今日の哲学
私のSF体験
マゾヒストだった俺は自己憎悪に耐えられなくなって、現存在分析をしてから子供の頃に帰るという技を使った。(厳密にはインナーチャイルドの表出)これは小説でよくあるトリック。限界状況で発狂したのもある。
気がついたら最初の歴史的存在だった。
もの凄いカタルシスが訪れたが、それは自我障害的なもの。なぜか内面悪を持った。
(先生も言ってたけど、父子関係が大事で村上龍とか戸塚宏は駄目になった父権を代行すると言ってるんだけどやり方が手荒すぎる。
俺は最初も自助努力後、
その夜は暴風雨だった。
彼は幼い頃、父が本にラインを引いていたのを思い出した。
雷が鳴ったとき、その時と全く同じ時間が流れている気がした。
と詞を書いた。
自分がタイムトラベラーになったような気がして鳥肌がたったが、後になってそれが自我破滅だったということがわかった。
我ながらイカれてたな。
限界状況体験は理性を破壊するのだ。
歴史的意識はかなり長く続いた。)
前書いた存在と内面悪である。
今日の哲学
存在と内面悪には深い関係がある。
自己の存在が歴史の中にいるとなると覚醒する。あえて悪の中に入り込むこともできる。自分が許せなかったものと同化するのだ。
例えば実存主義の帝王中上健次の出世作・岬ではあいつを許せない、でも切っても切れないとその悪と同化する。それはある意味快感である。ずっと心の快感が残る。しかしその後は悲惨である。それは病気の中に逃げ込む行為だからだ。ヤスパース論的に言うと人間は自分一人では解決できない限界状況に直面すると絶望し、挫折する。そこから理性による交わりとあるが人間には本能的なものがある。
病気の中に逃避したいという願望は精神病理学に出ている。ニーチェのルサンチマン論は斬新だが、現実には完全にルサンチマンがない、克服したなんて人はほとんどいない。
受け入れる=楽になるのが関の山である。
村上龍が中上健次に病気の中に逃げ込まずにと言ったのは有名だ。俺もその変のことを指摘されたことがある。