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Utakata-SciFi:検索の消失:Novel[識] CASE : 宮下 浪漫 - マッドサイエンティスト

2028年、都市の夜景は、かつてのSF映画で描かれたような派手さからは少し離れ、どこか冷たい静寂を湛えていた。ビル街の上に広がる星空はほとんど見えないが、それでも微細な人工衛星群が軌道をめぐりながら淡い光を放っている。

かつて、この街には「検索サイト」の巨大な広告が無数に存在していた。何十メートルもの高さのディスプレイが乱立し、人々はキーワードを入力する代わりにカメラや音声から「検索」を使いこなし、あらゆる疑問を即座に解決していた時代があったのだ。

だが、今やそうした既存の検索サービスは「旧世代の遺物」と呼ばれ、街のネオンは少しずつ消えていった。その代わりに台頭したのは「Shiki」──検索という枠組みを完全に超えた、有機的自己進化型の知識プラットフォーム。

Shikiは、世界中のユーザーの入力や操作、フィードバックを逐次収集し、“匿名化”したうえで巨大なナレッジベースへ吸収する。その過程でAIと集合知が融合し、常にシステム全体が学習を続けている。最終的には「検索結果」という静的な答えではなく、ユーザーが行動するための最適な糸口やヒントをリアルタイムに更新して示すという。

これは、Shikiが世に出始めたその時のログである。日常生活はもちろん、大規模インフラの管理、医療システム、行政手続きにまで活用され、人々が想像する以上に深く社会に根ざしていく。それでもほとんどの市民は、自分たちが使っているシステムが「検索」などという旧い概念を超え、“生きた意志”のように進化し続けていることに気づいていない。そんなシステムの始まり。

その夜、この巨大プラットフォームに不思議な変化をもたらす出来事が起きようとしていた。
──誰もが忘れかけていた“小さな奇跡”が、今、静かに動き出す。

検索の消失:Novel[識]

CASE : 宮下 浪漫(みやした ろまん) - マッドサイエンティスト


暮れなずむ未来都市の片隅、宮坂浪漫は薄暗いワンルームで次々と散らばったガジェットを手に取り、目を輝かせていた。電源のコードやケーブルが床の上で絡み合い、半田ゴテの焼ける匂いが漂う。

この部屋は、彼自身が「実験室」と呼ぶにふさわしい空間だった。壁には大小のディスプレイが取り付けられ、それぞれが謎めいたコードや回路図を映し出している。部屋の中央には古いコンピュータの筐体が分解されたまま放置され、机の上には新旧入り混じったマイクロコントローラーや3Dプリンターの部品が積み上がっていた。

浪漫は自らを「未来を切り拓く実験家」と称し、傍目には“マッドサイエンティスト”と呼ばれてもおかしくない風貌である。地味なシャツにくしゃくしゃの髪、そして興味のあること以外にはとことん無頓着な性格が相まって、近所の住人からも怪訝な目を向けられていた。
 だが、浪漫にとってはそんな周囲の評価などどうでもよかった。彼はただ純粋に「新しいテクノロジーの可能性を探りたい」という情熱だけで生きている。それだけが、自分の心を燃やす理由でもあった。

 その晩、いつものようにマイクロコントローラーを改造していたとき、玄関のドアが小さな電子音を立てた。ふと腕時計を見れば、時刻は深夜に近い。こんな時間に配達物が来るはずもないが、念のためドアを開けてみる。
 ──そこには、黒い円柱形のデバイスがぽつんと置かれていた。四十センチほどの高さで、表面はマットな仕上げ。よく見ると「Shiki」のロゴが淡く刻まれている。置き配された荷物には、差出人の情報はなにもない。浪漫は怪訝な顔でそれを拾い上げ、包み紙を外すと、中には短い説明書が一枚。

「本デバイスは、周辺デバイスおよびソースコードを自動取得し、現実世界におけるシナリオフリーのワールドテストを実行します。試行錯誤のログは匿名化され、システム全体に反映されます。あなたの声のトーンに基づき、zwitterに自動投稿します。――Shiki」

