『ルックバック』原作未読者による映画版感想
手元にPCがなくてTarkov市に帰省することができません。暇なので帰省していた兄(長男)がオススメしてた『ルックバック』をPrime Videoで観ました。音楽の次に漫画が好きな男こと私ですが、なんと原作未読でした。映画もちょうど去年仙台に来てかなり忙しい時期だったので見ませんでした。あと、たぶん、ムカつくだろうなと思って見ませんでした。鬱の時って頑張ってる人間と成功している人間のことを見れなくなるんですよ。本当に。
なんかキレイだった
原作未読ですが、たぶん、こんなにキレイな作品じゃなかったと思います。トランス原作解釈不一致を起こしました。特に背景の写実感が、新海誠作品感があるというか、こんなキラキラすなよ、的な部分はありました。
あと音楽が荘厳すぎるだろと思いました。RADWIMPSか?個人的にはてけふろのdaylilyとか、fox capture planのアンメットのやつとか、そういう隙間のある音楽がノスタルジーの表現としてはいいんじゃないかと思いました。オーケストラ調は、なんというか、自然のデカさみたいなものを感じて、なんつーか、全体的に、映画化に際して、浅い、感じが、した。
一方で漫画的なコマの表現に寄せた演出もあり、そこはかなり良かったです。特に定点で藤野の背中を映すシーンはどれも良かった。
友情・努力、そして……
ストーリーの話です。原作からの改変はないのかな?という印象はしました。話は一貫していたと思います。
まず紛れもなく友情ストーリーで良かったです。藤野と京本の友情です。引きこもっていた京本を連れ出すとこ、SKET DANCEのスイッチ・オンかと思いました。これは間違いなくジャンプ作品です。これを百合とかてぇてぇとか言ってるやつは全員俺がツルハシでぶっ飛ばしに行きます。
あとは努力。京本の才能に嫉妬して筆を持ち、また京本の才能に絶望して筆を折る藤野。心臓いてえ、と思いました。でもその京本にとっては「藤野先生」と憧憬の対象であることを知り。中高を切磋琢磨しながら共に筆を進め。進む道を違い、また一人になり。藤野はジャンプのアンケートで徐々に人気を伸ばして単行本10巻で重版出来、11巻で色帯・アニメ化まで登り詰めました。
羨ましい。羨ましいほどの努力の才だ。格好いいです。何度壁にぶつかっても努力を止めない。主人公だ。
そんな中、京本が死んでしまう。藤野はまた筆を置いてしまおうと思ったが…………
4コマ漫画の栞
作中では何度か、4コマのプロットの細長い紙が、京本の部屋のドアの隙間に滑り込み行き来するシーンがある。ここが転換点、君の名はで言う『かたわれ時』。
最初のシーンでは小学校の卒業証書を届け、京本のスケッチブックを見て、藤野はふと4コマを書いてしまう。それをうっかり落としたことで物語は始まり、京本は藤野のアシスタントとなり、美大へ進学し、死んだ。
京本の死を、自分が京本を部屋から出したせいと後悔した藤野は、その4コマ(の2コマ目の「出てこい!」という言葉)を恨み、ビリビリに破いて、1コマ目の「出てくるなー!」だけが京本の部屋に滑り込む。
ここから1度目のシーンのルート分岐に入る。つまり京本が部屋から出なかった場合のif世界。その世界では藤野は空手の道に進み、京本は現実と同じように風景絵画に憧れ、美大へ進学し、殺されかける。そこに藤野が現れ、京本の命を救う。この世界ではここで初めて藤野と京本は対面し、誰も死なず、ここから藤野の漫画家への道が開かれる。
と、突然シーンは現実に切り替わり、ある4コマが京本の部屋から廊下で泣き崩れた藤野のもとへ出てくる。それはif世界の、殺されかけた京本を藤野が救うという内容だった。それを見た藤野は京本の部屋に入ったが京本は居なかった。窓が開いており、窓に貼ってあった4コマが1つ剝がれているのを見つけ、現実と知る。そして彼女が振り返るとドアは風で閉まっており、京本の半纏の背中に「藤野歩」のサインを見る。そして藤野は立ち上がり、また漫画を描き始める。ここで映画は終わる。
強い。藤野の不屈さに感服する。これは「勝利」だろう。バクマンのような明確な漫画バトル漫画ではない。藤野が漫画を描き続けるということが勝利なんだ。
藤野は、京本の自分に対する憧れに、それを象徴するようなジャンプ本誌、4コマ、そして半纏の背中に「お前が始めた物語だろ」と背中を押されたんだ。ここで立ち上がる人間の姿を、美しいと、俺は、人は感じるんだ。
if世界の解釈
ここは意見が割れるところだろうと思った。1つは超自然的な力で過去に干渉し、平行世界からのメッセージを受け取ったというもの。
でも俺はこれじゃないと思う。いや、これだと思う人の意見は尊重するが、俺はもう1つの解釈であってほしい。
