いい年した大人の青春(ポーカー始めて3ヶ月でJOPTメイン4位になってしまった人のお話)
■今回の投稿は、仕事というより完全にプライベートな投稿です。
ポーカー経由でnote来られた方、はじめまして。
JOPT GF 2022 Mainイベントで4位に入賞した、TAKEISHIさんこと、ポーカーネーム「のすけ」の振り返り投稿です。
以下から本編。
ラブストーリーは突然に
とあるシステム開発の仕事をきっかけにポーカー(テキサスホールデム)とやらにはまってしまった。
(普段はわたくしAIや新規事業用のシステム開発・運用・グロースハックを中心とした事業会社を経営しております。)
きっかけは、ポーカー界の大ベテランのたまやさんだ。
お仕事のオファーを幸運にも頂いた。
はじめてポーカーの事を聞いたとき、こんな事を思ってしまった。
ポーカー????
お正月とかで家族でやる、5枚配られる絵合わせでしょ?
日本のトランプのゲームの中で、
たぶん一番最下位に位置するぐらい一番つまらんやつでしょ?
だいたいいつもカードはブタだし。
最初は僕もそう思っていました。
本当にすみません🥺
まさか、四十代になって、こんなに熱くなれるマインドスポーツ・世界に出会うとは思わなかった。こんなに新しい友達・知り合いができるとは思わなかった。
そして、JOPT(Japan Open Poker Tour)という日本最大級のポーカー大会のメイントーナメントで4位/1233人中に入れるなんて夢にも思っていなかった(本当は優勝したかったけど😂)
そんな40代が半年前にポーカーの魅力に目覚め、ポーカーに遅れてきた青春を燃やした。そんなお話。
話をもどそう。
コロナ禍もまだ落ち着かぬ中、仕事のためと割り切りつつ、新宿のヒゲゴリラさんに集合して、トーナメントに出ることになった。
そもそもテキサスホールデムのゲームルールははじめて。
5枚の中央の共通カードと、自分の2枚のカードを絵合わせして、強い組み合わせで役を作るゲーム。
共通カードがでる順番は3回あって、①でる前→②3枚→③1枚→④1枚の計4回でチップの賭け額を決められる、というものだ。ふむふむ。
そしてポーカータイマーが回りはじめ、ディーラーさん達がカードを配り、トーナメントが始まった。
もちろん、僕の結果は惨敗。
まあ、初心者だから、惨敗しても仕方ないよな〜。
ゲームの一つとして認知しておこう〜。ぐらいの感覚だった。
でも、なんか楽しくて、不思議な感覚。
だがしかし、その時奇跡が起きた。
目の前で、別のビギナーメンバーが優勝してしまった。
わけがわからなかった。
猛者・ベテラン達を大勢ぶっとばして、ビギナーメンバーが勝ってしまったのだ。
猛烈にそこから興味を持ち始めた。
まずはリングゲームを覚えようとおもって、エムホールデム目黒さんのリングゲームにしばらく通った。
中目黒のダブルバレルさんにも通った。
この頃から、徐々にポーカーの事を考える時間が、日常の中で1-2割を締め始める状況になる。
だが、この頃はリングゲームしかやってなかった。
後日、新宿ヒゲゴリラさんでトーナメントについに勢いで参加。
参加者4名のターボトーナメントに参加したが、その時に色んな強い役が成立したことにより、一瞬チップリーダーになる。
しかしまた衝撃が起きた。
完全にドショートだったベテランの方が、鬼の追い上げをして、僕をシートアウトさせて優勝してしまった。
いま思えば、お恥ずかしい話(相当のミスプレイをした)だが、あんなにあった自分のチップが、あっという間になくなった。
とにかくめちゃくちゃ上手かった。感動した。
衝撃と同時に、猛烈な悔しさがこみ上げてきた。。。
なんだこれわ。。。わけがわからないよ。
そしてポーカー沼へ…
悔しすぎて、悔しすぎて。
その後、一緒にプレイしていた奥様と反省会をしていた気がする。
