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わたしが人生で成し遂げたいこと

「周りの大切な人がみんな幸せでありますように」

小さいころから、神社で、あるいは流れ星を探しながら、こんなことを願っていた。

偽善者にむしろ嫌悪感を抱く側であり、世界の平和を願う志の高さもない私は、自分の幸せや欲を願うことへのおこがましさと、世界ではなく周りの人であれば叶うのではという変に打算的ことを幼ながら考え、祈っていた。

ただいつしかそれは願いというより、決心や宣言であることに気付いた。

「周りの大切な人が幸せであれば、すべからく自分も幸せに違いない」 

「まずは目の前の世界を大切にしたい」

どうか、心半ばで諦めるようにならぬよう、暖かく見守っていてください。
あわよくば、お力をお貸しください。

そんな気持ちで願いごとをしていた。


...

上記の文章を書いたのは、25歳、つまり約2年ほど前になる。
noteの下書きにいくつかある書きかけの文章のうちの、ひとつ。

もともと1年の振り返りをするためにnoteを開いたはずなのに、こんな仰々しいタイトルを付けたのは、書こうとしてた文章について、下書きに似たものがあることを思い出したからである。

その下書きを2年越しに開封し、こうやって文を連ねている。


前置きが長くなったが、
1年を振り返ったときの総括は以下の通りである。

「自分について、自分の人生について、誰かについて、どんな人生を送りたいかについて一番考えた1年」

2021年は、そんな年だった。
そこで考え抜いて何度も考えた人生で成し遂げたいことの一つは、2年前にも考えていたそれだった。


そんな1年の振り返りと、思考の旅を以下に記したいと思う。

...

1〜4月「躍」


5月までは26〜27歳までを綴った過去記事を参照してもらいたいが、4月から暮らしを変えたことで大きな出会いと、変化がそこにはあった


仕事も生活も全てが容赦なくスケジュールを満たしてくる日々は、正直自分が求めていたものであり、渇いていたなにかを徐々に満たしてくれていた。


その中で、はじめての感情について出会うことになる。

5〜7月「深」

とにかく人と話した。自分の話をし、相手の話を聞いた。

もともと、対話は好きだったが、楽しくない会話は嫌いだった。
自分の苦手にも向き合う、相手の視点で世界を見る。
時間を共にする。生活をする。

そんな中で見えてきた自分。
相手とのやりとりからぼんやり輪郭が見えてきた、自分。

人の幸せについて考えた時間。

今までのコミュニティとは、若干距離も置きながら、そんな旅をしていた。

歪んだ磁場の中で、なん年分かの思考と経験をしたような、そんな期間だった。

気付けば異動から1年経ち、夏。


8月〜10月「覚」

目が覚めたという表現が適切なのか。
ある意味での覚醒なのか。

いろいろなものを深海で見つけ、身につけ
もう一度水面に浮き上がってきた。そんな時期。

ひとつ仕事も落ち着き
今までに会っていた人達とも久しぶりに会えた

大好きだった世界を、また違う自分が味わい直していた、そんな自分をどこかで眺めていた自分もいた


11月〜12月 「結」

一旦崩れ、集め、再構築した自分
離れたものをまた集めて、集めていたものを手放して

実際の見てくれは変わらないかもしれないが
自分の捉え方はまた違う自分が出来上がっていた


1年間で、「すごい変わったね」という人もいれば
「いつものいわただね」という人もいるだろう
どちらも正しいのだと思う。



2022年「正義」

つらつらと抽象的な振り返りをしてしまったが
(読んでくれた人本当にありがとうございます)
2022年のテーマは、たまたま機会があって見よう見まねでやったタロット占いで出てきた正義(justice)のカードから拝借した

正義の女神が右手に剣を持ち、左手に天秤を持っているのが特徴です。剣は権力、天秤は正義・平等を表し、公平に権力を行使することを意味します。
(中略)
彼女があなたの正当性を認めた時は、その世界に入ることができます。
あなたはそこにたどり着くために、常に自分の良心に見られていることを意識していなければなりません。
jingukanより引用

このカードが出たとき、
自分でも怖いくらい納得がいった

2021年の内省の旅から出てきた問い、
「大切な人を幸せにするためにしていることが、その人をないがしろにしていないか」
「お前は誰を幸せにしたいんだ」

その答えに繋がる気がした

本来大切にしたいものを守るために戦っていたはずなのに、大切にしたいもの自体を忘れてはいないか

走り続けるうちに、大切な荷物まで置き去りにしていないか


2022年は、これからは、
その視点を改めて忘れずに過ごしたいと思う

そして
大切にしたい人の大切にしたいものを考えたとき
守るべきものはたくさんで
それを守り抜くことが私の正義であると気付いた



いつもありがとう、大切な人達
あなたたちのおかげで、私は走り続けられます


今年もなにとぞよろしくお願いします

2022.1.1

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