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犯罪者はわるものなのか、
正義はやめにしよう。
だし、正義はもうやめたい。
そう思う、帰省中実家にて、夜。
突然にカミングアウトするが、
わたしは、暴力事件に巻き込まれたことがある。刃物で脅されて、殴られた。高校生の時だった。
こんなにも突然日常が奪われるのかと思った。あっさりと。生きるか死ぬかを考える間も無く、怖さを感じる暇もなく、ただ呆然と目の前の現状を受け入れるしかなかった。
殴られて痛かったが、しばらくそれ以外感情が湧かなかった。
少なからず、痛かったし最悪だったし、怒りはある。でも、相手を責めたくないという気持ちが後を追って出てくる。
理由は、漠然としているが、
〝相手のさみしい目が、忘れられなかった〟というものが大きい。
極めて感覚的なところだ。
あくまでも、犯罪も暴力も許されるものではない、ということを大前提にすすめていきたいけれども、
殴っていたその人の目は、助けてくれと叫んでいた。
この人は、わたしに暴力する、うんと前から心に暴力された人だったのだと察した。
殴られたのにこんな風に感じてしまうことにも混乱していたし、ただの思い違いかもしれないとおもっていた。気持ちと事実の整理をするのにも時間がかかった。
けれども、のちに、それは思い違いではなかったと知った。その人はネグレクトされていたという事実を知ることになる。子どもの頃からひとりぼっちだったのだとわかった。
犯罪を起こした人が、全員がこういった人とは思わない。それぞれに理由があると思う。
だし、結果的に自分のことしか考えることのできない、独りよがりな行動だということは変わりない。
ただ、この人のことだけをとりあげるのなら、身体は大人になっても、心が大人になるにはやっぱり家族に育てられることが必要で、この人は大人になりたくてもなれなかったのだと思う。
もし、この人が子どもの頃にネグレクトされていると周りが知ったとしたら、助けてくれる人も助けたい人もいるはずだ。(それでも助けられないことが多いだろうが)
しかし、身体が大人になってしまったばかりに、自己責任という言葉に終始してしまう。
罪を刑務所で償うことで大人になれるのだろうか。
犯罪に限らないのかもしれないが、何か悪とされるものの背景には、悪と思われるものに傷つけられた過去がある。と、いうこともある。
(その悪と思われるものにも、また背景があるのだが)
この人は、悪者なのだろうか?
悪ってあるのか?
知らぬ間に正義を振りかざしてないか?
賛成・反対でも、正解・不正解でも、勝ち・負けでもはかれないものはたくさんある。性格だって、性別だって、病気だって、好きな人だって、能力だって、二極のどちらかだけを選択することはできないのだ。
答えのあるものなんて、少ない。
その二極の間のあいだをかいくぐろう。
だから、わたしは、正義という暴力をやめにするのだ。やめにしたいのだ。
あなたの正義は、本当に正義なのだろうか?
一緒に考えていこう。
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