
Utakata-SciFi:検索の消失 : Novel[MiZARU] CASE:シェスカ - Data librarian
街灯がまばらに点る未来都市の一角、夜風が吹き抜ける通りでは、“Shiki”のが通行人の無意識を覆い尽くしていた。誰もがその恩恵に預かり、誰もがそれを意識しなくなった今、情報は“自分で探す”ものから“勝手にやって来る”ものへと変質している。しかし、そんな社会であっても、「偶発的な脆弱性解消」で一躍注目を浴びた宮坂浪漫(みやさか・ろまん)の部屋には、わずかな緊張感が漂っていた。
彼の足元には、つい先日まで問題を引き起こしていた“古びた光リザバーデバイス”が転がっている。かつて昭和の弁当箱のような外見が印象的だったが、いまでは光沢の剥げかけた取っ手に細かな傷が増え、見る影もない。この機器が持ち込む“謎のコード”と“潜在的脆弱性”が、ただの「検索しない世界」の暇つぶし程度で済む問題ではないことを、浪漫は痛いほど思い知っていた。
これは、浪漫が、またその痛みを思い出した時の話である。
検索の消失 : Novel[MiZARU]
CASE : シェスカ - Data librarian
ある朝、浪漫が遅めの朝食をとっていると、スマホに一本のメッセージが届いた。送り主はシェスカ--デブリオ(Data Librarian)所属と表示されている。デブリオは、Shikiの内部ライブラリの整備と監視を専門に行う“忘れられた部署”だ。
「前回のロールバック騒動前と同じようなデータ改変の痕跡を見つけた。Shikiの自己進化アルゴリズムは、改変と気づいていないが、私にはわかる。一度見たデータは忘れないから。 --MiZARU。あなたにも、この言葉に聞き覚えがあれば、2029年2月19日21:30に、デブリオまで来て欲しい。」
浪漫はメッセージを読み返す。前回の事件でひとまず大規模な“世界改竄”は未遂に終わったものの、その余波が続いているのだろうか。しかも、今回は“MiZARU”というキーワードが明示されている。浪漫は、胸の奥に引っかかる嫌な予感を覚えた。
「……あのフィルターか。芸術家やクリエイターが、作品をShikiに吸収されたくないってときに使うやつだよな。確かに自由を守るためには必要だけど……」
彼は頬杖をつきながら、テーブルに置かれた黒い円柱型デバイスをちらりと見やる。こいつと、MiZARU。この二つが交錯するとき、Shiki全体にどういう影響が及ぶのか――そこには、まだ誰も知らない"何か"があるらしい。
その夜、浪漫は指定された時間にデブリオを訪れた。暗い廊下を進むと、かつての紙ベースの図書館を彷彿とさせるような古びたファイルや書棚が並んでいる。奥の会議室に通されると、そこにはシェスカと数名のスタッフが集まっていた。
シェスカは髪をゆるくまとめ、濃い色のカーディガンを羽織っている。彼女はいかにも忙しそうにタブレットを見つめながら、浪漫の姿を確認すると微笑んだ。
「お待ちしてました。来てくれてありがとうございます」
壁際には、前回の騒動でも顔を合わせた田所部長の姿もあった。田所は企業パートナーの管理職としてShikiを取り仕切る立場にあるが、ロールバック事件の際は浪漫とサイバー・ミューズの衝突をどうにも制御しきれず、板挟みに苦しんでいた人物だ。浪漫は田所を見るなり少し顔を曇らせるが、今回は穏やかな表情のまま挨拶だけ交わす。
「先に説明を済ませましょうか」シェスカが端末を操作すると、会議室中央の大きなスクリーンにログの断片が映し出される。「これは最近、MiZARUを使って作品を隠蔽していたクリエイター数名から寄せられた報告です。ある特定の条件でShikiが妙な挙動を示すということです。デバイスが一瞬エラー音を出すかと思うと、そのまま何もなかったかのようにログを巻き戻すんです。」
浪漫は画面に近づく。そこには確かに“ログ巻き戻し”をうかがわせるようなタイムスタンプの乱れが確認できる。
「これって以前、俺が引き起こしたロールバック騒動と同じような仕組みということか? でもMiZARUは、公開前にかなり検証されていたはずだよな?」
シェスカがうなずく。「ええ、そのデータは私も確認しています。しかしながら、現実世界での運用が広まっている中で、どうやらMiZARUを一つだけ使っている段階でも、微弱ながらShikiの自己進化型の連合学習系に妙な歪みが出るケースがあるようです。もっとも、通常はそれが表面化しない程度なんですけど……。問題なのは、次第に歪みを発生させるMiZARUが増えていっている事と、それを検出できない事なんです。」
