【映画感想】ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌

ぼくは田舎者なので、高校にはそれなりの比率で「ヤンキー」がいた。

ここでいうヤンキーとはアメリカ人ではなく、いわゆる不良を指す。

80年代の不良といってもいろんなタイプがあるが、なかでもヤンキーは髪をリーゼントやパンチパーマで整え、言葉使いは汚く喧嘩好き。愛読書は「ヤングマガジン」や「チャンプロード」。また中には改造バイクを所持し、そのエキゾースト・ノーストで三三七拍子を奏でるものもいた。

それらを踏まえたうえで個人的に条件を追加するならば、「ヤンキー」とは「ボンジョビ」や「モトリークルー」という言葉をアメリカのロックバンドの名前でなく、「変形学生ズボンの商品名」だと思っている連中だ。

高校時代をそういう連中に囲まれて学生生活を送った。とはいえぼくの通っていたのは商業高校だったので、そこに通うヤンキーは貸借対照表が読め、小切手の切り方を把握し、取引先からかかってきた電話に敬語で対応出来る(練習をしている)連中だった。「経済ヤクザ」ならぬ「事務職系サラリーマン不良学生」の巣窟、それが母校だった。

ファッションには無頓着だったので、しばらく制服は親が買ってくれた標準型のそれを着て登校していた。しかし前述のとおりの風体をしたヤンキー先輩から、

「これを買え。2万だ」

と無理矢理短ランとボンタン(ズボン)を押し付けられた。欲しいものがある時には都度申告しておこずかいをもらっていたほくがどうやってその2万を工面したのかは最早覚えていないが、以来その一式を着て通学するようになった。

不良同級生や先輩の部屋に遊びに行ったりはしたが、タバコを無理矢理吸わされることは無かったのは幸いだったといえよう。未だにぼくは非喫煙者である。その理由、「タバコは吸わない方が良い」と思ったのは、とある年配者からこう言われたからだ。

「高校生のうちは大人にしか出来ない事に憧れるだろ。酒とかタバコとかな。面倒起こすほど呑まなきゃ、たしなみ程度なら酒は呑めたほうがいいんだ。卒業して仕事はじめたら、付き合いで酒を呑むことになるからな。そん時に、『呑めないもので』と断ったら商売に響く事だってあるんだ。
だがタバコは止めとけ。『どうですか、こんど一緒に一服』なんて接待は無いし、お得意さんがタバコ切らしたからって一本二本分けてやっても、たいした恩にはならないんだ」

社会人経験を何十年も重ねた今、それは確かだった。この場を借りてその言葉をいただいた方には感謝したい。


「ビーバップ・ハイスクール」は当時ぼくの周りでも爆発的に流行った不良学園マンガで、言葉使いや態度、それから相手をリンチする時の手段として口の中に折った鉛筆を入れて殴るなど、真似する同級生や先輩が絶えなかった作品だ。

「高校与太郎哀歌」はその実写版映画第二弾で、劇場には行かなかったがレンタルビデオが出たタイミングで借りて来て、不良を含めた同級生たちと鑑賞した。本編中のギャグや喧嘩シーンで盛り上がる不良たちの中、ぼくはすっかり冷めていた。

棒読みの演技でスゴみを効かせる出演者たち。経緯が説明されないままぶつ切りで変わるエピソード。最も有効なかたちで使われる事の無い金属バット。マンガ版のウリであった「現在の不良たちのリアルな生活」は見た目程度で、「これならマンガを読んでた方が全然まし」という感想を抱いたまま、ただひたすらこのビデオが終わってくれるのを待っていた。


つい先日、約30年ぶりに本作を観た。


それほど面白くない、という感想は変わらなかったが、大人になった今鑑賞すると、当時はその理由が分からなかった数々の演出に関して、ある程度理解することが出来た。

タイアップ / バーター / スポンサーの意向、という言葉の指し示す意味である。

ヒロイン役の中山美穂はこの映画の前年にTBSのドラマ「毎度おさわがせします」でデビューしており、本編中に披露した下着姿やニプレスおっぱいショットは今でもお宝映像としてインターネットの大海原を漂っている。ルックスに加えその不良少女キャラは、当時のヤンキーたちは彼女を絶大なる支持を得ていたが、本人は「本当の自分とは違うキャラを演じさせられて嫌だった」らしい。

