2023年映画感想No.45:EO イーオー(原題『EO』) ※ネタバレあり
観客が能動的に解釈しなければいけない物語
ヒューマントラストシネマ渋谷にて鑑賞。イエジー・スコリモフスキ監督最新作。
人間の都合で社会の居場所を次々と追われていくロバのイーオーの物語。演技は無いが演出はある。モンタージュや眼差しのクローズアップ、色彩演出など映画的な語り口によって状況に感情移入させ物語を浮かび上らせる語りの手腕が印象的な作品だった。
ロバ自身は何も語らないからこそ一つ一つの場面や物語に対して観客が解釈を持ち、想像しなければいけないのだけど、そういう人間目線からの能動性によって作品が完成するという点が非常に意味のある内容だと思う。
イーオーを翻弄し続ける人間社会の論理
イーオーの置かれる状況はその時々の都合で次々と移ろい変化していくのだけど、ただ黙ってそこにいるだけのイーオーがそこにある社会によって様々な解釈を勝手に当てはめられ、立場を変えていくのが苦しくも目が離せない面白さ。動物の目線から見ると人間の善意も悪意も総じてエゴイスティックに見えるのが皮肉に感じられる。
物言わぬイーオーは常に弱い立場であり、人間はそれを利用し、責任は取らない。人間の選択は生殺与奪すら勝手気ままであり、逃げるように世界を変えていくイーオーは結局どこにいっても不当な扱いを受け続ける。
イーオーは常に対話なき人間社会の分断に巻き込まれ、翻弄されるのだけど、そんな人間たちの自己都合のぶつかり合いが時折ギョッとするような暴力によって迫り出してくる瞬間がある。
寓話的な絵作りや場面設計による映画的な語り口
サーカスから強制的に連れていかれるイーオーが夢見る外の世界の自由を象徴するように野を駆ける馬たちを見つめているのだけど、ところが変わればその馬も人間のファッションとして消費されている。動物たちは本来の姿とは違う場所に押し込められ、人間によって支配されている。
そうやって動物固有のアイデンティティが奪われて行く様子を縛り付けられどこにも行けない機械に重ね合わせられるなど、イーオーが自分を重ねるモチーフはどんどんと尊厳を奪われる存在へと置き換わっていく。また、冒頭では少女との関係のシンボルとして用いられていた赤という色が徐々に人間社会の暴力や不条理を象徴するように圧迫感のある印象を強めていく。
物語が進むにつれて尊厳の無い動物の置かれる残酷な状況が寓話的な絵作りからもどんどん強まっていくし、人間の作り出す動物像とそこに押し込められる動物の在り方という二重三重の象徴性があり痛烈な描写に感じられる。
逃げても逃げても人間が作り上げた世界には「ここでは無いどこか」は無い。逃げ場のない円の中を走り続けるしかないような行き場のなさが苦い余韻を残す。