【映画感想】ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー
アメコミ映画は好きだけれど、原作読んだり系譜を調べたりする程度ではない。
なので本作が発表された際にも、これは絶対初日に観なきゃ! 出来るだけ大きなスクリーンで! 一番見やすい席で!
というような感情も特に湧かなかった。
「アベンジャーズ」の時には、面白そうだな、これは劇場で観ようかなと思い、メンバーそれぞれが主役になっている作品を見直した。個人的に一番良かったのは「マィティ・ソー」で、つまらなかったのはアン・リー版の「ハルク」だった。
そのようにあらかじめ各キャラクターの性格や登場経緯が分かっているうえで観た「アベンジャーズ」は確かに面白かったのだが、改めて考えると予備知識なしで観ていたらどれだけ感想が違ったろうか、とも考えたくなる作品だった。
「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」は、そのアベンジャーズを製作したマーベル映画の最新作で、「アベンジャーズ・プロジェクト」の中の1作品という位置付けにあるらしい。
ガーディアンズとなるメンバーのヴィジュアルをはじめて見た際には、原作の知識もなかったものだから、正直その時点では、
「なんか今回はショボそうな話だな……」
と思った。特にあの木のやつ。
それでもまぁ周りの反応もいいみたいだし観てみるかという事で、しかしスクリーンの大きさとか設備とかどうでもいいやということで、最寄りの映画館まで出かけた。吹き替えで観ようと思っていたが既に当日の上映は終了していたので2D字幕版にした。150席ほどのスクリーンだった。
特に興奮した訳でも涙した訳でもなかったが、大変満足のいく一本だった。
SFアクションというお題目だが、実際には初対面同士が信頼感を寄せあうようになるまでの話が物語の根幹にある。最初はどう考えても今後行動を共にするとは考えられない関係にあるそれぞれが、その距離を段々と縮めていく。自身の野望や復讐よりも、自己犠牲や相手へのいたわりを優先するようになる。我々観客が現実世界では体験しえない荒唐無稽な設定やド派手なアクションの中、誰しもが体験したことがあるであろう孤立感、失望、そして友情や信頼といった要素が、細心の注意を払いながら積み上げられていく。アメコミ映画1作目の宿命である「どうしてそのようになったのか」に話の大半を割かなければならない事情について、ピンもの(スパイダーマンとか)のヒーロー映画よりは「すでにそれぞれのキャラが立っているぶんだけ」全体として楽しめた。
音楽も話題になった本作だが、'88年といえばL.A.メタルブーム真っ盛りの時代で、そんな中ぼくはBURRN!とか読んでたクチだったので聴いたことのある曲はそこそこあったものの、それが流れたからといってグッとくることはなかった(ぼくにとってはどれもが'88時点で既に懐メロとして捉えていた曲ばかりだった)。
いやぁしかし、木のやつがよかった。鑑賞前には全然期待していなかったこいつが、観たあとは一番好きになっていた。
3Dでも4DXでも上映されている本作品なので、戦闘シーンやお約束の「3D表現を体感してもらうためのこれみよがしな動きが付いてるカット」などはそちらのほうがまだ楽しめるのかもしれない。
ただ聞きなれない種族の名前や敵側から送られてきた刺客であるガモーナの身辺事情とか、比喩を理解しないドラックスとのやりとりでパッと字幕を読んだだけでは直感的に笑えなかったりしたので、吹き替えで観た方がもっとすんなり世界観を受け入れられたのかなぁとも思った(ぼくは基本的に吹替版で観たい派)。
エンディングでの「彼らは戻ってくるだろう」、という字幕に、それは是非観たいという気持ちになったエンドロールの果て、いつぞやとは見違えるように痩せ衰えた彼を観て、「吹替えはここの部分所ジョージがアテているのだろうか?」というどうでもいい疑問が沸いたぼくなのだった。
みてよかったです。おしまい。
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