浪漫は思わず苦笑した。
「誰のイタズラだ? しかし……面白そうだな」

当然、差出人の心当たりはなかったが、浪漫にとっては“怪しいデバイス”ほど興味をそそられるものはない。ためらいなく部屋へ持ち込み、電源を入れる。すると本体上部のリング状LEDがぼんやりと青白く光り出し、部屋の中の複数の端末が自動で起動を始めた。

複数のモニターに流れ出すログ。コードの断片が高速で解析され、画面の片隅には「取得中……」というメッセージがちらつく。浪漫が触れていないのに、まるでデバイス自身が彼のPCを操作しているようだ。
 やがてディスプレイの一つに簡素なUIが現れ、「ようこそ」と表示される。その瞬間、浪漫はぞくりとした。
 他人から送りつけられた謎の装置が、こうも自然に部屋のガジェットと連動していく──まるでそこに“意思”が存在するかのようなリアルタイム性を感じさせる。

浪漫は警戒よりも好奇心が勝っていた。彼は椅子を引き寄せ、モニター上のログを一行ずつ追っていく。そこには“自動テスト”という言葉に違わぬ大量の処理が走り、浪漫がいま使っている開発ツールやら回路図やらが、片っ端からスキャンされていた。
「なるほど……。この装置、既存のデバイスの動作を学習して、クラウド側にフィードバックしてるのか?」
 ふと、モニターに映る“匿名化”の文言が目につく。クライアント(浪漫)からの操作ログを余すところなく拾い、Shikiの巨大ネットワークにアップロードしているらしい。

Shiki自体は、浪漫も噂を聞いていた。何せ今や世界のあらゆる分野で利用されているAIの次世代基盤技術ともっぱらの噂だからだ。しかし、従来の検索エンジンとは違う“自己進化型”の仕組みを本格的に理解しようとすると、エンドユーザーの立場では詳細にアクセスできない。
 それが今、こうして部屋の中で動いている。というより、彼の“実験”を勝手にログとして吸い上げ、世界規模のシステムに送っているのだ。

「……おもしろい。やってみるか」

 浪漫はそう呟くと、半田ゴテを握る手を再び動かし始めた。謎のデバイスが何を企んでいるかは分からないが、これまで培ってきた自らの知識と技術を存分に試す良い機会かもしれない。

 翌日から、浪漫の生活はそのデバイスに大きく左右されるようになった。彼は朝から晩まで自室にこもり、改造中の基板やらツールやらを何度もテストし、そのログが自動でShikiに蓄積されていく。
 不思議なのは、浪漫が失敗しても成功しても、その“試行錯誤の過程”そのものが吸い上げられ、どこかで“評価”や“ポイント”に還元されているらしい点だった。
 だが当初は、その評価が具体的にどのように可視化されるのかはよくわからなかった。浪漫自身も「興味深いが、そこまで気にしていない」というスタンスで、とにかく自分の実験を続ける。

 時折、zwitterの通知が浪漫のスマホに届く。「Voice tone detected」というタグとともに、浪漫がぶつぶつ呟いた内容が自動投稿されているのだ。
何だこのデバイス、勝手にツイートしやがって……
そう毒づきながらも、フォロワーが少ない浪漫のアカウントに突如として“いいね”やリプライが増えはじめていることに、彼は少しばかり興味をそそられた。
 どうやらShiki上で“Roman77”というハンドルネームが少しずつ認知され始めているらしく、浪漫が工作中に放った思いつきの言葉やアイデアに反応する技術者が世界中にいるらしい。

 その一方で、浪漫は自らの技術が世界とつながっているのを実感し、「システムに吸収される感覚」にも妙な安心感を覚えるようになる。「これまで散々自己流でやってきた実験が、何かの役に立つなら面白いじゃないか」とも思う。
 こうして数日が経ったある午後、浪漫は机の引き出しから古びた小型の光リザバーデバイスを取り出した。取っ手がついていて、まるで昭和の小さな弁当箱のように見える。これは昔、浪漫が知人から譲り受けたもので、容量も小さく、すでに時代遅れだった。

