昔物語に出てくる道祖神
昔読んだ今昔物語にも道祖神のお話があります。平安末期には、日本古来の道祖神は、位の低い神様と扱われるようになり、仏教の仏に生まれ変わったなどというような話が出てきます(巻第十三、第三十四など)。仏教流布による精神的圧力が、民衆の信仰に影響していたのがわかります。道祖神は、昔は九州や紀伊半島あたりにも存在したことが今昔物語からわかりますが、現在は、ほとんどが東日本だけに残っているようです。道祖神の原形は、丸い石(山梨県)や、男根をかたどった石棒で、縄文の信仰そのものです。最近、立命館大学の歴史の先生が、近畿地方で、銅鐸を信仰する弥生の集落のすぐ横に、石棒を信仰し続ける縄文の集落があったことを明らかにして、大変注目されています(https://phity.net/yayoi-jomonn-doguu)。近畿地方でもしばらくは太古の宗教も共存していたものと思われます。道祖神は大変興味深い存在です。
道祖神とそっくりなトルハルバンとチキ
韓国にあるトルハルバンは帽子をかぶった叔父さんみたいに見えますが、文字だけのもの(将軍票)もあります。済州島と釜山あたりに多いみたいです。このような村の入口にあるトーテムは、どうも道祖神と同じ役割のようです。太平洋地域でもチキと呼ばれるものがありますが、これも道祖神やトルハルバンと同じ役割を果たしていたようです。このチキは、私の調べた限り、南太平洋、ニュージーランド、ハワイまで広がっています。ハワイビショップ博物館内に、そのチキの太平洋地域での分布図が掲示されており、道祖神との関連が想像されて、私はとても興味深かったです。太平洋の民族は、大昔東アジアから徐々に拡散して最後はハワイまで到達したといわれているので、道祖神(チキ)の文化もその人たちと一緒に広がっていったものと思われます。
信州上田市野倉の夫婦道祖神
信州東御市常田の剣持道祖神
文頭の写真は、信州上田市踏入の道祖神祭‗文字型道祖神の例
信州上田之住人和親
2020年2月2日随筆
2021年1月11-22日加筆