弾き語り作曲とかいう、巨悪

 よく大学の軽音楽部でちょっと上手い人間とか、やる気のある人間なんかが作曲に手を出すことがある。その際に最もよく見られる典型的な方法が、「ギターボーカルが弾き語りの歌を持ってきて、リードギター、ベース、ドラム等各パートがそれに肉付けをしていく」というものである。ここではこの方法を「弾き語り作曲」と呼ぶことにする。

 おれはこれにキレている。弾き語り作曲は悪だ。誰が考えたのか知らないが、あたかも正解かのような、王道かのような顔をしている。みんなこれで曲を作る。同じような曲ができる。最悪だ。そんな作曲の何が面白いんだ。
 と、ブチギレはここまでにして、具体的な弾き語り作曲の大きなデメリットを3つ挙げよう。

1. コードと歌を中心とした音楽しか生まれない

 一番のデメリットというか特徴はこれだ。当たり前だが、弾き語りは歌とコードで構成されるので、弾き語り作曲ではコードと歌を中心とした音楽しか生まれてこない。コードと歌を中心とした音楽自体は全く問題がないのだが、それしか生まれないとなると、例えば4ピースバンドなのにギターボーカルにしか視線がいかないとか、そういうことが多くなる。バンドというより歌手寄りになってしまう。
 これを解消する方法はある。「周りが頑張る」だ。不公平だろ!!!!ふざけるなよ。ギタボはコードと歌だけ考えて、それを枷にして、ビートもリズムもハーモニーもソロも丸投げ?楽(らく)しすぎだろ意味わかんねえよマジで。
 基本的に弾き語り作曲では、「肉付け」する側に高い技術とセンスが求められる。対して弾き語り側に求められるのはセンスだけ。技術に関して不公平なんだ。

2. コードが進行しないことがない

 これは結構難しい話だけど。弾き語りが先行していると、どうしてもコード進行が先立っているように思える。曲は必ずコード進行の上にできているように感じる。
 実際は違う。コード進行は音楽に先立つのではなく、音楽が先にあり、その和音を抽出したものがコードであり、その進みをコード進行と呼ぶ。つまりコードは進行しなければならないものでは決してない。これはメタルを聴けば明らかで、コードなんて進行しなくても音楽なんだ。
 でも弾き語り作曲では所謂「コードの進行しない音楽」は作れない。なぜならそれは弾き語り的にみればあまり面白くないからだ。もっと言うと例えば1小節ごと、2小節ごととか限られたパターンしか出てこないことが多い。そもそも弾き語りは結構難しいので、難しい進行では気持ちよく歌えないからだ。歌メロもコード進行も同時にできる平易なものに限られてしまう。音楽はそんな狭くねえよ。

3. 同じような展開の曲ばかりできる

 これもそうだ。コードと歌が中心、かつそれぞれがある程度平易な場合、何で工夫をするのかと言うと。展開だ。わかりやすく言うと、AメロBメロサビ、ってやつだ。これにもおれはキレている。
 全部同じだろうが!!!!!!!展開がよ!!!!!!!イントロAメロBメロサビ2番Cメロラスサビアウトロみたいな展開の何が面白いんだよ!!!!!
 でも弾き語りで作るとこうなっちゃうのである。いや、かなり言い方が悪いが正しくは、弾き語りで曲を作るような人間の考える展開はこうなのである。これが巷に溢れてるので、日本の音楽はこうなのである。
 というか弾き語り作曲も展開も、結局はテンプレなんだ。この「テンプレ」が悪なんだ。いつの間にか我々の文化に忍び込みあたかも正解のような顔をしているのは、弾き語り作曲のみならず、それを含むテンプレの群なのだ。

テンプレという巨悪に対抗せよ

 弾き語り作曲にのみフォーカスを当ててブチギレをかましてきたが、他の作曲法はどんなものがあるかと言うと。
・デモ作成(一人が全パートある程度作る)
・セッション
・リフから展開
とかだ。……なんかイメージしにくい。よくわからない。他のパートのことわからないのに、デモ?リフから展開って?どう?
 それに比べて弾き語り作曲は非常にイメージしやすい。やることが明確だ。そういうものが「テンプレ」になるんだ。

 つまり「テンプレ」は「普通」なんだ。悪く言えば無個性、凡庸だ。
 オモシロを追求し、心を動かす音楽を求めている我々は、これに対抗していかなければならない。創作者を名乗る我々は、これを蔑如しなければならない。
 そのためにはまず知識を得ることだ。音楽ならば幅広い音楽を聴き、多くの曲を歌い、弾き、それを体系的に咀嚼して、己の血肉に変えなければ。世界の広さに気づかなければ。
 お前は今までこの世界を知らなかったかもしれない。俺はお前が止まっている間も闘い続けてきた。お前に立ち止まっている時間はない。

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