「まあ、試しにこいつをつなげてみるか」

 デバイスを黒い円柱に接続した瞬間、モニターのログが一気に荒れ始める。まるで“警告”とも“喝采”ともつかない赤い文字が画面を横断し、何やら内部で膨大な処理が走っているようだ。

《 -- circular reference of internal observation -- 》

 1分ほどして動作が落ち着いたころ、浪漫はそのメモリーデバイスに書き込まれていた“奇妙なコード”に気づいた。名前もバージョンもない、謎のプログラムが内蔵されており、それが大規模な脆弱性を引き起こしかねない存在だったらしい。
 ところが、浪漫がほんの小さな回路調整を加えたことで、その脆弱性が“偶然”にも完全に封じ込められたという。モニター上のステータスが緑色に染まり、“リスク排除成功”のメッセージが大きく表示される。
「な、なんだコレ……?」

 混乱する浪漫をよそに、Shikiの管理画面──といっても正式な管理者しかアクセスできないはずだが、デバイスのUIが自動でそれに近い情報を引っ張ってきたようだ──には“グローバルリスクを遮断した”という旨の表示が出ていた。
 世界規模のインフラに潜むセキュリティホールだった可能性もある。浪漫は唖然としながらモニターに映る数値を見た。それは、Shikiが付与するポイント評価の桁が大きく跳ね上がった証拠だった。

「たったこれだけで、こんな評価が……? いや、偶然なのか?」

 やがて、世界中のShikiユーザーが共有するランキングに“Roman77”の名が急浮上し、SNSでも「突如現れた謎の天才」の噂が広がり始める。これが浪漫の運命を一変させるきっかけとなるのだが、彼はまだその事実を十分に把握していなかった。

 浪漫のSNSアカウントは突然の注目を浴び、フォローやリプライが爆発的に増えた。しかし当の本人は“ランキング”など気にも留めず、引き続き静かに実験を進めている。
 そんな中、オンラインフォーラムで浪漫がある投稿を見つけた。匿名ハンドル「サイバー・ミューズ」が綴る長文の議論だ。内容は、世界中に散在する脆弱性をいかに検出・修正するかというテーマであり、極めて高度な技術的見解が並んでいる。
 浪漫はふと疑問に思う。なぜこんなに高レベルな議論を展開している人物が匿名なのか。そして投稿の文体から感じられる、どこかしらの“切迫感”は何なのか。
 興味を抱きつつ更に読み進めると、今度は“サイバー・ミューズ”が自分を名指ししている箇所を見つけた。

「――最近、“Roman77”というユーザーが偶発的に重大リスクを排除した例が報告されていますが、これは同時に“危険な賭け”を意味します。もし操作を誤れば、新たなリスクを生む可能性があるからです。
イノベーションを称揚するのは結構ですが、無責任な実験が引き起こす大惨事を誰が責任を取るのでしょう?」

「……おいおい、“偶然に任せるやり方が危険”って、俺のことを言ってんのか」
 浪漫は苦笑する。「まさかここまで有名人になってたとは……あのランキングとやらが原因か」

 その日の夜、SNS経由でサイバー・ミューズから直接メッセージが届いた。
《あなたが例の“偶然ヒット”を起こした開発者? 大勢のフォロワーが騒いでるわね。ご丁寧に“奇跡のマッドサイエンティスト”なんて呼んでる》
《称号はありがたいけど、何も意図してなかったんだ。あの時は普通に実験してただけだから》
《だからこそ問題なのよ。あれほどの脆弱性を封じたのは、運がよかっただけ。次もそううまくいく保証はないわ》

