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LFO「フリークエンシーズ」 (1991年)
レイブ・カルチャー華やかなりし1990年代初頭にイギリスで流行したブリープ・テクノ。ブリープ・テクノのミュージシャンとしてまず名が挙がるのがLFO。というか、ブリープ・テクノ≒LFOといって問題なし。
だからLFOを語ることは、ほぼブリープ・テクノについて語ることなので、まずブリープ・テクノから。
「1989年から1991年にかけてイギリスの北部、シェフィールドのレコードレーベルWarp recordsを震源地としたダンスミュージックのムーブメント」
「その特徴は、それまでのハウスに無かったような重低音のシンセベースと剥き出しの電子音。『ビコビコ』『ビキビキ』というようなフィルター全開のスクエア波のシンセ音。この音でアメリカのシカゴ・ハウスやデトロイト・テクノからの影響をストレートにあらわしたダンスミュージックをやっていたのがブリープ・テクノ」
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LFOのバンド名の由来は、シンセサイザーなどに搭載されているLow Frequency Oscillator(低周波発信機)から。初期はマーク・ベルとジェズ・ヴァーレイの2名によるユニットで、後にヴァーレイが脱退してベルのソロプロジェクトとなる。
彼らのデビューシングル「El Ef Oh!」は13万枚のセールスを果たし、UKチャート12位を記録。この後にリリースされたデビュー・アルバム『フリーケンシーズ』(1991年)は「イギリスでヒットした最初のテクノ・アルバム」と言われた。
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LFOを語るならWarpについても触れないとならない。
デビューシングル「El Ef Oh!」は、テクノの名門〈Warp〉レーベルの最初期のカタログNo.5のシングルだった。インディレーベルWarpの経営は、この成功で軌道に乗った。
このWarpからのちにエイフェックス・ツインやスクエア・プッシャー,オウテカ、ボーズ・オブ・カナダ、フライング・ロータスといったアーティストがデビューしていく。
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ここまでなら、ブリープはUKテクノの一つのムーブメントだったんだ、で終わる話。ところが、マーク・ベルのソロ・プロジェクトとなったLFOは、ビョークとの出会いによって一気にグローバルに大成功を収めることになった。
3rdの「ホモジェニック」(1997年)以降ビョークはLFOのマークをプロデューサーに選び、2011年の『ビオフィリア』まで制作に関わり続けた。ビョークとコラボレーションしたプロデューサーは多いが、一番マッチしたのはマークだった。
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アルバム「フリークエンシーズ」は、私にとってのオールウェイズ・フェイバリット。評論家筋には今時ブリープ・テクノを改めて取り上げる人はいないが、最小の音数で最高にバウンシーなブリープ・テクノはいつ聴いても楽しい。
今振り返ると確かに機材が古めかしく、一瞬「食品スーパーでこういう曲掛かってた」みたいな印象だが、そこは名盤。音同士の関係性が見えてくれば、機材のチープさなんて関係ない。むしろローファイの中に潜んでいる魅力の源泉を探り当てる喜びさえ感じる。
この動画は音質があまり良くないので、ストリーミングサービスで聴くのをおすすめします。
以下参考及び引用させて頂いたサイトさんです。
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