「見つけられないのに、増えているだって?」
「はい。"これ"を見つけられたのは、本当に偶然なんです。偶然、前回のロールバックする直前、自己進化崩壊で起きたタイムスタンプの乱れと同じシード分布になる条件が維持されていたので、違和感に気づくことができました。一度起きたところでは、23パーセント以上の確率で1週間以内に再度発生しています。...ただ、シード分布が変化しうることを許容すると57パーセントまで上昇する可能性があります。」
「おいおい、シード分布が一致って一体どうやって……」
「私、一度見たデータは忘れないんです。そう、見えるので」
浪漫は喉を鳴らして唾を飲んだ。シェスカの言葉にはぞっとする凄みがある。たしかに、彼女は“データの虫”と呼ばれるほどの記憶力を持ち、どんな断片情報も一度見れば頭の中に焼き付くという。--共感覚。いまだに原理が解明されていないヒトの深淵。
「一度見たデータは忘れない、か。前回のロールバック騒動の時も、あんたの勘が的中して事なきを得たっけ……でも今回“MiZARU”が絡んでるとなると、またやっかいだな」
浪漫がそう呟くと、田所部長がむずかしい顔で頷いた。
「ご存知のとおり、MiZARUはクリエイターたちが自分の作品をShikiへ取り込まれないようにするための仕組みだ。下手に規制しようものなら、著作権や表現の自由がどうこうと大騒ぎになる。でも、今回の事態を見るに、MiZARUがShikiにとって“排除不可能な異物”になりつつある可能性があるんだよ」
「そうかもしれませんね」シェスカが田所の言葉を引き取った。「私がチェックしたログでは、MiZARUを何らかの形で“二重化”し、光リザバーメモリを誘発させる事例がじわじわ増えているのがわかります。しかも、その改変痕跡は前回のロールバックよりもさらに巧妙に隠蔽されている。Shikiはこれを“自然な学習ノイズ”として処理してしまうんです」
「まあ、俺もMiZARUについては詳しくないけど、たしかに“複数組み合わせ”たときに起こる不具合という噂は耳にしたことがある。ユーザーの自由を守るための仕組みが、逆にシステムを歪める凶器になるとは皮肉だな」
浪漫は苦い表情で首を振った。
「そうなんです。しかも今度は、前回みたいに“偶発”ではなく、“誰かが意図的に仕掛けている”可能性が高い。私がここ数日調べたところ、光条件や金属反射の角度などを数式的に制御し、Shikiの連合学習系に“ズレ”を持ち込んでいる人為的ログがいくつも見受けられます。おそらく、クラッカーか、あるいは……」
シェスカの声に、浪漫は思わず身を乗り出した。「サイバー・ミューズは、前回“世界を改竄する”かのような動きを見せつつも、実際には完全に暴走はさせなかった。今回はまた別のクラッカーが絡んでいるんじゃないか? とはいえ、彼女だって何を企んでるか正直わからないけど」
田所部長は深いため息をつき、「まぁ、企業としては被害拡大だけは避けたい。前回の騒動でも株価が乱高下し、政府からも叱責されている。Shikiは社会インフラと密接に結びついている以上、二度と大規模ロールバックのようなことがあってはならんのだが……」と顔を曇らせた。
「でも、今回の事態はすでに前回より複雑化しているかも」シェスカが端末に表示された統計グラフを指し示す。「MiZARU使用率がここ数ヶ月で急増しています。特に、いわゆる“独自のアート”を守りたいクリエイターに限らず、一般ユーザーがプロフィールや写真をShikiから遮断するために使い始めている。そんな中で、不正に二重化したMiZARUをかませれば、Shikiの自己進化系が大きく歪められる余地が広がるわけです」
「このままだと世界がまた混乱させられるかもしれない、か」
浪漫は腕を組み、「何か手はあるか?」とシェスカに目で問いかける。彼自身も前回の事件を経て、Shikiの「分散競合防止パッチ」が思わぬ形で隠蔽に使われるリスクを知っていた。今回はその“負の遺産”がまた牙を剥く可能性がある。
「考えられる手段としては、複数のMiZARUが誘発する光リザバーメモリの発生条件を徹底的に解析し、Shiki内部でそこを防御するロジックを入れることでしょう。けれども、MiZARUの特性上、“絶対に検出されない”はずのデータに踏み込む形になるから、単にパッチを入れるだけでは問題を根本解決できません。下手にやれば“表現の自由”を傷つけるとしてユーザーに叩かれるでしょうね」
シェスカは神妙な面持ちで肩をすくめた。