もう1つは、ただの空想であるという解釈。超自然的な力などは存在しない、ただ現実だけがあるという解釈。俺はこれがいい。
空想だとすれば果たして誰の空想だろうか?藤野?は違うだろう。彼女は4コマを見て、自分が始めた物語の続きを書き始めたのだから。
だとすれば京本だろうか?京本の想像、と解釈する人の意見は尊重する。しかし、俺は違うと思う。なぜならば、京本は藤野と出会わなかったことなんか想像しない、そう思うからだ。
実のところ、誰の想像でもないというのが俺の解釈だ。言うなれば「タツキが勝手に書きました」ってとこだ。しかし意味としては大きなものを持っていると思っていて。それは例えば「藤本が部屋から連れ出さなかったとしても京本の未来は変わらない」とか「形はどうあれ彼女たちは出会う運命にある」とかではなくて。「京本にとって藤野は救世主で、憧れで、かけがえのない親友だった」ということだろうと思っている。
if世界は最後に藤野が見た4コマへ繋がるストーリーで、この4コマは、最初に部屋から連れ出してくれた藤野の4コマに対する、京本の返事のようなものだと思う。最後のコマで京本を助けた藤野の背中にツルハシが刺さっているのは「藤野先生」へのリスペクトだろう。京本は藤野の絵が大好きだった。死ぬまで。だから藤野は筆を折らなかった。藤野も京本の絵が大好きだったから。
キャラクター
藤野
主人公。冒頭のスカした小学生の時ウザすぎてキレかけた。鬱の最中だったら見れなかったと思う。俺はガキが嫌いなんだよ。あと運動できるやつも嫌いだ。まあでも俺はキレないよ、オトナだからね。
小学4年生にして京本の絵に衝撃を受ける。ここから狂ったように絵を描き続ける。正直、本当に羨ましいと思った。俺も小学生の時にこれほどの衝撃を受けたかった。俺も何かに出会っていれば空虚じゃなくなったのかなとも思った。
6年生にして同級生に「絵なんて卒業したら?」と言われ、俗(嫌な言い方だけども)に戻ってしまう。が、京本と出会って道は変わる。めちゃくちゃ羨ましいと思った。京本みたいな人間が周囲に居たら、どれだけ良かっただろう。
高2で京本と道を違う時に「あんたが一人で生きていけるわけないじゃん」と喧嘩する。いや良いですな。非常にね。止める理由はないから幼稚な理由で引き留めようとしている。いやはや全く友情というのは良いですな。
その後一人で漫画家デビューして単行本11本出す。いや矢吹健太郎かよ。天才すぎる。なんコイツ。令和ロマンくらい凄いぞ。
それでも親友の死に直面して止まりそうになりながらも進み続ける。強い主人公。俺は強い主人公が大好きなんだ。心が強ぇ主人公が。
京本
かわいい。ド級の引きこもり、ド引きこもり。藤野の憧れにしてライバルにして無二の親友。中学生で描いた読み切りのお金で遊びに行くとこかわいすぎる。これには26歳無職のおじさんもニッコリ。
藤野と漫画を描く途中で風景絵画に心を奪われ、美大へ行く決意をする。コイツも心が強ぇ奴だった。内心を吐露して藤野と喧嘩になるが、あまりに純粋な「もっと絵が上手くなりたい」という理由におじさんも涙。美大には一発合格していた。コイツも凄すぎる。
美大進学後は自分の活動を頑張り続けた傍ら、藤野のことを心から応援していた。天才の夭折というよくある設定のキャラではあるが、何か無性に魅力的でもある。
ちなみに舞台は山形らしいが、「東北の方言のイデア」みたいな喋り方で違和感があった。オレは東北の方言には厳しいんだ。
有象無象
他のキャラは大体ムカつくのでおれがツルハシで刺しておきました。
総評
まあ普通に結構良かった。
「創作をしている人間は絶対に見た方がいい」とか前評判でハードルが上がりすぎていたが、それでもまあ普通に良かった。ただキレイで荘厳なのだけが気になった。原作のシュールレアリスムが排除され、ポップに見やすくなっていると感じた(トランス原作解釈不一致マン)。
でも別に創作どうこうは何も感じなかった。羨ましい小学生だ、くらいしか。だってこれは友情・努力・不屈という勝利の物語だから。
俺が良かったのは「強くて才のある人間が」「いくつもの障壁にぶち当たっても」「無二の親友に背中を押されて」「歩みを止めない」という部分だ。俺が鬱で身を以て知ったことだ。友情は馬鹿にできない。弱さを乗り越えたときに人は強くなる。正しく週刊少年ジャンプだ。
今のタイミングで見れて良かったかもしれない。正しく見れた気がする。俺は一般的な大衆オタクのアンチだから。バイアスなく見れてよかった。
でも、これを「百合」だの「尊い」だの「クソデカ感情」だの「言葉にできない」だの浅い語彙で済ませている人間は真っ向からブン殴ってやりたい。
俺は映像作品を見るのには、実は普通の人より抵抗がある方だ。でも、少しだけ、なんか観てみようかな、と思った。是非オススメ教えてください。