【劇場版からかい上手の高木さん】黄昏(たそがれ)と恋のロマンティックなお話
はじめに
『劇場版からかい上手の高木さん』、皆さんはもうご覧になりましたか?一回見終わった後、なぜかもう一回見たくなる不思議な魅力を持つ作品ですよね。
さて、本稿では作中最も印象的なシーンである。クライマックスの「時間帯」についての考察です。高木さんの見せる初めての表情、勇気を振り絞った西片。背景は夕暮れ時でした。
クライマックスが夕方というのは、思い出してみればいろんな作品に当てはまると思いますが、それはなぜでしょうか。今回は『からかい上手の高木さん』の文脈に沿って考察していきます。
万葉集に歌われた「たそかれ」
夕暮れ時の時間帯は、薄暗くなって向こうにいる人が識別しにくくなることから「誰そ彼(たそかれ)」(=あの人は誰だ)と呼ばれてきました。
この短歌は、ある男性に思いを寄せる女性が、雨に濡れながら彼からのプロポーズを待っている情景をうたったものです。
いつか言ってもらえるかな♪
好きな男の子に告白される夢を見た少女。目が合うずっと前から好きだった彼にいつかプロポーズしてもらえるようずっと待っていた女の子がいました。高木さんです。(セリフはアニメ3期1話参照)
現代ではジェンダー的な観点から、無批判にこのようなことを述べるのは避けねばなりませんが、
女の子は自分からプロポーズするべきじゃない。さりげなくアピールして、思いを寄せる男性に好きになってもらうんだ。
高木さんのからかいがさりげないかどうかはさておき、これが日本に古くから続く恋愛のおきてみたいなものです。
高木さんの「あざとさ」みたいなものは、女性しか行使し得ない特別な能力だと、筆者は勝手に思っています。
『君の名は』との共通点
言わずと知れた名作『君の名は』においても「たそがれ時」、「かたわれ時」という時間帯が作品を理解するポイントになっています。
主人公の瀧と三葉は、かたわれ時に時空を超えた出会いを果たしますが、その後互いの名前を忘れてしまいます。ラストのシーンで「君の名は」と問うのはまさに「誰そ彼」、「彼は誰(→かたわれ)」という言葉と重なります。
このように、黄昏の時間帯は男女を結びつける不思議な力があるんですね。
日本には古来、「言霊」という考え方があります。言葉には魂が宿るってやつですね。そして「名前」というのは、その人の魂であると考えられていたため、安易に他人に自分の名前を教えたりはしないものでした。
名を伝えることは相手に自分の魂を預けること。逆に言えば、相手の名を問うということは、その人を自分のものにしたいということ。つまり実質的なプロポーズになるということです。
それで、「誰そ彼」なんですが、『からかい上手の高木さん』の世界を楽しむ私たちがずっと知らないこと。それは高木さんおよび西片の2人の下の名前です。おそらく原作者である山本先生も、彼らに名を与えることは一生ないでしょう。
2人に名前をつけてしまったら最後、2人はたちまち高木さんファンたちに名前で呼ばれ、西片も高木さんもお互いのことを独り占めできなくなってしまいます。ファンも、原作者も、クラスのみんなも、2人の名前を知らなくて、2人だけが互いの名前を知っている。
みんなが見てないところではお互い下の名前で呼び合ってたり?
そんな世界観だったらおもしろいなーって思うのでした。
おわり
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