(以降、奥様もほぼ毎日の僕のポーカーに付き合ってプレイするようになる)
そして、その日を境に 週1でリングゲーム行ってたら楽しかったぐらいの感覚が、週3でトーナメント出場して、なんとしても勝ちたい!という思いに切り替わった。
そこからお店もよくわからなかったので、都内にあるポーカースポットはほぼすべて行ってみた。そしてボコボコにやられることを繰り返した…。
そして、初めて2−3週間ぐらいだったか、ついにネコカジ新宿のトナメで、ファイナルテーブルに残れた。
が、惜敗。。。すぐに飛んだ。。。
みんなつよいこわい。。。
手が震える…
とにかくボコボコにされて、その日のプレイを振り返り、なぜそうなったかを繰り返し自問自答する日々を繰り返した。
だが、そこから果敢にポーカーに通うようになった。
そしてついにその日が訪れた。
会食後に奥様と行った新宿ヒゲゴリラさんで、人生で初めてトーナメントに優勝した。
夜のお仕事の方や常連の方々がたくさんいて、上位がバチバチに争っている中、僕は怖くてひっそりと潜っていた。その中でとれるハンドだけ慎重にとっていくというプレイをしていた気がする。
数々のラッキーが重なったのと、この日の肩が強かったのもあったのだろう。やったこともない最後2名のヘッズアップでは全身震えて冷や汗かきながら、最終的に勝ってしまった。
(夜23時から始めて、朝5時までかかったが、ほとんど寝ずに朝の9時の超大事なアポイントに這いつくばって行ったのは秘密w)
この日をきっかけに、ポーカーの面白さが頭から離れられなくなってしまう。
そう、そこには承認欲求の昇華があった。
今でも思うのだが、、、
ポーカーの素晴らしい(恐ろしい)所は、努力×時の運で勝ててしまう事。
そして、誰にでも、賞賛されたり1位・上位になるという承認・達成感が得られるチャンスがひらかれている。
ポーカーによって、自己肯定感が高まった人は多いのではないだろうか。
本当にすごいゲームに出会ってしまった。
流行らない理由がない。
いや、これはゲームではない。スポーツであり、競技だ。
本気で勝ちたい。。。
遅れてきた青春
さあ。はじまってしまった。
そこから、東京都内はもちろんのこと、日本全国津々浦々のポーカースポットと言われる場所に足を運んだ。(札幌・仙台・大阪・京都・博多・那覇まで)
しかし。。。どの店に行っても、何度プレイしても、トーナメントで優勝できなくなってしまった。
ヒゲゴリラさんでの優勝は、まぐれだったのかもしれない。。。
と、その横目で奥様のほうが強くなってしまい、大阪の店舗のとあるトーナメントで優勝してしまった。
猛烈にへこんだ。
へこんだ状態で、またポーカー乱れ打ちしたら、そりゃまた負けるわ🥺
今思えば、自分のプレイ・カードしか見てなくて、周りの様子やポジションすらこの頃は意識できていなかった。
確率の偏りもあるので、強いカードが何時間も来ない状態も今でももちろんあるのだが、その状態に何度も苛立ち、その苛立ちによってハンドレンジはガバガバになり、あっという間に搾取対象になるという苦い経験を繰り返した。(ザガン93oで普通に勝負できると思ってオープンするとか、今ではあり得ないプレイを当時はしていた…笑)
ハンドレンジなどという言葉はもちろんこの頃は何も知らない😂
とにかく負け続けた。
その横で、奥様はFTによく残る。正直嫉妬した。
奥様と同卓してヘッズになってどちらかが負けると、その後の飲みで「何だあのプレイは!」と喧嘩してしまうこともしばしばあったw それぐらいお互い本気になってしまった。
そして、たまたまポーカースポットで遊んでいる時に、このポスターを見つけてしまった。
ポーカー新人王決定戦…
一生に一回しか出れない?
ポーカー歴1年半未満???
(俺、もう40だけど参加資格あるってこと!?)
ポーカー界の日本ダービーではないかこれは!!!
