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「ハッケン!上田の仏像」展に感動、全国の皆さんにお薦め

(はじめに)


 昨日の2025年1月20日、家内と二人で、JR上田駅近くのサントミューゼで開かれている、「ハッケン!上田の仏像」展に行ってきました。極めて素晴らしい内容で、本当に感動しました。田舎の上田に、こんなにいっぱい、全国区のお宝があるなんて、誇らしい気持ちに成りました。さすがに、信州の鎌倉、信州の学海[1]と謂われるだけあります。東京で開いたって良いんじゃないかと思いました。皆さんも是非、ご観覧ください。私からもお薦めです。「ハッケン!上田の仏像」展は必見!です。上田は東京から新幹線でたった1時間30分程しかかりません。
 この仏像展には、国重要文化財、長野県宝、上田市指定文化財など、68点が展示されており、見所満載です。私も家内も非常に、感動しました。
本拙文では、その中でも、特に私が感動した3つの坐像の写真5枚を以下に貼付し、それにまつわる興味深い日中留学・学術交流750年というお話を致します。

「ハッケン!上田の仏像」展チケット

1.      惟仙(いせん)和尚坐像、恵仁(えにん)和尚坐像


写真1枚目は、「ハッケン!上田の仏像」展のチケットです。
   2025年1月11日から3月9日の間開催されていることがわかります。
写真2枚目から4枚目は、上田市別所温泉地区の名刹安楽寺にある国指定の重要文化財、惟仙(いせん)和尚坐像と恵仁(えにん)和尚坐像です。

向かって左:惟仙(いせん)和尚坐像と、向かって右:恵仁(えにん)和尚坐像
惟仙(いせん)和尚坐像
恵仁(えにん)和尚坐像

惟仙(いせん)和尚は信州の出身で、鎌倉時代中期に宋に留学して修学しました。寛元4年(1246年)に、鎌倉建長寺開山蘭渓道隆と同船で、帰国しました。そして、惟仙和尚は、信州上田の安楽寺を臨済寺院(現在は曹洞宗)として中興、開山しました。恵仁(えにん)和尚は、惟仙和尚にしたがって来日した中国僧です。惟仙和尚の後、安楽寺の2代目住職となりました。 

2.      蘭渓道隆坐像


 
写真5枚目は、神奈川県鎌倉市建長寺から、今回お借りした蘭渓道隆坐像です。蘭渓道隆(1213-78)は中国の禅僧で、宋から日本に、惟仙と恵仁と同じ船で、来日しました。そして鎌倉・建長寺を開山し、建仁寺の11代住職もつとめました。日本に中国式の禅を植え付けた立派な中国僧です。惟仙和尚と恵仁和尚と深い付き合いのあった方なので、今回、この上田の仏像展に、是非、展示が望まれて、建長寺からお借りしてきたものと思います。蘭渓道隆という名前は、高校の日本史でも習い、大学入試でもよく出て来るので、ご存知の方も多いと思います。信州上田には、このようにこの方と縁の深い、惟仙和尚と恵仁和尚が、おられたのですね。

蘭渓道隆坐像


3.      信州における日中間相互留学・学術交流750年


 
 私が勤めている信州大学繊維学部には、中国人の留学生が大勢おり、こちらからも中国へ留学する日本人学生もおります。また、繊維学部には中国人の教員が3人います。したがって、ここ25年、盛んに、日中間相互留学・学術交流が行われています。
 そこで、今から10年ほど前に、中国の学術代表団が私どもの信州大学繊維学部に、視察研修訪問されました。その相互挨拶の際に、私が、「信州上田と、中国との相互留学・学術交流は、実は700年を超える歴史があります。その証拠に、上田市の安楽寺には、中国に留学した惟仙和尚と中国から上田に来た恵仁和尚の2人の坐像が、安楽寺八角堂下の展示室に、展示されています。」と申し上げたところ、中国の代表団も、また、信州大学繊維学部の先生方も、そのことを知らずに、大変驚かれました。私は、趣味で上田にある200全部の神社仏閣を訪ね回っていたので、このことを知っていたのです。中国の代表団の通訳の方が、その2人のお坊さんの名前は何ですか、漢字ではどう書きますかと盛んに聞かれました。私は日本語の発音の名前もうる覚えで、その上、漢字でどう書くのかその時はまったく思い出せず、説明できませんでした。なのでその通訳の方は中国語に通訳できませんでした。残念でした。今なら、惟仙(いせん)和尚は繊維(せんい)学部の逆だと覚えていたらよかったですね(笑)。
 私は、この展覧会で惟仙(いせん)和尚坐像と恵仁(えにん)和尚坐像を、初めて間近に見て[2]大変感動しながら、上述の日中学術交流団の時の話を思い出していました。

(おわりに)


 これらの惟仙和尚坐像、恵仁和尚坐像を展示している部屋には、サントミューゼの職員の女の方が一人監視員として座っておられました。わたしは、どうしても、私の感動とエピソードを話したくて、思い切って、その座っている45歳くらいの女の監視員の方に話しかけました。
 「惟仙和尚坐像と恵仁和尚坐像を、今回このように間近で見せて頂き、大変感動しました。そして、10年ほど前に、私の勤めている信州大学繊維学部に来られた中国の学術代表団とのご挨拶の席で、『信州上田と、中国との相互留学・学術交流は、実は700年を超える歴史があります。その証拠に、上田市にある安楽寺には、700年以上前に、中国に留学した惟仙和尚の坐像と、中国から来日した恵仁和尚坐像があります。』とお話ししたところ、中国の代表団も、信大の先生方もそれを知らなくて、大変驚かれていました。今回このように間近で見せて頂き、私は大変感動しました。」と語りかけたところ、その方は、立ち上がって聞いてくれ、そしてにっこりと笑いながら、「素敵な話ですね!」応えてくれました。
 
 

[1]  鎌倉時代、上田市・塩田平は、信州の学問・宗教の一大中心地で、「信州の学海」といわれました。全国から優秀な僧侶が学問の至高を目指して集まってきていました。
[2] 国の重要文化財の惟仙和尚坐像と恵仁和尚坐像は、普段は、上田市の別所温泉にある安楽寺にあり、境内の国宝八角三重塔の高台へ上る階段の途中に、特別なコンクリートの建物中に展示されており、ガラス張りで、近づいて見るには限界があります。今回の展示ではオープンで、近くから詳細にこれらの坐像を心ゆくまで見られます。したがって、今回の仏像展、全国の皆さんにお薦めです。
 
 
*なお、冒頭の写真は、左から、惟仙和尚坐像、恵仁和尚坐像、蘭渓道隆坐像です。これらを見てわかるのは、惟仙和尚だけが信州人特有のえらのはった顔をしています(笑)。
 
 
令和7年(2025年)1月21日 随筆

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