「ただ、あたしにも覚悟はあります。放置すれば、知らないうちに世界が改変され、再びロールバックが起きる危険が高い。“一度見たデータは忘れない”――これはあたしの信条であり、デブリオの最後の砦。だからこそ、MiZARUの多重利用で起きている歪みを、きちんと記録しておきたいんです。何が歪んでいるのかを、皆が自力で照合できるように」
浪漫は深く息をつき、小さく笑う。「やれやれ、また面倒な実験になりそうだ。でも、そういうのは嫌いじゃない。どうせ誰もやらないなら、俺たちが先陣を切るしかないってわけだな」
田所も小さく笑みを返した。「企業の立場からしても、大事件に発展するのは避けたい。渋々だが協力は惜しまないよ。具体的なやり方は、デブリオと宮坂さんの知恵にかかっているが……」
そうして結局、浪漫とシェスカが中心となって“複数MiZARU”の動作検証をするプロジェクトが発足した。今回のゴールは、MiZARUが引き起こす光リザバーメモリの発現条件を徹底的に記録し、同時にShikiの学習系から改竄を確実に検出する仕組みを作ることだ。前回の騒動で浪漫が書いた“差分ログを取るパッチ”も活かせるかもしれないが、今度は問題の焦点がMiZARUの機能そのものにある以上、前よりも繊細なアプローチが求められる。
翌日。浪漫はデブリオの資料室にシェスカとともに足を踏み入れた。高い棚にはホコリをかぶったファイルがずらりと並び、過去の検索エンジンやMiZARUの初期設計に関する書類が仕舞われているという。シェスカの説明によれば、ここにはMiZARUが草創期に議論された技術文書や、光リザバーメモリの原理検証に関する未公開レポートがあるはずだという。
「やっぱり紙ベースってのは便利ですね。Shikiのデータから消されそうになっても、ここにアナログで残ってる限り、あたしは見逃さない」
シェスカは目を輝かせている。浪漫も苦笑しつつ、「検索の消失時代なのに紙の資料だけはあるってか。なんだか変な皮肉だな」と棚を探っている。
やがて、二人は「MiZARU試験運用ログ_Proto_conf」というファイルを見つけた。そこにはメモ書きで「複数適用時の光干渉リスク」「クラッカー介入によるロールバック発生例」など、意味深な言葉が並んでいる。浪漫は手早くページをめくり、興味深そうに目を走らせた。
「……ここにも同じだ。“反射光・日照条件・金属材質”が連動するとき、不自然な自己参照ループが発生しうるって。まるで俺の古びた光リザバーデバイスと同じ現象じゃないか。この弁当箱みたいなやつ、あれも昭和の金属加工が独特で、予想外の反射特性があるんだよな」
シェスカが小さく驚いて振り返った。「昭和の金属加工、ですか? もしかして、それがMiZARUと組み合わさるとShikiの連合学習に干渉する“鍵”になるとか? あり得るわ。そもそもMiZARUは‘Shikiに認識されない’よう作られているから、そこにさらに“認識外の光リザバーメモリ”が噛むと、一種の二重ブラインドが起きるのかもしれない」
「二重ブラインド、ね。そいつは厄介だ」浪漫はファイルをそっと閉じる。
「問題は、これを悪用すればいくらでも世界認識を誤作動させられるってことだ。芸術を守るための仕組みが、逆に改竄の手口になってる。前回、俺がロールバックを偶発的に起こしたときよりも、もっと意図的にコントロールしやすいかもしれない」
二人は視線を交わす。次の段階は、実際に“複数のMiZARUを同時に動作させ、光リザバーデバイスや金属反射を組み合わせたらどうなるか”を確かめるしかない。まるで爆発物を扱うかのような緊張感が漂っていた。
その夜、浪漫は自室に戻り、先ほど持ち帰った資料を読み直していると、SNSの通知音が響いた。画面には“サイバー・ミューズ”からのダイレクトメッセージが届いている。
《聞いたわよ。あんた、MiZARUに手を出すんですって? 正直に言っておくけど、MiZARUは私たち創作者にとって最後の砦。あんたのパッチがいらぬ干渉をするなら容赦しないわ》
浪漫はスマホを握りしめながら、小さくため息をつく。やはりこの女は“世界改竄”を嫌っていながら、同時に“表現の自由”を何より重んじている。その矛盾は前回の事件でも垣間見えたが、今回はさらにややこしい状況だ。
《わかってる。今回も“改竄対策”が目的だ。MiZARUを壊したいわけじゃないし、作品の中身を覗くつもりもない。だけど、このまま放置すれば誰かが意図的にロールバックを誘発し、世界を好き放題に書き換えるかもしれない。それこそ、あんたが一番嫌うパターンだろ?》
