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逆説的の進化史 : キュビズムされる知能

今回は、生体模倣細胞・リザバーコンピューティング・脳オルガノイド──
知能を幾何学的に分解することで、そこに残る非言語的な知能の"かたち"について考えていきます。

「知能」とは、あらゆる分野の先端で追求される、一筋縄ではいかない概念だ。その“かたち”を探ろうとすると、どうしてもヒトや動物の脳という巨大で複雑な体系が頭に浮かびます。しかし近年、生命科学やAIの最前線では、「完全な脳」を再現しなくても、あるいは“脳”という枠組み自体を持たないアプローチでも、驚くほど“知的”なふるまいを発揮する例が次々と登場、というよりは再発見されてきています。

ここでは、生体模倣細胞(Microphysiological Systems; MPS)リザバーコンピューティング(Reservoir Computing)、そして脳オルガノイド(Brain Organoids) という、いずれも既存の進化過程とは一味違う“逆説的”な進化史をたどってきた3つの領域の知能をテーマに、知能をキュビズムし、再構成していくことを試みたいと思います。どれもまったく別物に見えますが、「知能とは何か?」という問いを、根源に据えて分割不可能な個体を分割したときの知能という逆説を考えていきたいと思います。ちょっとSFじみた最前線へようこそ。

普段は参考文献にすべて目を通すのですが、今回は時間がなく、現時点では、参考文献が存在しない可能性があることを先にお断りします。
元の内容自体は、過去に私の経験や専門で取り扱っていた内容のため、そこまで大きな違いはないと思いますが、気になる点や、こちらを参照しようというコメントを歓迎します。


1. 生体模倣細胞(MPS):

小さなチップに宿る「無意識の知能」

MPS(Microphysiological Systems) とは、培養細胞や組織を使い、体内の臓器機能を一部だけ再現したモデル系を指す[1]。いわゆるオルガン・オン・チップから、幹細胞由来のミニ臓器(オルガノイド)まで、ここに含まれるバリエーションは幅広い[2]。普通なら「生物を研究する」といえば、生体丸ごとまたは臓器全体を使うのが常識だ。しかしMPSでは、あえて“部分だけ”を切り出すという逆説的なアプローチが取られる。するとどうなるか?――驚くべきことに、それでも「本物の生体に近い反応」が起きるのだ[3]。

細胞ネットワークが勝手に「判断」している?

身体には脳の介在なしに自律的に動く仕組みが多数存在している。たとえば心臓の拍動は内在するペースメーカー細胞群がリズムを作り出し、腸の蠕動運動は腸神経系(“第二の脳”と呼ばれる)のおかげで働く[4]。これらは意識や中枢司令とは無関係に、細胞レベルの情報交換によって“最適”に動いている。近年、この現象を「細胞・組織レベルの集団的知能(collective intelligence)」として扱う考え方が台頭しつつある[5]。MPSを覗いてみると、たかが数ミリ四方の微小チップのなかで、細胞たちが協調して血管バリア機能を再現したり、炎症を起こしたりする――そんな“ミニ臓器の思考実験”が成立しているのだ[6]。

この「部分だけでも成立する」感は、進化史を逆にたどると納得もいく。生物の各臓器は、大昔から「ローカルな自律性」を高めてきた結果、脳がなくても生命維持できる機能を局所で持ち合わせるようになった、と捉えられる[7]。そこには一種の“細胞的判断”があると言っても過言ではない。自己修復や恒常性維持など、いわば「無意識の知能」が臓器ごとに埋め込まれているのだ。

なぜ「不完全な模倣」がかえって便利なのか

MPSの研究史は、**「生物全体を作らず、一部だけを真似る」**という逆説的な路線で急伸してきた。2010年代に肺オン・チップや肝臓オン・チップが登場した当初、全臓器を再現しないことは“中途半端”に見えたが、蓋を開けてみれば毒性試験や創薬スクリーニングで大活躍[8]。少量の細胞で結果が得られ、動物実験よりも人間に近いデータが得られる――この部分性はむしろアドバンテージだったのだ[9]。
進化の視点から見れば、生物は全体としては極めて複雑だが、その複雑さは「部分的機能の集積」で成り立っている。心臓オン・チップを動かすだけで、拍動や薬剤応答を調べられるのは、生物が臓器単位でもある程度完結するよう進化してきた証拠かもしれない。全てを網羅しなくても局所の自律性で本質が見える――これこそMPSが教えてくれる知能の逆説だ。


2. リザバーコンピューティング:

物理現象×身体性が生む「並列動的知能」

リザバーコンピューティング(Reservoir Computing)”という言葉を耳にすると、多くの人は「ニューラルネットワークの派生?」と一瞬ピンと来ないかもしれない。だが、この手法こそが身体性知能(Embodied Intelligence)の要領を取り入れ、物理現象そのものを計算に活かすという大胆な逆説を実現している[10]。

“身体=コンピュータ”:柔らかいロボットが勝手に学習?