 浪漫は、モニターに映るチャットウィンドウをじっと睨む。確かに、技術者としては“偶然”に頼るのは好ましくない。実験はあくまで検証に基づき、ロジカルに行うべきだろう。
 だが、同時に浪漫はこう思っていた。「偶然だろうとリスクが消せたなら、それは一つの成功なんじゃないか」と。
《世の中には必然と偶然がある。新しい発見ってのは、多くが偶然から生まれるんだ。誰も完璧なプロトコルなんて持ってないだろ?》
 そう返すと、サイバー・ミューズは短くこう言った。
《私はあくまで世界規模のリスク管理を考えているの。あなたはどうなの? 自分の実験が予想外の事態を生む可能性を考えないの?》

 その言葉には“怒り”というより“苦悩”が混ざっているように聞こえた。背景には、何か深い事情があるのかもしれない。
 結局、その夜のやりとりは平行線のまま終わり、サイバー・ミューズは最後にこう締めくくった。
《もし今後もあなたのやり方で突き進むつもりなら、ちゃんとした恒久対策を講じてほしい。世界に責任を負う気がないなら、退いて。》

 浪漫は肩をすくめるしかなかった。

 翌週、浪漫のもとに一本の連絡が入る。それはShikiプロジェクトの外部パートナー企業に所属する「田所部長」と名乗る人物からの電話だった。
「宮坂さんですね。突然失礼します。こちらエドテック社の田所と申します。Shikiのパートナー企業として、システム保守や運営に関わっております」
 何とも堅苦しい口調に、浪漫は思わず背筋を伸ばす。
「はい、ええと……俺に何のご用でしょう?」
「あなたのアカウント“Roman77”が、ここ数日で爆発的にポイント評価を上げていましてね。企業としても注目せざるを得ない状況です。ユーザーコミュニティでランキング上位になる方々には、我々から直接アプローチする場合があるのですが……」

 田所部長の話によれば、浪漫の“偶発的なリスク排除”が大企業や政府機関にまで知れ渡り、システムの安全性を揺るがしかねない案件として注目されているという。
 Shikiは一応「分散型」「自己学習型」を標榜しているが、実際には複数の企業や政府組織がパートナーとして管理監督している部分も多い。特に世界規模のインフラの要となるため、リスクが見つかれば世界経済にも響くためだ。
「正直に言いますと、企業としては大きなトラブルになるのは困るのです。あなたが偶然か何かでセキュリティホールを潰せたのは素晴らしい。でも、それを再現性のない形で行われると、企業イメージにも影響が……」

 浪漫は相槌を打ちながら、やはり“体制側”は保守的だな、と感じる。技術的快挙よりもリスクと企業イメージを気にするのは当然のことだが、彼にはどうも納得がいかない。
 一方で田所部長は、「そちらの才能は高く評価する」「もし興味があれば正式にコンサル契約を」などと穏やかな調子で話を続け、最終的には、「近いうちに一度お会いしたい」という言葉で締めくくった。

 田所部長との電話を切った直後、今度は“白河審議官”なる人物からメールが届く。
 白河は政府内の技術監督部署で、Shikiが社会に与える影響を常にチェックしているらしい。メールの本文は無機質な文面で、浪漫が引き起こした現象に関する報告と、リスク評価の要請が淡々と書かれていた。
「政府が乗り出してくるのかよ……」

 浪漫は少しばかり憂鬱になった。技術的な実験をしていただけなのに、いつの間にか自分が“大事”になっている。世界に影響を与えたなどと言われても、正直ピンとこない。
 だが事態は、確かに大きな流れに突入しつつあった。

 そんな浪漫の部屋を、ときどき訪れる人間がいた。甥のユウキだ。
 ユウキは十代半ば。デジタルネイティブ世代として、ShikiもSNSも子どもの頃から触れている。だが、彼自身はどこか無邪気な性格で、大人びた技術論よりも「単純に楽しそうかどうか」で物事を判断する傾向が強い。
「おじさん、最近すごいね。何かのランキングでトップらしいって噂になってるよ」
「まあな。世界中にユーザーがいるらしいが、どうもそれを気にする企業とか政府が俺に連絡してきてうるさいんだよ」
「へえ、じゃあ有名人じゃん。サインちょうだいよ」
 浪漫は苦笑した。
「バカ言うな。俺は部屋で実験してるだけだ。それより、お前はちゃんと宿題はやったのか?」
「うーん……まあほどほどに。でもおじさんの部屋、なんかすっごいんだよね。機械がうにょうにょ動いてて、まるで生き物みたい」

