二つの「自由」
自由には、二つの側面があります。
早速ですが、二つの自由とは、
①目的を持ち、目的に沿う行為を認められる自由
②各々の意思に基づく行動を認められる自由
詳しく説明していきます。
①目的を持ち、目的に沿う行為を認められる自由
ある人が何かをしたいと思ったり、ある集団が成し遂げたいことのために策を講じ、それらが社会や集団内で認められることを指します。
たとえば、国の安全を守るために(目的)、入国管理を行うこと(行為)。
スムーズな交通を実現するために(目的)、左側通行を設定すること(行為)。
②各々の意思に基づく行動を認められる自由
こちらは、あらゆる意思・感情に基づく行動を指します。
また、そもそも意思がなくても構いません。
たとえば、気の赴くままに散歩すること。好き勝手に発言すること。
二つの自由に対して思うこと
①と②を明確に分類することはできませんが、どちらを大切にしたいか人によって偏りがあるのではないかと思います。
①の自由は、健康悪化や事故といったリスクを減らす一方で、②の自由を妨げることにもつながっています。ある方向に振り切ったからこそ作り出せる価値が生まれづらい環境になっているのではないでしょうか。
例を挙げると、このバンドのMVはルールとしてはアウトですが、②的な逸脱があって初めて生み出せるような表現がなされています。
また、近年私が通う同志社大学では、受動喫煙を防ぐために分煙が推進されたり、安全のため校内で自転車を押して歩くことが義務づけられたり、色んな「①の自由のための禁止」が生まれています。
一概に言えませんが、この「①の潮流」には一体どのような意味があるのでしょうか。時々、システマチックに機能している警備員さんを見ながら考え込んでしまいます。
①の統治的な自由と、②の創造的な自由、二元論ではありませんが、どうバランスを取っていけると良いんでしょうね。
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