リザバーコンピューティングの特徴は、内部(リザバー部)の複雑な結合関係を「固定」したまま、出力層だけを学習する点にある[11]。これを物理系に適用すると、たとえば“水の波紋”や“ゴムのたわみ”といった自然現象が自動的に情報処理を担ってくれる。外から見れば、何やら「物体の変形パターン」を読み取るだけで、入力信号を分類したり予測したりできるのだ[12]。
東京大学の研究者たちが、タコの触腕を模したやわらかい構造体をリザバーとして利用した実験は有名だ。柔軟体にセンサーを埋め込んでおき、入力刺激によって変形したときのパターンを収集・学習する。結果、ロボットの本体側は大がかりな制御を行わなくとも、軟体自身が「並列動的な記憶・応答」をしてくれるというわけだ[13]。
これは脳のように高度なアルゴリズムを詰め込まなくても、身体が持つ物理特性が勝手に「コンピュート」してしまうという、きわめて進化論的なアプローチといえる。自然界を見れば、軟体動物が環境に適応するとき、脳ではなく腕や外套膜が部分的に自律制御する例が多数ある。リザバーコンピューティングはまさにそんな“身体が自動処理をする” 原理を工学的に取り入れ、電力や学習コストを最小化しているのだ[14]。

脳との収斂進化? ランダム結合が生む“混合選択性”

実は、リザバーコンピューティングと脳の並列動的計算には“収斂進化的”な類似があると指摘されている。哺乳類の大脳皮質ニューロンは、単に刺激に応じるだけでなく、文脈や過去の状態まで取り込んで複雑な反応(混合選択性)を示す[15]。これを人工ニューラルネットで再現しようとするとき、ランダムな再帰結合だけでも意外と似たパターンが出せることが分かったのだ[16]。
加えて、脳以外の生物でも分散した神経系や細胞ネットワークによって“場当たり的”に高度な課題を解く例が見つかっている。タコの腕はその典型で、腕単体で環境情報を処理しつつ本体脳と協調する[17]。粘菌や植物の根も、脳を持たないのに迷路の最短経路を探索するなど驚くべき行動を示す[18]。こうした分散並列処理が時空間パターンを巧みに用いていることこそ、リザバー概念と通じるポイントだ。生物進化の歴史が到達した知的戦略に、私たちはリザバーコンピューティングで“奇しくも同じアイデア”を発見したのかもしれない。


3. 脳オルガノイド:

ミニブレインが問いかける「スケールダウンの知能」

最後は、人間の脳を“ミニチュア化”したかのような脳オルガノイドだ。幹細胞から作る球状の培養物で、数ミリのサイズにも関わらずニューロンやグリアが組織化し、自発的な電気活動を示す[19]。「ミニブレイン」などと呼ばれているが、誤解のないように言うと、現在のところヒト並みの知能がそこに芽生えているわけではない。ただし、その未熟な回路が見せる発達パターンや可塑性は、胎児脳の初期段階を彷彿とさせ、将来的な“逆説”を予感させる。

小さくても勝手に“学習”する?

脳オルガノイド研究の先端では、電気刺激やセンサーと結合させ、外部環境からの入力を受けさせる実験が進みつつある[20]。豪州のスタートアップが発表した「DishBrain」では、オルガノイドを電極アレイに載せて卓球ゲーム「Pong」を学習させるという試みに挑み、AI寄りのコミュニティでも大きな話題を呼んだ[21]。鍵は、オルガノイド内の神経回路が非線形ダイナミクスを備えており、短期的な“メモリ”を形成できる点。つまりリザバーコンピューティング的な原理で計算を担う可能性が指摘されているのだ[22]。脳が丸ごとでなくとも、ごく一部の局所ネットワークからさえ学習や予測が引き出せる。これは“スケールダウンした脳”という逆説にとって極めて象徴的な成果と言える。