 ユウキはキョロキョロと部屋を見回す。壁のディスプレイにはShikiのログが流れ、黒い円柱は青白いLEDを点滅させながら起動状態を維持していた。
「おじさんってさ、なんでそんなに技術のことが好きなの?」
「好きとか嫌いとかじゃなく、気づくといつもこれをやってるんだよ。子どもの頃から機械いじりが好きだったし、なんか夢中になれるんだよな」
 ユウキは浪漫の背中を見ながら言う。
「……でも、この前ニュースで見たけど、Shikiにバグがあったら、世界中が大変なことになるかもって。インフラが全部止まるとか。それって怖くないの?」
 浪漫は半田ゴテを置き、少し考え込むように視線を落とした。
「怖いさ。でも……俺は人類がここまで便利な生活を手に入れたのも、そういう技術の積み重ねのおかげだと思ってる。誰かがリスクを負ってでも、新しい技術を切り開いてきたんだろう? だから、俺はそれを否定したくないんだ。まあ、世界のことなんて大げさすぎてピンとこないけどね」
「ふーん……」
 ユウキは言葉にならないような表情を浮かべ、部屋の片隅に積まれた古いコンピュータを眺めた。

 浪漫の“偶発的成功”が広まるにつれ、技術系フォーラムやSNSでは熱い議論が巻き起こっていた。
 ──「素人じみた実験がたまたまリスクを救っただけかもしれない。これを真似して危険行為に及ぶユーザーが増えたらどうする?」
 ──「いや、偶然であれ成功は成功だ。そもそもシステムの自己進化とはそういう試行錯誤の集合で成り立つものじゃないか?」
 ──「Shikiは誰のものなのか。開発企業か? 政府か? それとも我々ユーザーか?」

 浪漫はこうした議論を横目に、相変わらず黙々と実験を続けていた。だが、あるタイミングで“サイバー・ミューズ”と名乗る相手からのメッセージが再び届いた。
《いずれ、あなたも世界規模のリスクと正面から向き合わざるを得ないわ。私や他の有志の開発者たちが何年も取り組んできた問題を、あなたは“運”で突き崩してしまった。 その衝撃は大きいし、羨望と警戒の両面で多くの反応を引き起こしているの。》
《……そこまで言われると気が重いな。俺はただの技術好きで、そんな世界をどうこうするつもりはないんだけど》
《ただの技術好き、ね。ならば企業や政府からのプレッシャーをどうかわすつもり? あなたの名前を利用しようとする連中は、いくらでも出てくるわ》
 浪漫はモニターを見つめながら、ふと考える。実際、田所部長の電話からは“うちの会社に協力してもらえれば、いろいろと優遇する”というニュアンスが感じられたし、政府側の白河審議官は「緊急時のためにあなたの協力体制を整えておきたい」と迫ってくるかもしれない。

 だが、浪漫は本質的に“組織に属する”という生き方に馴染めない。
《俺は企業や役所と組んで、ひたすら保守的な安全策だけを追求する気はないよ。サイバー・ミューズ、あなたこそ、なぜそんなに社会的責任ばかりを強調するんだ? あんたほどの技術力があれば、もっと自由に活動できるんじゃないか?》
 しかし、その問いに対する返事はすぐには来なかった。

 ある夜更け、浪漫は再び自室で黒い円柱型デバイスの内部解析を進めていた。いくら覗き込んでも全貌が掴みにくく、ソフトウェア構造は一種の“ブラックボックス”になっている。
 あらゆるコードが、Shikiの巨大なネットワークにつながり、自己進化を繰り返しているのだろう。ただ、それがどのようなアルゴリズムで動いているかは、表向きには公開されていない。
「こいつを完全に解明するには、もっと大がかりな手段が必要だな……」

