古き良きものの、進化に悲しくなる
おはようございます。最近夏が終わったかのような涼しさで嬉しいですが、西日本では豪雨や災害が続いています。何事もなくまた平穏な世の中になるよう祈願しています。
今回のテーマは、『古き良きものの進化をどう思うか』というものです。古き良きもの?それはレゴ(LEGO)です。
私のレゴのイメージ
レゴって、色々な四角の、カラフルな色のブロックを積み重ねて、好きなように形を作るもの。街を作ったり、車を作ったり、その正解のない自由さゆえに、飽きないおもちゃとして長く愛されています。
ちょっと前から
それが時代とともに変わってきてます。作れるものがあり、説明書を読んで、専用のパーツを使って、それを形作るものになっています。2〜3年前くらいにレゴのバケツを買いましたが、四角ブロック以外のパーツが沢山あって、細かくて、子どもは決まって『お母さん、コレ作って』と説明書を渡してきます。6歳になった今は自分で説明書を見て作ったり、自分で創作できるようになりました。
令和のレゴ
この間、レゴショップに立ち寄ったところ、マリオとのコラボシリーズがありました。コラボは前からあるのでなんとも思わなかったのですが、動かすたびにマリオの目が動く、声が出る、お腹の液晶が変わっていました。どうやら、敵やブロックに貼られているバーコードを読み取って、音が出たり、液晶が変わるみたいです。
哀しさも感じる
かつてのレゴは四角いブロックから生み出される想像と創造の世界でした。それが知育につながる、と思いきや競合との戦いなのでしょうか。作り方がかいてある、カッコいいものを作り上げるプラモデルのようにかわり、キャラクターとのコラボが生まれ、レゴにレパートリーが生まれ、今では、ITとの融合でマリオの世界観をレゴで作る、進化しています。
レゴの良さはそのままです。この進化を素晴らしいと捉えながらも、変わらないままではいられないことも感じさせる哀しみもかんじています。
※こちらはレゴを否定や非難しているものではありません。レゴは大好きですし、変わりゆくレゴに少し寂しさを感じている私の意見です。
次の息子の誕生日やクリスマスにレゴをねだられそうな気配…
さあ、今日も頑張りましょう!
では、また。
こなつ