とおもい、これに照準を合わせて、さらにポーカー熱は上がっていった。
そして、特訓の末、何度か店内トナメで優勝できるようになってきた。
(クリスマスイブにまでポーカートナメでる夫婦…沼すぎる)
だがしかし、この頃もいろんなポーカーの国内大会があることをまだ知らない。
そしてこの頃からようやくYouTubeなどでポーカーの動画をみて勉強するなどが始まる(おっそw)
そして、そのさなかに衝撃的なLIVE中継に出会ってしまう。
そう、JOPT GF 21のDay3の映像だ…
大の大人から学生の方々まで、一堂に会してポーカーやってるのだ。
やばい。これは異様な空間だ…(と、今回連れて行った友人も同じことを言っていたw)
中目黒の立ち飲みスタンドで、奥様と食い入るように見ていた。
強烈な緊張感の中、激戦が繰り広げられ、そして最後の最後に衝撃の結末をむかえた。
そしてJOPT GF 21 Mainで優勝されたMASAOさんのインタビューで僕は衝撃を受ける。
「ポーカー初めて約1ヶ月ぐらいです」だと…!!!!????
おいおいおいおいおいおい待ってくれ。
始めて1ヶ月でこの激戦やってんの!?
この事実にも猛烈に燃えた🔥
さらにポーカー熱があがり、この頃から週3でポーカースポットいってたのが、週8とかになる。もう立派な廃人である。
そして、ついに「ポーカー新人王決定戦」のDAY1の日がやってきた。
結果… 僕は惨敗…
あーもう一生出られないのか、、、
と思うと、なんというか
中学・高校の3年生の夏の部活を思い出した。
なんか、青春を感じた。
そして、奥様はというと、、、
DAY1突破してしまった😂😂😂
1166エントリーというものすごい数のポーカー新人たちが参加するなか、117人の中に残ってしまったのだ。
惜しくも負けたが、なんだかんだしっかり残って、50ぐらい/1166の結果だった。
誇らしくもあったが、同時に悔しくもあった…
ここで俺たちの青春は終わった…と思ったが、もうここまできたなら勝つまでやってやろうと心を入れ替えることになった。
その後のJPCCは惨敗。
次のAJPC Super Cup 2022に出場。
ここでなんと、DAY1を初めて通過することになる。
初めてのロングストラクチャーは超たのしかった、と同時に勉強になった。
レベル全然あがらないので、純粋な判断・立ち回りの技術差だけでプレイができる。これは実力が出る。
そして、DAY2で早々に負ける。
が、納得の敗北だった。
このころ、衝撃的な出会いがあった。
エムホールデム目黒で同卓したとあるプレイヤーにボッコボコにされた。
強烈なトリプルバレルや、絶妙なタイミングでのオールインでの圧のかけ方。
BLOW新市街店(前・五反田KEY POKER)の店長のサコ兄貴だった。
兄貴のプレイスタイルや考察から学びを得て、この頃から僕のプレイスタイルは徐々に変わっていった気がする。
彼との出会いがなかったら、僕のプレイはずっと井の中の蛙で、変わることはなかったし、JOPTでここまで結果を残すことはなかったと思う。
今でも常に思うが「強いプレイヤーとの同卓と観察・時には勝利と敗北によって、確実にポーカーのレベルは上がる」ということだ。
強いプレイヤーに負けて悔しいと思うのではなく、強いプレイヤーがなぜそのようなプレイをしたのか・そのような判断をしたのかを注意深く観察し、そのときのプレイスタイルを検証そして時には模倣することで、そのプレイを自分にとりこみ、自分のプレイスタイルをアップデートする。
強いプレイヤーは、どんなにショートスタックになっても諦めないし、生き急ぐような変なプリフロップオールインしないし、チップリーダーになったとて慎重にプレイしている。
そこにはもはや運の要素はあまり介在しない。
強いハンドが来なくても、彼らは強く生き抜いている。
そういっときのスタック量の優劣などではなく、「生き抜く強い意志と戦略を持つ」こそが本当に強いプレイヤーなのだと思った。
そして、次にいよいよ照準を合わせたのが、GW中に開催されるJapan Poker Festival(JPF)と、Japan Open Poker Tour(JOPT)だ。
だが、DAY1の参加チケットがどうがんばってもとれない🥺
サテライトであたるプレイヤーのレベルが高すぎんヨ…。
Bubble恵比寿とか六本木とかでボコボコにされる。
パラハ勢とか、鬼強すぎて、手も足も出ない。
ということで、何度サテライト出たかわからないが、とにかくもがき苦しんだ結果、新宿のCasino Live Tokyoでようやく1枚ゲット🥺🥺🥺
(このとき、さわさん、やつださんと同卓だったのか…)
このときも、ものすごいミラクルがあった。
JOPTチケットバブルライン時に、僕が完全にショート(実質残り2BB)で、ほぼ全員僕を潰すためにINしてきた結果、、、
僕だけがその1ゲーム勝った…。(Qヒットしたのは僕だけだった)
その後チップ量が回復し、もうお一人が飛んで無事JOPTチケット獲得となったのだ。
ここで飛んでたら、正直僕のJOPT Main4位はない。
というか、JOPTにそもそも参加できなかったかもしれない。
そして迎えたゴールデンウィーク。
今年は本当にGWらしいことをほとんどしなかった。
ポーカーばっかりしていた。
まずは品川のJPF会場にほぼ毎日出向いた。
奥様はJPF MainのDay1を突破していた(やっぱ強いと思う😂)が、僕はDay1は何度やっても通過できなかった。
なので、Day1の応援がてら、いろんなサイドトーナメントにでて、一番大きいサイドトーナメントThe Hendon Mob Championship JAPANに出た。
久々のロングストラクチャーで楽しかった。
その結果…Day1突破!!