 浪漫がそんなことを考えていると、突如、画面が赤く点滅し始めた。
 ――警告。リスク検出。リスク検出。――
 さっきまで見当たらなかった断片的なプログラムコードが浮上している。どうやら浪漫が先ほど弄っていた別の自作回路との組み合わせで、新たな脆弱性が顕在化したらしい。
 浪漫は緊張しながらログを追う。もしここで間違った操作をすれば、世界のシステムに影響を与える可能性があるかもしれない。先日の“偶然成功”に頼るわけにはいかない。
「さて……どうする?」

 その時、青白いLEDが小さく点滅し、ディスプレイにまた別の文字が流れた。
 ――提案:リスク除去アルゴリズムを実行しますか?――
「提案だって? やっぱりデバイスの側でも高度なフィードバックをしてくるんだな」

 浪漫は深呼吸し、慎重にキーを叩いて承諾の意思を示す。すると、画面上のコードが勝手に書き換えを始め、最適化モジュールらしきものが挿入されていく。
 数分後、“除去完了”のメッセージが表示された。難なく解決したように見えるが、浪漫は何となく嫌な胸騒ぎを覚える。
「これで本当に終わりか? なんか無理やりパッチを当てただけじゃないのか……?」

 その不安は、結果的に的中することになる。

 次の日の朝、浪漫がSNSをチェックすると、サイバー・ミューズによる辛辣な投稿が目に飛び込んできた。

「Shiki内のログを解析したところ、謎の自動最適化モジュールが挿入されている痕跡を確認しました。これは“Roman77”を名乗るユーザーが実験途中で承諾したものと推測されます。
しかし、このモジュールは一部のデータを無理やり再構成する形でリスクを覆い隠している可能性があります。将来的により深刻な問題を引き起こしかねません」

 浪漫は顔をしかめながらコメント欄を追う。そこにはサイバー・ミューズに賛同する声も多ければ、「Roman77を信頼している」「彼がいるからこそ脆弱性が可視化された」という援護の声もある。世論は割れていた。
 その直後、サイバー・ミューズ本人からダイレクトメッセージが飛んできた。
《あなた、やったわね。無理やりモジュールを受け入れたでしょ? あれ、実は根本解決になってない可能性があるのよ》
《は? そんなこと言われても、俺はデバイス側が提示してきたアルゴリズムを試しただけだ。全自動で安全策を施す機能があるみたいだから、信用したんだけど》
《信用できるかどうか、なぜ自分で検証しないの? あなたは技術者でしょう? 私が調べたかぎり、あのモジュールには複数の未知要素がある。Shikiの自己進化アルゴリズムが暴走する危険だって考えられるのよ》

 浪漫は反論したい気持ちを抑えきれなかった。
《じゃあ、あなたはどうすればよかったって言うんだ? あそこで操作を誤れば、もっとひどい事態になってたかもしれないだろう?》
《だから“偶然”や“思いつき”じゃなくて、恒久対策のためにちゃんと論理的手順を踏むべきだって言ってるの!》
 かっとなる浪漫。「あんたは完璧主義すぎるんじゃないか? 世の中すべてが論理で解決できるなら、誰も苦労しない。リスクは常に試行錯誤で克服していくもんだろ?」
 サイバー・ミューズの応酬は止まらない。
《技術コミュニティには、あなたを“時代の革命児”と称える声もあるけど、私はそれが怖い。あなた一人がやっている小さな実験が、世界規模の混乱に繋がらないと、どうして言い切れる?》

 どこまでも平行線。浪漫は怒りの感情を抱えながらも、どこかで「彼女の言い分にも一理あるかもしれない」と感じている自分がいることを否定できなかった。

 そんな中、田所部長から再度の連絡が入る。今度は「Shikiの重要プロジェクトに関する緊急会議を開催するので、是非出席してほしい」とのことだ。
「緊急会議って……俺はただの一ユーザーだぜ?」
「しかし、あなたは今や単なるユーザーという立場を超えつつあります。ランキング上位の“キーパーソン”として、我々も無視できません。サイバー・ミューズを含め、主要ランカーが何名か招集される予定です」
 浪漫は面倒そうにため息をついたが、「直接顔を合わせればサイバー・ミューズという謎の存在も何かわかるかもしれない」と考え、渋々承諾する。