「ビーバップ実写版、ヒロインは中山美穂」という発表を知った時、周りの不良たちはたいそう盛り上がったが、皆その映画を観て唖然とした。我々が期待した中山美穂演じる女子高生は不良キャラではなくお嬢様で、「トオルくんっ、ヒロシくんっ」と鼻にかかった甘い声で仲村トオル(トオル役)と清水宏次朗(ヒロシ役)を叱っていたのである。

その悪夢は続編である「高校与太郎哀歌」でも展開されたが、三作目の「高校与太郎行進曲」で中山は降板し、あのキャラは一体なんだったのかという想いを残したままその後も映画は続いた。宮崎ますみ演ずる三原山順子のファンであったぼくは、中山を除いたヒロシ・トオル・順子というパリッとした主要キャラ構成になった事に胸をなでおろした。話自体はどうでもよかったのだけれども。

この作品のストーリーの感想については触れないが、仲村トオルのその後の主演作であり主題歌も歌った「新宿純愛物語」での彼の歌唱力や、ビー・バップの主演二人に心の底から裏切られた気分になるポスターでおなじみ「六本木バナナボーイズ」のヤケド具合に比べたら、本作における演出や脚本なんてまだまだ可愛いものだ。

それ以外の部分で、「高校与太郎哀歌」を再見して良かったと感じたのは、「どの女の子も綺麗に撮れている」ということだった。それは現ダイナマイト・関西、当時のビッグA演じるマンモスお妙においてもそうであった。

中山美穂についても、ビーバップという看板側から見ると邪魔でしかないミスキャストは、「中山美穂のファン」側からすれば濡れ姿含めファンサービスに溢れたシーンが多々ある作品となっていた。つまり本作は不良学生アクション映画であると同時に、アイドルのイメージビデオなど皆無だった当時(1986年当時のVTR国内普及率は、政府の消費者動向調査によると全世帯の30%程度)において貴重な「動くアイドル(中山美穂)を何度も拝むための数少ないメディア」だと理解できたのである。その点においては、撮影は実にすばらしい仕事をしていた。あけすけに言えば、

「ミポリンは可愛いなぁ♡」

と思えたのだ。余談だが彼女の顔つきはバングルスのスザンナ・ホフスに似ていると思うので、個人的には本作の彼女を「シルバースクリーンの妖精」と呼んであげたい。


だが、本作でどうしても納得できない点がある。それは徹底的にエロを排除している事だ。

主人公二人の中山美穂へのラブコール、トオルに惚れた中野みゆきの恋心というのはあくまで女性を出すためのエクスキューズでしかない。セックスしたい盛りのヤンキー高校生というのはほとんどが勃起しているか寝ているかというくらいの勢いで性欲盛んであり、彼女と二人で町を歩いていても、早くどこかでヤリたいが故に肩を抱いていたつもりがいつのまにかヘッドロックになって半ば相手を引きずって歩いているという光景を私の暮らした田舎で良く見たので、それらが排除された脚本に違和感を感じた。

だいたいこれだけ中山美穂を綺麗に撮っておいて、パンチラの一つも無いとはどういうことだ。中山でなくてもいい、役柄的にセックスについては開放的にみえる宮崎ますみのセミヌードくらいは出しても良かったんじゃないでしょうか。宮崎さん、ぼくはいつまでもあなたの役名「三原山順子」の元ネタである三原順子出演作「ハイティーン・ブギ」での彼女の下着姿シーンで満足しているわけではないんですよ! 「XX(ダブルエックス)美しき狂気」のヌードまで、ここからあと7年も待たなければならないなんて!

悶々としてまいりました。中山美穂は未だ肉体をさらけ出した本格的な濡れ場を演じていないので、今日の手慰みは美保由紀の動画で我慢しようと思います。

画面の中の君たちは、今でも若々しく美しい! ありがとうビー・バップ! あの頃の大事なコト(イマジネーションを限界まで振り絞った手慰み)、思い出したよ!

おわり

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