しかし、、入賞直前の21位ぐらいで惜敗🥺🥺
でも、Hendon Mob Championship JAPANでのプレイで、まだ自己分析できていないけど、何か自分のプレイスタイルが変わった気がした。
ロングストラクチャーかつ大量のプレイヤーの参加のおかげで、いろんな方々とプレイできたことにより、いろいろなものを吸収できたからかもしれない。
何かをつかんだ?というか、周りの見方・自分のハンドと相手の関係性・相手にどう思われることを意識してプレイするか。
セオリーもとても大事だけど、何百ゲームというケースとプレイヤーとのケーススタディをとにかく繰り返すことが大事だと改めて思った。
迎えたJOPT 2022 GF Main当日。
クッソあやしい格好で参加したw
目が泳いてテル読みされるのいやだったので、急遽GUでサングラス買ったw
JOPTで意識していたことは3つある。
①とにかく死なないこと。経営と一緒でGoing Concernだ。
②功を焦って誤った判断・プレイをしないこと。自分を殺すのは自分。
③相手を潰そうとは思わないこと。相手を潰すのは、そのほかの誰か。相手の油断だけに集中しろ。
ロンさんという、いろんな意味で豪快でナイスガイのプレイヤーがいるのだが、その方がずっと「諦めないことが大事」と言ってたのがずっと心に残っていた(プレイスタイルそのものは到底僕はまねできないのだが…w)
だが、Day1の初速は本当に終わっていた。初期あったチップ量が半分以下に減ってしまい、1万点を切るぐらいになった。
全然ハンドも入らない。
だが、ずっと心の中で唱えていた。「死なないこと。功を焦らないこと。」
経営者としての僕を知っている人は知ってるのだが、とにかく僕は諦めが悪いし、会社がどんなにヤバい状況になっても、なんとか活路を見いだして幸運にも生き残ってきた。(多くの人々の支えがあって、だが)
死なないために、そこからポジションだけを意識してプレイするように切り替えた。
ポジションの優劣でちょっとしたセミブラフも組み合わせられるようになった。
今思うと、自分の今回のプレイスタイルはJOPT前ではなく、JOPT開催中に体得したと言っても過言ではないかもしれない。
そこからDAY1は25.5万点ぐらいのチップ量に増えて通過ができた。
ちなみに、DAY1はAAは1回しかきてない(渾身のチャンスで来たが。)
DAY2前日の衝撃の出会い
その後、さらなる衝撃的な出会いがあった。
別日のJOPTサイドイベントでモンスタースタックトーナメントに出たときに、偶然隣に移ってきた、前回JOPT 21 GF準優勝のMarkさんだった。
今では、海外で立派にプレイして、ポーカーでしっかり生活している彼の姿はずっとTwitterやYouTubeで追いかけていて、一フォロワーとしてもワクワクしながら見ていた。と同時に、同卓して、ちょうびびっていたw こわい。
光景も衝撃だった。強烈なチップリーダーかつ、あっという間にそのテーブル内の3人をふっとばしてさらにチップを吸収する姿に感動をして、思わず話しかけてしまった。
「いつもTwitterやYouTubeみてます!」
そして、DAY2前日を控えた夜、Twitterをみると、こんな投稿が。
やべえw。これチャンスだろ。と思い、Twitterでオファーしたところ、なんといきなり来てくれた🥺すげーフットワークと思った。
僕と奥様と一緒に飲んでいた新橋のもつ焼き屋に、Markさん・HARUさん・カボチャさんが集合して、まさかの午前5時までポーカー談義してた。
ポーカーのご縁で、こんな新しい知り合いが増えるのかと、本当に感動した。
それ以上に、Markさんの話がものすごい参考になったのは言うまでもない。(チップ額によるテル読み。チップリーダーの立ち回り。プレイスタイルの地域性など)