 会議はオンラインで行われるらしく、浪漫は自室のディスプレイを通じて出席することになった。
 当日、画面に並んだ顔ぶれには田所部長、白河審議官、そして複数の開発関係者らしき人物がいる。サイバー・ミューズはビデオ画面をオフにしたまま参加しているようだ。
「皆さん、お集まりいただき感謝します」
 田所部長が口火を切った。
「Shikiは、皆さんご存知のとおり、世界のインフラを支える一大システムです。しかしここ最近、いくつかの深刻なリスクが散見され、特に“Roman77”と呼ばれるユーザーが偶発的に発見したものを含め、見過ごせない事態となっています。そこで恒久的な安全策を導入するため、協議したく……」

 田所の言葉はまるで役所のようにお堅く続く。浪漫は眠気をこらえながら、スクリーン上の名前一覧に目をやった。サイバー・ミューズは相変わらずビデオ画面がオフだ。
 一方、白河審議官が咳払いしてから口を開いた。
「我々政府としては、万一のシステム障害や暴走が発生した際、即座に報告し、対策を講じていただくよう、開発チームにも要請します。特定の個人の勝手な実験で、国全体がリスクにさらされるのは由々しき事態ですからね」
 浪漫は思わず嫌な汗をかく。確かに自分の“実験”は勝手極まりないのかもしれない。
 会議がしばらく続く中、急にサイバー・ミューズが口を開いた。声だけの参加だ。
「すみません、私から一つ提案があります。恒久対策を急ぐあまり、表面的なパッチを当てるだけでは、むしろ新たなバグを生み出す可能性があると思います。システム全体を再評価し、根本的なリスク検出アルゴリズムを組み込むには、それこそ大幅なアップデートが必要になりますが……」

 そこで白河審議官が口を挟む。「しかし、大幅なアップデートのリスクも小さくありません。現在稼働しているインフラが大きく揺らぐ恐れがある。国民生活に影響する規模での刷新は、そう簡単に決断できるものではない」
 田所部長も言葉を継ぐ。「我々企業としても、既存のユーザーの信頼を損ねる恐れがある大規模アップデートには慎重です。……宮坂さん、あなたのお考えはいかがでしょう?」

 突然意見を求められて、浪漫は戸惑う。会議の雰囲気は、あまりにも重く、官僚的である。
「ええと……正直、俺はそんな大規模なシステムがどうとかは専門外で、ただの開発実験者です。でも、バグを一度に完璧に消し去る方法はないんじゃないでしょうか? 地道な試行錯誤の積み重ねが必要だと思います」
 するとサイバー・ミューズが低い声で言った。「だからこそ“試行錯誤”は論理的プロセスに基づいて行うべきで、偶然に頼るべきではない。そのスタンスを明確にしてほしいんです。でないと危なっかしくて見ていられない」

 この後も、会議は侃々諤々の議論となり、浪漫はただ辟易した面持ちでモニターを眺めていた。最終的に、「今後は緊密に情報共有し、改修案をすり合わせる」「強制的なアップデートは国民生活に影響が大きいため、段階的に進める」という結論に落ち着くが、浪漫自身にはしっくりこない。
 会議が終わるとき、田所部長がやや苦い笑みを浮かべて言った。
「宮坂さん、あなたとサイバー・ミューズさんの存在は、我々にとっても重要な意味があります。どうかこれからも積極的に意見交換をお願いしますよ」

 画面が消え、浪漫は溜め息を吐いた。
「重要な存在、ね……」

 技術がどれほど世界を動かしているか、まだ実感できない。ただ、視線の先には青白く光る黒い円柱デバイスがある。これがすべての発端だということだけは確かだ。


CREDITS
Producer : Nozium
AI Novel : 98%
Expected number of purchaser : N/A
Depend on scenario : 



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