【映画感想】名探偵ピカチュウ
ポケモンはやってないんすよ。ゲームボーイ買ったはずだしその時期ゲームやってたはずなのになぁ。
調べてみたら理由がわかりました。その時期プレステ (とサターン) しかやってなかったんですね。1!2! 3! 世代で「いくぜ100万台!!」世代でした、俺のパートナーポケモンはクタタン (久多良)でした。
元嫁の所にいる息子はポケモンスルーで妖怪ウォッチ派だったんですよ。その辺の親バカ話はこのnoteに「映画感想:映画 妖怪ウォッチ 誕生の秘密だニャン!」「妖怪ウオッチと親子の絆」「【映画感想】映画 妖怪ウォッチ エンマ大王と5つの物語だニャン!」というエントリにしてあるので良かったら読んでみてください。
息子はもう中学生 (ダンボールに絵を描いてネタやる芸人じゃないほう) なので、現段階でこの映画を観たとしても何ひとつ食いつく要素がないと思うんですが、もしこの映画ができた時に彼が小学生で、しかも日常でポケモンのアニメを見たりゲームをしていたりしたとしたなら、さぞかし楽しんだだろうなぁというのはわかるわけですよ。
「あっ、あそこにxxがいるよ!」とか「今xxが通り過ぎた!」とかさ。そんな風に息子が興奮しているのを見られたなら、親は親でさぞかし楽しかったろうなぁ。
元ネタゲームは「名探偵ピカチュウ」。「ピカチュウに喋らせる (ピカチュウと会話でコミュニケーションが取れる)」という設定のゲームの映画化なんだけれど、考えてみるとそもそも映画化を見据えたゲーム化だったのかもしれない、と考える。ゲームやってないんでよくわかんないんだけど。
で、ストーリーは無。
つまり、あってもなくてもいいようなもの。映画という以上は何らかのお話がなければならず、ある程度筋立てていなければならず、しかも「こんなんポケモンじゃない」と言われない程度に世界観を保持していなければならないもの。
「人間がそんなに高く跳べるはずは無いから機械式のジャンプシューズを履かせよう」とか「恐竜というからには思い切りリアルにしよう」とか「ラスボス的存在のデニス・ホッパーの舌をCGIでスプリット・タンにしてみよう」とか、夢夢考えてはならない。ましてやエンディングで「何だよこのクソ映画」と思っている観客に続編を匂わせるような追い討ちをかけてはならないのだ。
まぁ次第点ですよ、次第点。日本のアニメやゲームをハリウッドで映画化する、という、結果的に負け戦の多いなかでよく頑張っていたと思う。それ以上の感想が出てこないというのもどうなのかという作品ではあるけれど。
リアル路線で突っ走ろうとしたら日本のみならず全世界のファンから大ブーイング食らって再キャラ設定・再レンダリングを強いられた「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」が、キャラが変わるだけで支持率が打って変わって伸びたように (つまりこちらもストーリーうんぬんの話では無い) 、ゲームファンが触れてきた、ゲームファンが人生を捧げて向き合ってきた「キャラに対する (見た目を含めた) 想い」というのは大事にしなきゃいけないんだなぁという気になりました。
続編の必要はまったくないけれど、「ポケモンたちが現実社会で人間と共存していたら」というifを映像化しただけでも充分意義はあったと思います。
p.s.
マンダロリアン のベイビーヨーダもそうですが、瞳が大きくてほっぺがぷっくりして頭身が低いというのは明らかに人間の赤子の特徴なんで、親御さんたちは見ていて我が子の〜2才くらいを思い出すはずです。あざとかわいいってずるいよねー、脊髄反射で「かわいぃー♪」って思うから別にいいんだけどさ、退屈な話を可愛さでカバー!! ということであればこれはアイドル映画なのかもしれない。
p.p.s
そういや当時一個だけポケモンのゲーム買ってた、Nintendo64の「ピカチュウ元気でちゅう」。喋ったことに対してまともなリアクションしないんでアッタマきて1日でやめちゃったけど。