だが、、、朝5時までもりあがってしまうことは予想外だった😂
結果、3時間も寝てない…www
這いつくばって、会場に向かった(浜松町に泊まり込んでいてよかった😂)
眠さで判断をミスしそうにもなったが、次のDAY2も、どんなにチップが増えても、テーブル内チップリーダーになっても「死なないこと。自分を殺すのは自分。」と言い聞かせて、かなり慎重なプレイをし続けた。結果として、チップはほとんどアベレージを割らずにプレイできたと思う。
しかも、途中で前回優勝者のMASAOさんが自分の上に座った。
これも何か不思議な縁を感じた。。。
MASAOさんのプレイもとても慎重かつ知的なプレイでものすごく参考になった。前回優勝者のプレイを1時間でも経験できたのは本当に勉強になった。
そうして、結果アベレージを意識し続けた結果、あまりミスもすることなく、かついい意味で目立つこともなく、ITM(入賞)確定&DAY3まで残ってしまった。(最後のテーブルはみんな上手くて、かなりきつかったけど)
しかし、DAY2で一つだけ申し訳ないプレイがあった。
1ゲームだけ、一瞬(といっても1分ぐらい)意識が飛んでしまったのだ。。。
サングラスをしていたおかげで、めちゃくちゃ長考している風の演出になっていたのだけど、プリフロップの、しかもUTG+1ポジションで長考ってどんなハンドだよ、とみんなに思わせてしまったかもしれない…本当に申し訳ございません。(と、FTまで一緒にのこったそのとき同卓していたUMEさんに、反省会で謝り倒した。。。)
そしてDAY3へ…
DAY2通過時点でのチップ量は、1,115,000点だった。
だが、DAY2最後〜DAY3前半は、強烈なチップリーダーが生まれていたり、めちゃくちゃ強いプレイヤー(過去優勝者のmasaさん)が同卓していたり、正直もうFT前に負けると思っていた。
ただ、前回大会のシートドローを前日分析していたら、前回優勝者のMASAOさんも、DAY3開始時点は1,150,000点で、そこからの優勝という情報があったので、不思議と極端な不安はなかった。
(過去のアーカイブでシートドロー残してくれたのホント助かった)
https://japanopenpoker.com/archives/90681
が、何度も「とにかく死なないこと。自分を殺すのは自分。相手は自分以外の誰かがシートアウトさせてくれる。目立つ必要なんてない。」と欲を出さない姿勢で耐え続けた。
その結果、本当にそうなった。
結果、FTに残ってしまったのだ。。。
夢のJOPTアー写。
見事、JOPT様のフリー素材になってしまった。
FINAL TABLE
つい4ヶ月前に、中目黒の居酒屋でワクワクしながら見ていたJOPTのFinal Tableに、まさか自分が座っているとは思わなかった。
あのころは、まだ何度トーナメントに出ても勝てないし、サテライトも通過できない。ダメダメプレイヤーだった自分が座れてるのは本当にうれしかった。
だが、一番のショートスタックからの開始だ。。。
一番最初から全員から狙われる最悪の状態…。
でも、心で唱え続けた。
「生き急がないこと。自分以外の相手が、相手をとばしてくれる。」
ファイナルテーブルでの僕の意識は、「ヘッズした相手に勝つ」のではなかった。「とにかく降りてくれー🥺いなくなってくれー🥺」という思いの打ち方だったと思う。とても臆病な打ち方をしていた。
ここで、転機があった。
このゲームのときだ。
これが。
こうなった。
このボードで、TAMAさんが結構悩んでいたを見逃さなかったので、Aをおさえていたこちらは迷わずにオールインをかました。
結果、降りてくれた🥺
そこから同じく粘り続けていたら、大きめのポット獲得のチャンスがきたおかげで…
チップ増えた!