数秒後、サイバー・ミューズからの返信。《お説ごもっともね。MiZARUは確かにクラッカーに悪用される余地があるわ。でも、あなたはどうしても“イノベーター側の論理”で物事を考えすぎる。表現者にとっては、システムが暴走しようが知ったこっちゃない、って人も少なくない。自分の作品が守られさえすれば……ね》
浪漫は苛立ちを覚えつつも、抑えて打ち返す。《それで本当にいいのか? 表現を守るために、世界が改竄されるのを見過ごすのか? 下手すれば、自分の作品だって知らない間に書き換えられるかもしれないだろ? 検索も消え、誰もチェックしなくなった社会じゃ、どんな虚偽も通用してしまう》
すると、サイバー・ミューズの返信には少しだけ温度が下がったような気がする。《……だからこそ、私はあなたの動向を見張ってる。あなたが言うように、MiZARUを潰すんじゃなく、不正改変の痕跡を取るだけなら、やる価値はあると思ってる。成功させてみて》
そう言い残して、会話は途切れた。浪漫は複雑な気分に包まれながら、ノートPCの電源を落とす。この先、サイバー・ミューズがまたどんな行動をとるかはわからないが、とにかく「MiZARU破壊」ではなく「あくまで改変検出」に集中すれば、彼女を敵に回さず済むかもしれない。問題は、それが実現できるほどMiZARUと光リザバーデバイスの仕組みを解明できるか、ということだ。
翌朝、浪漫はデブリオの管理室でシェスカと合流し、さっそく“二重MiZARU”の検証に取りかかった。部屋の中央には、2台のMiZARU装置が設置され、それぞれ異なるユーザーのアカウントを守る設定になっている。それだけでも通常は“システムに検出されない”領域を作り出すが、ここに“光リザバーデバイス”を持ち込むことで、さらに複雑な干渉が生じるという算段だ。
「まずは単純に、昭和金属の弁当箱みたいなやつを使って光を反射させてみます。これを2台のMiZARUの間に差し込み、その反射がShikiの連合学習へどう影響を与えるか……」シェスカが端末の設定をチェックしながら説明した。
浪漫は例の黒い円柱型デバイスも同時に起動させ、モニター上にログを映し出す。「俺のデバイスは、一度接続した周辺機器やソースコードを自動取得して動く。MiZARUについても同じように解析しようとするはずだけど、通常ならはじかれる。そこが焦点だ。もし何か微妙なバグが発生すれば、ここに赤い警告が出るかもしれない」
二人はモニターを注視する。やがて、薄暗い部屋の奥から金属反射が起こったのか、弁当箱状デバイスがキラリと光る。同時にログ画面に一瞬、警告らしき文字列が踊り、すぐに消えていく。
《— circular reference of external segment — 》
《— rewriting partial memory — 》
「来たな……!」浪漫が食い入るように画面を見つめる。「確かに自己参照ループが起きてる。Shikiは外部の異常を感知したけど、すぐに上書きして“見なかったこと”にしてるみたいだ」
シェスカは何度か画面をスクロールし、タイムスタンプの欄を指さす。「見てください。わずか0.000097秒ほど時系列が逆行しているように見えるログがある。まるで、ロールバックの断片みたい」
「複数MiZARUのブラインドスポットを狙うと、こんな短いタイムスタンプ乱れを連発して、世界に小さな改竄を積み上げられるってわけか……誰がこんな仕組みを考えたんだよ」と浪漫は吐き捨てるように言う。
シェスカがタブレットに何かを入力しながら言った。「でも、もう少し細かく観察すれば、たとえ0.000097秒とはいえ矛盾は矛盾です。どうにか差分ログを残せないものでしょうか?」
「前回使った“パッチ”を少し改修すれば可能かも。偶然じゃなく‘意図的な光リザバーメモリ誘発’があったときだけ、その前後のログを複製するように書き換えれば……。ただ、その検出キーをどうするかが問題だな。あまりに短時間すぎて、Shiki本体は気づかないようだから」
「うーん、私たちにだけ見える“時間スタンプのゆらぎ”をトリガーにするとか? あ、いっそ、あなたの持ってる弁当箱デバイスのコマンドを逆手に使えばいいかもしれませんよ。あの装置が光を受けるとき、何らかのデータや電流パターンが発生しているはずだから、それをパッチのフックにするんです」
「なるほど……確かに、弁当箱の金属板は昭和特有の合金らしく、予想外の電流を生むことがある。よし、やってみよう」
