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信州上田市塩田の地名の起源はアイヌ語

(はじめに)


 
海なし県である山国信州の上田市には、なんと塩田という地名があります。私は上田に引っ越してきてから約40年になりますが、もとからの地元の人になぜ上田に塩田があるのかと聞いても、長い間、納得のいくその理由を聞いたことがありませんでした。さらに大変興味深いことに、ここ上田では塩田は「しおだ」と読み、「えんでん」とは読みません。瀬戸内沿岸で塩田(えんでん)を見て育った讃岐(香川県)出身の私にはとても不思議でした。そこで、最近、上田市の塩田(しおだ)という地名はアイヌ語起源じゃないかと思うようになりました。そこでアイヌ語からこの塩田について調査研究してみました。その結果、この塩田という地名は、アイヌ語や縄文語の『siop = 箱形の地形』からきていると考えられることがわかりました。そのことは、私が収集した多くの資料から考察して、確実と思えるに至ったので、ここでその話をしたいと思います。
 

1.    海のない信州になぜ塩田があるのかという疑問


 
海のない長野県の上田市に、塩田(しおだ)という地名があるのは非常に不思議です。私は子供のころ瀬戸内海に面した香川県に住んでいて、そのころは、香川県の海岸にはたくさん塩田(えんでん)がありました。中学2年生のときの昭和41年(西暦1966年)、三豊郡仁尾町(現在三豊市)にある塩田の脇の小屋を借りて一晩友達と3人泊まりがけで、理科の先生の指導のもと、風向きの観測をしたことがありました。今は、もうそのような「流下式枝条架併用塩田」はなくなり、「イオン交換膜製法」の製塩に変わり、食塩は工場で作られるようになって今日に至っています[1]。したがって、私には塩田は、非常に懐かしいです。しかし、海のない信州上田の塩田(しおだ)には、塩田(えんでん)は、今も昔もありません。上田に来て36年になりますが、どうして、塩田(しおだ)というのか私には非常に不思議でした。地元の人に聞いてもなぜ塩田というのかわかりません。そこで、塩田地区の地図を見てみると、南の大字前山には、塩野川がありその上流山裾には非常に古くからの延喜式内社塩野神社があります。塩野川下流には塩田平が広がり、その塩野神社の真北には、塩田平を挟んでまた山があって、そこの大字保野(ほや)にも、これまた非常に古くから延喜式内社で同名の塩野神社があります。同じ塩田平に同じ名前の塩野神社があることが、これまた非常に不思議です。しかし、これらの地名・神社名に共通しているのは、「塩」という言葉です。田や野、平は後から付けたものです。したがって、「しお」という言葉に何か重大な意味があると考えられます。一説に、大字保野地区で塩化カリウムという塩が取れたからだという話もあるらしいです。食塩の塩化ナトリウムならわかりますが塩化カリウムは何に使うのか、という疑問もあります。また、保野地区とは塩田平を挟んだ対面にある前山地区の塩野川や、塩野神社はどう説明するのか。こちらでは塩が取れたという話はないのです。そのため、この説では、塩田地区全体を説明できません。したがって、この説は根拠に乏しいと考えざるをえません。そこで、信州にはところどころに地名としてアイヌ語が残って居るので、私はアイヌ語ではないかと疑って、最近、調べてみました。
 

2.    アイヌ語からの新解釈


 
非常に納得できる説明をインターネットで見つけました。(http://hwm8.wh.qit.ne.jp/tentuku/k050403-1.htm
それによると、栃木県の山奥の地名として多数存在する塩のついた地名について、
「アイヌ語のsiop, suyop, suopは、もともとは箱を意味し、箱のような形の地形のことも表す。川床が、岩盤が箱のように深くなっているところ。両岸が絶壁で川底が岩の箱になっているところ。すなわち、アイヌ語や縄文語では『しお = siop = 箱形の地形』という。」
となっていました。ここで、siopの単語の最後のpはアイヌ語の入声音(にゅうしょうおん)で、日本語の単語は開音節なので入声音はしばしば脱落してsioになります。したがって「しお」はアイヌ語です。
 塩田平の真ん中から、周りを見てみると、確かに山に囲まれ箱形の盆地になっています。これは、塩田全体の地形そのものを表しているようです。このアイヌ語からの説明は、非常に納得がいきます。「しお」が箱型盆地と解釈できれば、舞田地区の塩野入神社は、名前の通り、箱形の盆地に入るところとして、地形と一致して納得がいきます。塩田(しおだ)の塩は、塩田(えんでん)には関係なく、箱形の盆地のことだったのです。
他の私のnote記事にも書いたように、信州上田は、もともとアイヌ語系の言語を話す縄文人がいたところへ、のちに全く異なる言語を話す弥生人が入って来て、共存したものと思われます。
 