FT一番最下位からスタートしたのに!
これは戦える!と思った。
結果、気がついたらFTから数名が脱落していった。
チップリーダーだった方々も、徐々にチップはフラットになっていった。
だが、最悪の厄災が降りかかったのだ。
これな。
この数ハンド前にも実は、三遊亭楽大さんにAAが降りていた。
「もうAAが舞い降りている訳はないだろう。。。」
そういう油断が自分を殺す。
オールイン。
地獄の谷に、自分から突っ込んでいった。
実は最近また同じ事故をトーナメントで経験したのだけど(ほんと学ばないな自分😂)AAが潜んでいることを読み切れなかった最悪のパターンだ。
ロクな指刺しもしなかった。
フロップの時点でデッド確定のなか、オールインへの誘いを自分で断り切れなかった最悪の判断で僕は敗退した。(今思えば、前回のMarkさんとMASAOさんの決着時とほぼ一緒の展開だわこれ😂)
今思い出すと本当にバカだな俺、って思ったけど、楽大さんの方が、ポーカーの神に愛されていた、と思えば、納得の敗退だった。
今回のファイナルテーブル、楽大さんがいてくれたおかげで、本当に終始みんなゲームとゲームの合間はリラックスしてプレイができた。
FTではみんなライバルなのに、FTでポーカーの友好の輪が広がったのも、本当にポーカーって不思議なご縁ですね。
全然悔しくなさそうなのは、敗北のすべてに納得感があったから。
そして、激戦を制したのは、OHIRUさんでした。
本当に優勝おめでとうございます!
有志の反省会でトロフィーさわらしてもろた。
あとになって悔しさがこみ上げて、指紋ベタベタつけさせてもらいましたw
最後に 〜 ポーカーマジ青春!
最後に、というのに、話は変わるが、僕は、昔からクイズが好きだった。
もう終わってしまったが、「アメリカ横断ウルトラクイズ」という伝説の番組があった。大の大人がクイズに答えて、一人一人脱落していき、最後の二人までニューヨークを目指すという今では考えられない狂った番組だ。
大の大人がそこに熱中して、最後の1人を目指すという、その構造に本当に感動した。
大人になったらそれに出たいとおもって小中学生ではクイズオタクでキモがられるぐらいクイズばっかりやってた。
ウルトラクイズがなくなったので、大学に入ったら途端にその熱はなくなり、何か熱中するもの、といえばインターネットとパチンコ・パチスロと酒と夜遊びだった。(そのお陰で散々な目にあったり、親にも苦労をかけてしまった。)
そして30代は経営者としてのひよっこだった自分が、いろんな艱難辛苦を経て、とにかく生き抜くことに集中することに人生を捧げた。いろんなメンバーやステークホルダーにも迷惑をかけたし、孤独だった。
その後会社もいろんな人の助けがあって、なんとか持ち直し、なんとか経営できている。
そして、そんな中40代になって、どう生きていこうかと考えていた矢先に、ポーカーという素晴らしい最高のマインドスポーツに出会うことができた。
経営者のポーカーつながりもたくさんできて、今回大勢の仲間が応援してくれた。
優勝はできなかったけど、JOPTという大舞台に立って、「とにかく死ななかった」という、30代の自分の経験が誇れるような爪痕を残せた。
なにより、ポーカーを通じて、いろんな出会いがあり、視野・視座が広がった。
老若男女も仕事の貴賤も一切なく、全てポーカーの世界の中で平等に本気を出して戦える。
そんな世界がそこにはあります。
本当に ポーカーマジ青春!
これからもがんばります〜。海外もいきたい!
みんなのすけと同卓したら仲良くしてね!
P.S.
三遊亭楽大さんのシール。
縁起物として携帯の後ろに貼ってます。
そしたら、JOPT後の店舗トナメ2連発、優勝しましたw
まじ、楽大さんのシール、すごいw