浪漫は勢いよくキーボードを叩き始め、差分ログ取得プログラムを改造しだした。そばでシェスカが“弁当箱”の内部電流値をリアルタイムでモニターし、光の入射角が変化した瞬間にシステムが反応するようセッティングする。その連動がうまくいけば、ロールバックの断片が起きるたびに記録が残り、クラッカーの改竄手口が明るみに出るはずだ。
数時間後。
「やったぞ……!」浪漫が喜びの声を上げる。モニターには、先ほどまで0.000097秒の差で消えていた改竄痕跡が複数ファイルとして保存されている。しかも、その中には見覚えのないIDや署名のようなものが混ざっている。
「ID: C4D1……? これ、前回の事件でもちらっと見た気がする」浪漫が目を細める。
シェスカはタブレットを操作してデブリオのログデータベースを検索する。「やっぱり。C4D1はかつてMiZARU開発初期に不審なアクセスをした人物(あるいは集団)として記録されてますね。その後も、匿名フォーラムで世界認識改変に興味を示す書き込みが散見されています。サイバー・ミューズとは別系統なんでしょうか。もっと過激なんでしょうか?」
浪漫は眉をひそめる。「こいつが世界を大規模に書き換えたいと考えてるクラッカーだとしたら、今回は本腰を入れて動いてるかもしれない。サイバー・ミューズのように理想やトラウマがあるわけじゃなく、純粋に世界を弄びたいだけの可能性もあるな」
シェスカは深刻そうな表情になった。「もしC4D1が本格的にMiZARUの二重化を利用し、光リザバーメモリでShikiを改竄すれば、もはや誰にも気づかれないまま世界が上書きされるかもしれません。検索が消失し、誰も何も調べない時代……気づける人間がどれだけいるか」
浪漫は大きく息を吐き、「まいったな。またしても世界改竄の危機か。前回、サイバー・ミューズが絡んだ事件ですらギリギリだったのに、今度はより悪質な連中が動いている――ってわけか」と苛立ちまじりに言った。
「でも、希望もあるわ」シェスカが差分ログの一覧を示す。「見てください。私たちが書いたパッチのおかげで、わずかな改竄痕跡とはいえキャプチャされている。C4D1がなにを狙ったか、このファイルを紐解けばわかるかもしれません。ユーザーが再び意識を取り戻して、自分で情報を調べるようになれば、改竄が失敗する余地はあるんです」
浪漫は小さく笑みを浮かべた。「そうだな……。“検索”が戻るかどうかはともかく、これを公開すれば人々に火をつけられるかも。‘世界は変えられ放題ではないし、自分で確かめる術がまだある’ってわけだ」
しかし、事態はそう甘くはなかった。翌日、デブリオには悲鳴のような連絡が殺到した。「行政府のデータベースから過去の文書が大量に消えた」とか、「裁判所のエビデンス記録が記憶と一致しない」とか。どうやらC4D1が複数拠点から同時に攻撃を仕掛けているらしい。MiZARUを二重化したユーザーを乗っ取り、あらゆる場所で小規模な光リザバーメモリを連発し、断片的な改竄を合成しようとしている。
田所部長は青ざめた顔で会議室に駆け込んでくる。「やばい、これ……前回以上の混乱が起きるぞ。もう、あちこちで“何が真実かわからない”という声が出始めてる。まさに検索が消えた現状を突いてきやがったか」
浪漫は差分ログの更新状況を確認しながら、「俺たちのパッチは確かに改竄を検知できてる。でもC4D1はとんでもないスピードで拡散攻撃しているみたいだ。このままじゃ差分ログだけ溜まって、世界のほうがめちゃくちゃになるかもしれない」と歯を食いしばる。
そこへ、浪漫の端末に通知が入り、あのサイバー・ミューズから音声通話が飛び込んできた。スピーカーをオンにすると、彼女の低く冷静な声が部屋に響く。
「大規模改変が始まるわね。あんたたちが差分ログを蓄えたところで、C4D1が社会の大半を混乱に陥れれば、誰もログなんて見ようとしないんじゃない?」
浪漫がすぐに応じる。「だから協力してくれって言ってるんだ。あんたにもメリットあるだろ? こんなふうに世界がバラバラに書き換えられたら、表現どころか現実そのものが崩壊するかもしれないぞ。MiZARUだって安全じゃない」
サイバー・ミューズは短く息をつく。《わかってる。ただ、私には私のやり方がある。C4D1の動向はある程度掴んでいるから、そいつらが主要な改竄ポイントを狙う時刻を逆算した。あと数時間後には、Shikiの中枢にアクセスしようとするはずよ。そのタイミングを狙って私も“クラック”をかける》
「えっ、“クラック”って、あんたもハッキングをするの?」シェスカが目を丸くする。
