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理想の上司 -My Boss

昔、バイト先に置いてあった本に書いてあったフレーズがオレの中でとても印象に残っている。それは「仕事のできない人は大胆にして小心。仕事のできる人は繊細にして豪快。」というもの。

オレの入社当時の直属の上司がまさに後者の人だった。

齢70を超えた今も雨が降ろうと槍が降ろうとGSX-R750で通勤する筋金入りのバイク乗りだ。オレが入社当時はTRXに乗っていて、「ドカが欲しい」と言っており、いつしかSS1000DSに乗り換えていた。敬意をこめて、ここではドカ部長と呼ぶことにする。

K大出身のドクターで頭が恐ろしいほど良く、切れる。あまりに切れすぎるので誰もついていけないと言うのが社内の実情。あらゆる事を膨大な知識から多面的に考えて、最善の策を己の利害抜きに冷淡に判断を下すあまりに、血も涙もないように見られがちな人だった。

入社1年目のある日、オレは労災を起こした。グラインダーが跳ね、顎にカウンターを食らったのだ。一瞬何が起こったか分からなかったが、顎の下をパックリと割ってしまったらしい。まだ当時は今ほどこう言うことにうるさい時代でもなかったので、揉み消そうとした(笑)が、見に来た先輩が「これは…ヤバいな、病院行った方がいいわ」とドカ部長に報告を入れた。

大した怪我でもなかったんだが(と言っても4針縫ったけど)、ドカ部長は血相を変えて現場に来て「大丈夫か?!」と声を掛けて下さった。驚くなかれ、オレも衝撃だったのだが、この一件でこのようにオレの体を心配してくれたのはドカ部長ただ一人だけだった。他は皆「あー、やってくれたな」という感じ。(まあ、上になった今の立場ではその気持ちも分からなくはないのだけど)

労災をやると色んな人の人間性が浮き彫りになるのがよく分かる。心配してくれる人、労災起こされて迷惑そうな人、他人を責める人…。そんな中、一番人間らしい反応をしてくれたのは、周りからは冷淡な人間扱いされているドカ部長だけだったとは何とも皮肉な話である。

そして労災の当事者であるオレは事情聴取を受けた。

組合や安全衛生室の人間から責任者であるドカ部長が責められる。
「こう言う作業をしていたときに起こったと聞いている。この作業をする事を部長はご存知だったのですか?」

一瞬、間を置いてドカ部長は答えた。

「…そうですね。前日、〇〇さん(先輩)からやる事は聞いてましたので許可しました。私の責任です。」

え?ちょっと待って?
これやるの決まったの当日だよ?何で!?知ってた訳ないじゃん!と思ったが、ドカ部長のことだ。何か考えがあってのことなら変に口を挟んであの人のストーリーを潰す訳にいかないと思って何も言わなかった。

事情聴取が終わってオレは先輩に聞いた。「ドカ部長こんなん言ってましたけど、言いました?」先輩は絶句した。「言う訳ないやん…あれ決めたん朝やで…」

結局、ドカ部長は最後まで「私の指示です。申し訳ありませんでした」の姿勢を終始貫いて我々を庇った。部下を庇う上司、というのは美しいものだが、実際に上に立ってみると難しいものである。ましてや自分の言うことを聞かない部下に対してなんて、そうそうできることではない。それこそ「やってくれたな」と言う感覚だ。当時はそんなこと、分かるべくもなかったが、そんな当時のオレでもこの恩義は計り知れないもので、本件以来、オレはもう絶対にこの人に迷惑は掛けないと心に誓った。

その後も色々と助けられ、叱られ、オレを育ててくださったドカ部長。何一つ恩返しはできてないのだけど、唯一誇らしく感じられた瞬間がその後、一度だけ来る。

とある厄介な案件の検討を、一線を退いたドカ部長が行い、それを当時のオレの上司に提出した。そのとき、オレの当時の上司に向かってドカ部長が言った。

「この中身を理解できるのは今のうちの事業部ではキレネンコさんだけだね。分からなければ彼に聞くといい」

…耳を疑った。

よもや自分がドカ部長に褒められることがあるとは。信じられなかった。けど世辞を言うタイプの人ではないのでそれがまた嬉しかった。恩返しと言う訳ではないが、何かに報いることができた気がした。

今でも憧れの上司像。

昔からあんな上司にオレもなりたいものだと、思ってここまで来たが、部下を持つ立場になり、より強く感じる、今日このごろ。

迷いが生じた時、「ドカ部長ならどう判断するか?」というのがオレの今の判断基準。

-了-

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