3.    塩と箱の関係


 
ここで、山田秀三著作集 「アイヌ語地名の研究」第3巻58ページの、「冬部 塩部 (備考二) 」の項が、非常に参考になりました。
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(備考二)シュオプ(スオプ)原義「箱」、北海道では両岸が高く箱の形になった川の処につく名である。冬部沢は、この辺でも特に両岸が立って居るらしいが、箱(シュオプ)(例えば層雲峡の大函、小函)の形の処があるか、無いかも稍疑問である。
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この記述から、次のように考察してみました。
(1)それなら、上田市塩田でこの地形にそっくりなところがあると、私は気がついたのでもう一度行ってみました。上田市西前山地区の台地から、手塚地区を見下ろすと確かに細長い箱の形になっているのを発見しました。手塚地区の中を産川が流れ、その周りに細長い平地が続きその両側は崖や山になっています。西前山地区で塩野神社一の鳥居辺りや「塩田の郷マレットゴルフ場」辺りから、手塚地区を見下ろしてみるとよくわかります。
(2)そこで、Google mapで北海道層雲峡大函、小函をみて比較してみました。なるほど、平地が狭いが、そっくりです。他にも全国で、似たところがないかと、塩田、箱田で調べてみました。
(3)石川県鳳珠郡能登町大箱:ここは、上田市手塚地区ともっとそっくりです。能登は元々アイヌ語だし、ここの大箱は、大昔はシュオプと呼ばれていたところではないかと思いました。
(4)埼玉県茨城県笠間市箱田:上田市手塚地区の地形にそっくり。
(5)群馬県渋川市北橘町箱田:ここもよく似ており、台地と低地が細長く何条かになっている地形をしています。
 
以上から、塩田、箱田は元々同じ地形を表していたと思われます。塩は箱だと考えてよさそうです。
 

4.    箱田さんという姓の起源


 
 さらに興味深いことに、塩田広域区の中の手塚地区には、なんと「箱田」という姓の人が住んでいるのです。 そこで、「箱田」という世帯数を、ネット電話帳で引いてみました。驚くべきことに、「箱田」さんは手塚地区がルーツであることが分かりました。下の表1と2を見てください。
 
住所でポン! 2007年版 長野県 「箱田」 の検索結果
 
表1 長野県で「箱田」という姓の電話番号の世帯数の市区町村別苗字分布
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  世帯数 市区町村名
15   長野県 上田市
2   長野県 上伊那郡辰野町
1   長野県 茅野市
1   長野県 長野市
1   長野県 北佐久郡軽井沢町
1   長野県 埴科郡坂城町
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この表を見てわかるように、「箱田」さんは上田市に集中しており、ルーツは上田にあると考えられます。
 
表2 長野県上田市で「箱田」という姓の電話番号の世帯数の少地域別苗字分布
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  世帯数 地域名
5   長野県 上田市 手塚
3   長野県 上田市 新町
3   長野県 上田市 前山
2   長野県 上田市 別所温泉
1   長野県 上田市 本郷
1   長野県 上田市 五加
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さらに、この表2を見てわかるように、上田市の中でも、「箱田」さんは全員「塩田(しおだ)」広域区におり、特にその中でも手塚(小)地区が最も多いです。そのほかの世帯は手塚の極周辺地区に分布しています。したがって、「箱田」さんのルーツは手塚地区と考えていいです。
 
 1000年か1500年くらい前の昔は、ここは「塩田」だったのですが、その後、和語に訳して「箱田」となったものと考えられます。この地名の「箱田」が人の苗字の「箱田」になったのです。しかし、「塩田」も「箱田」も全く同じ地形を表していることは上に述べたGoogle mapの調査結果から明らかです。その後の源平の合戦の頃、この手塚地区に有名な手塚太郎光盛が出て、手塚氏の名前が、この地を「手塚」と呼ぶきっかけになったといわれています。手塚太郎光盛の話は平家物語にも出てきます。著名な漫画家の手塚治虫もここの手塚氏の末裔といわれています。そこで、今はこの地区は「手塚」ですが、昔は「箱田」、もっと大昔は「塩田」、さらにもっと前のアイヌ語系の縄文語を話していた原住民は、ここをsiop(シオプ)と呼んでいたのだと考えられます。したがって、{ siop(シオプ)→ 箱田 → 塩田 }という様に解読できます。
 

(おわりに)



私は、海のない長野県上田市になぜ「塩田」という地名があるのか、長年不思議だったのですが、もうこれで、塩田の地名の由来がアイヌ語であることは間違いないだろうと私は思います。
 
 
 
 
注 [1]  なお、1971(昭和46)年「塩業近代化臨時措置法」が成立し、約20年続いた流下式塩田による塩の製造が廃止され、日本では「イオン交換膜製塩」以外の方法で海水から直接「塩」を採ることが出来なくなりました。しかしながら、塩の専売制が1997(平成9)年4月に廃止されたのに伴い、現在では、また、昔ながらの海水を天日や火力で煮詰めて作る塩が、全国で作られて販売されるようになっています。
 
*なお、文頭の「入浜式塩田と流下式塩田が隣接した場面」の写真は、下記のURLの香川県宇多津町のホームページより引用させて頂きました。https://www.town.utazu.lg.jp/machi/tokushoku/rekishi/imamukashi/
 
 
平成30年(2018年)4月13-20日   随筆
平成30年(2018年)5月11日~21日 加筆
令和3年(2021年)1月11日~2月5日加筆
令和5年(2023年)11月20日    加筆
 

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