《ええ。私なりに世界の改竄を阻止する方法を考えた。でも、そのためにはあなたたちの改修パッチもフル稼働してもらわないと困る。C4D1が根こそぎ過去のログを塗り替える前に、差分ログをどこか安全な場所へ転送しておいて。私がShikiの中央サーバーを一瞬混乱させれば、その隙に差分ログを正式アーカイブ化できるかもしれない》
浪漫は呆気に取られながらも微笑を浮かべる。「世界を守るための不正アクセスとは……皮肉だけど頼もしいな。わかった。差分ログのバックアップ先を確保しておく。デブリオだけじゃなく、外部の古いサーバーとか紙の資料とも連携しておいたほうがいいかもな」
「ええ。私たちが紙で資料を持ち続ける理由も、こういうときに生きるわ」シェスカが応じる。
田所部長は複雑そうな顔をしつつもうなずいた。「政府や企業に報告するだけでは間に合わないかもしれん。わかったよ、非常時として見過ごそう。“サイバー・ミューズのハッキング”に協力する形になるのは本来まずいが、ここで世界が壊れたら何もかも終わりだからね」
数時間後。夜の街は、どこかざわついた空気に包まれていた。ネット上では「おかしなデータが増えている」「通行許可証が勝手に失効された」などの報告が相次いでいる。どうやらC4D1が“本丸”に挑む直前の混乱を起こし、社会全体を弱体化させているようだ。
デブリオの会議室では、浪漫とシェスカ、田所部長、そして遠隔で繋がったサイバー・ミューズが待ち構えている。モニターには世界各地のShikiサーバー負荷状況がリアルタイムで表示され、一定周期で負荷が急上昇するパターンが見られる。これはC4D1が複数ノードからMiZARUを二重化して攻撃しているサインだ。
「もうすぐC4D1がShiki中枢へアクセスを狙うはずだ。いったんそこが突破されれば大規模な改竄が起こり、下手すると前回以上のロールバックか、あるいは改竄されたまま世界が上書きされるかも」浪漫は汗をかいた手でキーボードを握りしめる。
「差分ログは準備できたわ。多くの矛盾点が記録されている。でも、それをユーザーに知らせても大半は無関心かもしれない。だからこそサイバー・ミューズの一撃で強制的にShikiを再起動させ、その際に差分を統合して正しい歴史を再構築しようってわけね」シェスカは深呼吸して自分に言い聞かせるようにつぶやく。
部屋のスピーカーからサイバー・ミューズの声。《もうカウントダウンね。C4D1がShikiのコア領域に侵入した瞬間、私も別の経路から干渉をかける。あなたたちは差分ログをアーカイブに流し込んで。同時に、あなたの弁当箱デバイスを仕掛けておいてちょうだい。そいつの“昭和合金”がShikiの書き換えを少しだけ遅らせるかもしれないわ》
「了解。……って、ほんとにそんなことが効くのか?」浪漫は半ば呆れながらも“弁当箱”を取り出して黒い円柱型デバイスに接続する。どうやらサイバー・ミューズは、光リザバーメモリの発生条件をC4D1より先に制御し、逆にShikiのロールバックを妨害できると見込んでいるようだ。
突如、モニターのグラフが急上昇した。C4D1が仕掛けてきた合図だ。世界各地のサーバーに大量のリクエストを送りつけ、複数MiZARUの干渉を最大化している。Shikiは自己進化アルゴリズムを駆動しながら処理に追われ、あちこちで微かなロールバック痕跡が増え始める。
「差分ログ、放出!」浪漫が叫ぶ。
シェスカがデータを一斉に外部アーカイブへコピーする。紙資料の存在意義はここでは限られるものの、少なくとも“検索しない”時代でも“見ようとする人間”がいればたどり着けるような形でバックアップを広範に取っておく。
次の瞬間、サイバー・ミューズがShikiのコアを狙い撃つ。遠隔から大量のパケットを送り込み、連合学習が一時的に“自己再評価モード”へ切り替わるよう仕向ける。C4D1の改竄要求と衝突し、システムがあちこちでエラーメッセージを吐き出す。まるでサイバー戦争の最中だ。
「Shikiの負荷が上限に達しかけてる……また大規模なロールバックが起きるのか!?」田所部長が悲鳴のような声を上げると、浪漫はくぐもった声で応じる。「でも、今回は‘改竄’と‘改竄される前後’の両方が差分ログに取れてる。全部巻き戻すにも、システムはどっちが正しいか判断に迷うはず。そこを突いて、C4D1がコアを改善しきる前に……」
そして、弁当箱がキラリと光を放つ。光リザバーメモリの特性を“こっち”が先に誘発し、C4D1のやり方を逆手に取るのだ。システムはわずかに混乱し、時間スタンプの矛盾が大量に発生するが、同時に“どこかで二重化MiZARUが変な改竄を仕掛けている”事実を浮き彫りにする。
ビリビリと放電するかのようなノイズ音が室内に響き、モニター上のロゴが何度もフラッシュする。そして数秒後――急に静寂が訪れた。Shikiが緊急リセットをかけ、全プロセスを再起動したのだ。
「どうなった……?」浪漫は息を呑む。
モニターに青白い光が戻ると、そこには“再学習フェーズ進行中:差分を統合します”というメッセージが映る。C4D1の意図した改竄は、自動的に衝突ログとして弾かれ、サイバー・ミューズが放ったハッキングは“改竄前”の世界情報を補強する形で統合される。つまり、システムはロールバックか上書きかの選択を迫られ、最終的には“改竄しない”方を選んだわけだ。
「やった……?」シェスカが呆然と呟く。
田所部長は両手で顔を覆いながら、その奥でほっとしている様子。「なんというか、ギリギリだったな……」
浪漫は肩の力を抜き、画面を凝視する。「C4D1の改竄ログは全部捕捉されたかな。これでヤツの攻撃は頓挫したはず。ただ、まだ奴らが消えたわけじゃない。だが、簡単には再発できないだろう」
やがて、モニターの右端に“通信リクエスト:サイバー・ミューズ”と表示される。浪漫が承諾すると、彼女の息遣いがスピーカーから聞こえた。《間に合ったわね……私も正直綱渡りだったけど、どうにか勝ったみたい。あなたたちの差分ログがなければ失敗してた。ありがと》
「こっちもあんたの大胆なハッキングがなけりゃどうにもならなかったよ。ひとまず世界崩壊は阻止できたわけだな」浪漫は薄い笑みを浮かべる。サイバー・ミューズは《ただ、今回の件でMiZARUやあなたの弁当箱デバイスが、ますます危険視されるかもしれないわ。表現を守るための仕組みが世界を壊すツールにもなるって、世間が知ったらどうなるか……》と低く呟き、通話を切った。
システムが再起動を完了すると、Shikiは“自己進化フェーズのアップデート完了”というメッセージを全ユーザーへ案内し始めた。多くの市民は「一時的な障害か何かだろう」と楽観的に受け止めている。だが、デブリオには事後処理の山が残っていた。C4D1により仕掛けられた局所改変は完全には戻り切っておらず、複数の行政データや医療ファイルがいまだ混乱している可能性がある。
「でも、今回の差分ログはちゃんと残ってる。Shikiの自己進化アルゴリズムで書き換えを防ぐように進化する。それに、検索する意欲さえあれば、誰でも改竄された部分を突き止められるんだ」浪漫が言うと、シェスカは微笑んだ。
「そうですね。検索が消えかけた世界でも、“自分の頭で調べたい”人には、このログは必ず役に立ちます。前回の事件の時よりも、多分たくさんのユーザーが‘何かおかしいぞ’と気づいたはず。たとえShikiが“利便性”を提供してくれても、私たちが“探究心”を捨てない限り、世界を完全には歪めさせない」
浪漫は小さく頷き、昭和の弁当箱デバイスを手に取る。取っ手の傷を指でなぞりながら思う。偶然に始まった出来事が、こうして人々の目を覚ます“奇跡”になるなんて、あの頃は想像もしなかった。
「結局、技術そのものに善悪はない。使う人間の意識が問われるだけか……。MiZARUが悪いわけでもないし、サイバー・ミューズが全部悪いわけでもない。誰かが本気で世界を歪めようとすれば、検索が消えた社会ではそれが容易になる。だからこそ、俺たちは疑問を持ち、データを検証し続けなくちゃならないんだろうな」
「ええ、私たちデブリオは、まさにそのために存在していると自負してます。誰も振り返らないような紙資料や、検索エンジン時代のログを地道に守る。それこそが、Shikiの暴走を防ぐ抑止力なのかもしれません」シェスカの瞳は静かに燃えている。
田所部長もくしゃくしゃの髪を直しながら言った。「企業としては、今回の事態を踏まえて何らかの指針を打ち出さねばならないな。MiZARUを潰すような真似はしないが、複数MiZARUや光リザバーデバイスを用いた攻撃は厳罰化する方向で政府と協議するかもしれない。まあ、また頭が痛い話だがね……」
浪漫はやれやれと首を回す。政治やビジネスの思惑には興味が薄いが、一方でこの大混乱を少しでも減らすために方策を講じる必要性は理解している。
「結局、世界は変わり続けるんだろう。今日みたいに検索の文化が部分的に蘇っても、すぐにまた消えるかもしれない。でも、そこに逆説的な進化があるから面白いんだよな」
そう言うと、彼は窓の外を見つめる。ビル群の合間に遠ざかる星空が、一瞬だけ輝いたように見えた。
事件の後、街は不思議な静寂に包まれていた。大騒ぎするほどの障害は起きなかったが、「何かがおかしい」と感じる人が増えつつあるのは確かだ。SNSの一部コミュニティでは“改竄の疑い”を自主的に調べる動きが出始め、そこに浪漫たちが公開した「差分ログ」の話題が登場していた。
「このログを照合すれば、本当に改竄が起きたかどうか確認できるらしい。でも、マジ? 自分で調べるってどうやるんだ?」
「オリジナルの記録は紙にあるとかないとか……デブリオってとこが管理してるらしいぞ」
「そうか、じゃあ問い合わせてみようかな」
検索という行為を忘れかけていた人々が、少しずつ“自力で情報を探す”ことを思い出し始める。政府機関も渋々ながら、ロールバック事件の被害を最小化するため、デブリオの手引きに基づいた“真偽チェック”の手続きを準備し始めた。誰もがいきなり検索のプロになれるわけではないが、疑問を抱く者が増えるだけでも大きな一歩である。
浪漫は改めて自室に戻り、こじんまりとした部屋で弁当箱デバイスと黒い円柱型デバイスを並べて眺める。光沢が剥げ落ちた取っ手を撫でながら、かすかな苦味と安堵を感じる。
「結局、こいつがきっかけで検索は消失し…ロールバック騒動が起き、検索が消えた世界に‘疑問を抱く心’を取り戻す流れになったのかもしれないな……皮肉だけど、偶発的成功と偶発的破壊は紙一重だ」
スマホが震えて、新しい通知が届く。画面を開くと、そこにはまたしてもサイバー・ミューズからの一文。
《C4D1は一旦沈黙したようね。でも、いずれまた別の何かが起こるでしょう。‘検索しない世界’に潜む闇は深いもの。それでも、あなたのパッチがあれば、少なくとも大事にはならないかもしれない。いつか協力し合えるといいわ。》
浪漫は苦笑混じりに返信する。《ありがとう。お前も案外、世界を壊したいわけじゃなかったんだな。まあ、お互い変な意地を張らずに済むなら、今度こそちゃんと連携したいもんだ》
“送信”と同時に、画面は暗転してホーム画面へ戻る。そこに映る時計は、まもなく午前2時を指している。街のネオンがかすかに窓を染め、部屋の片隅のガジェットがうっすらと影を落とす。改めて、ここが“検索しない世界”だと意識すると、不思議な感慨に駆られた。
だが、検索が消えても、人々の意志が消えるわけじゃない。便利を享受しながらも“疑問を持ち続ける”人がいる限り、世界はいくらでも修正可能だ――。浪漫はそう信じることにした。
「Hello, past me. Let’s continue.」
ふと、黒い円柱が青白いLEDを点滅させてそんな文字を表示する。まるで前回と同じメッセージに見えるが、浪漫は微かに笑みを浮かべて画面を撫でる。偶発的成功が導いた奇妙な進化史は、まだ終わらない。いつかまた新たな脆弱性や改竄手口が現れるだろうが、そのたびに“自分の頭で調べようとする”誰かが防波堤となってくれるはずだ。
「そうだな、続けるか……」浪漫は静かに呟き、弁当箱を机の奥にしまい込む。役目が終わったわけではないが、少しの間は安息を与えてやりたい。それに、もしまた光リザバーデバイスを使う日がきたとしても、今度はもっと上手く付き合えるはずだ。
部屋の窓を開けると、都会の喧噪が遠くかすかに聞こえる。ビル群の間から吹き込む夜風が、乱雑な電子パーツを揺らし、不思議な余韻をもたらす。浪漫はあらためて感じる――検索が消えた未来など、誰が予想しただろう。けれどもその世界であっても、機械と人間の物語は続いていく。誰かが手探りで実験し、誰かがエラーを見つけ、誰かがそのエラーを突いて悪用しようとする。正と負がせめぎ合いながら、新しい地平を切り拓く。その過程こそが、技術の進化ではないだろうか。
はたして、サイバー・ミューズはこの先どう動くのか。C4D1の再登場はあるのか。MiZARUは“見ざる”だけではなく“新たな創造”への鍵となるのか。すべては未定だが、浪漫はその不確定性すら愛おしく感じていた。過去も未来も、偶然も必然も、巻き込んで世界は廻る。それでも前へ進む意思があるかぎり、何度だって“Let’s continue”と呼びかけることができるのだから。
遠くで車のクラクションが鳴り、ネオンが淡く瞬く。浪漫は椅子から立ち上がり、ひとまずコーヒーでも入れるかと動き出す。MiZARUや光リザバーデバイス、Shikiといった大きなうねりの中で、自分がどんな一歩を踏み出せるかはわからない。けれども、今はただ“探究する”ことをやめない。それが検索の消失した世界で、唯一この手に残された確かな武器なのだから。
CREDITS
Producer : Nozium
AI Novel : 97%
Expected number of purchaser : N/A
Depend on scenario :