もちろん、オルガノイドは血管がなく、大きく育てば内部が酸欠になるという物理的制限があり、感覚器も身体も無いので現実世界とのやりとりはごく限られている[23]。そう考えると「意識を持つ」とまではいかないかもしれない。だが、サイズが縮小され環境入力が乏しいにもかかわらず、ニューロンは自律的に回路を形作り、発火パターンを洗練していく。その潜在能力はまさに「脳のミニチュアでも“知能の片鱗”が成立する」ことを物語っている。将来的に複数のオルガノイドを接合した“アッセンブロイド”で大規模ネットワークを作る構想や、「OI(Organoid Intelligence)」と呼ばれる国際プロジェクトも立ち上がりつつある[24]。もし血管化や外部センサーを接続する技術が進めば、「小さな脳が自分で環境を学習し、意思決定する」 なんてシーンも、そう遠くないかもしれない。


キュビズムする知能

生体模倣細胞(MPS)は“臓器全部”を再現しなくても細胞同士が自律的に機能を生み出し、リザバーコンピューティングは“脳のように精緻な回路”を組まなくても身体や物質のダイナミクスを計算に転用し、脳オルガノイドは“小さなサイズ”ながら神経活動を立ち上げ学習の萌芽さえ示す――。この3つが示すのは「知能」を生む鍵は、“フルセット”や“大規模化”ではなく、むしろ部分性や局所性に潜む逆説的な創発力かもしれないということだ。

進化を振り返ると、生物界は必ずしも“大統一”を目指してきたわけではない。むしろ、多細胞レベルの部分的自律や、神経系の分散制御、身体そのものを通じた情報処理など、多岐にわたる実装が独自に生き残ってきた。そこで“全体像”ではなく“部分”を素直に取り出したほうが、かえって大きな発見に繋がる――この戦略が21世紀の知能研究で急浮上しているのは、ある意味で生物界の逆説がテクノロジーへ波及したとも言える。

たとえ脳のような壮大な有機体を作らなくとも、細胞集団や物理ダイナミクスから知能的現象が創発する様を目の当たりにすると、「知能の定義とはいったい何なのか?」という根源的な疑問を突き付けられる。そこでは「より小さく、不完全」であるほど、むしろシステムの本質が観察しやすいという皮肉がある。

幾何学な知能が見えるたびに、私たちは幾何学だけでは表せない何かをそこに探してしまうのかもしれない。

参考文献:
[1] Organ-on-a-Chip Development, Nature Reviews, 12(3), 2020.
[2] Clevers, H. et al. “Organoids: Avatars for Personalized Medicine,” Cell, 165(7), 2016.
[3] Ingber, D. E. “Developmentally inspired strategies to engineer organ chips,” Cell, 185(18), 2022.
[4] Gershon, M. D. ‘The Second Brain: A Groundbreaking New Understanding of Nervous Disorders of the Stomach and Intestine’, HarperCollins, 1999.
[5] Levin, M., “Bioelectric Signaling: Reprogramming Cells and Tissue Patterning,” Current Opinion in Genetics & Development, 57, 2019.
[6] Zhang, B. et al. “Microfluidic Organ-on-a-Chip Platforms and Biofabrication,” Bio-Design and Manufacturing, 2(1), 2019.
[7] Davies, J. A. “Mechanisms of Morphogenesis,” Academic Press, 2013.
[8] Huh, D. et al. “A Human Disease Model of Drug Toxicity–Induced Pulmonary Edema in a Lung-on-a-Chip Microdevice,” Science Translational Medicine, 4(159), 2012.
[9] Low, L. A. et al. “Novel Advances in Microphysiological Systems,” Pharmacology & Therapeutics, 220, 2021.
[10] Jaeger, H. “The ‘Echo State’ Approach to Analysing and Training Recurrent Neural Networks,” GMD-Forschungszentrum (2001).
[11] Maass, W. et al. “Real-Time Computing Without Stable States,” Neural Computation, 14(11), 2002.
[12] Nakajima, K. et al. “Exploiting Short-Term Memory in Soft Body Dynamics as a Computational Resource,” Journal of The Royal Society Interface, 15(139), 2018.
[13] Nakajima, K. “Physical Reservoir Computing—An Introductory Perspective,” Japanese Journal of Applied Physics, 59, 2020.
[14] Hauser, H. et al. “A Musculoskeletal Model of an Octopus Arm,” Biological Cybernetics, 2012.
[15] Rigotti, M. et al. “The Importance of Mixed Selectivity in Complex Cognitive Tasks,” Nature, 497(7451), 2013.
[16] Sussillo, D. & Abbott, L. “Generative embedding for model-based classification of fMRI data,” PNAS, 106(51), 2009.
[17] Gutfreund, Y. et al. “Organization of Octopus Arm Movement,” PNAS, 95(9), 1998.
[18] Tero, A. et al. “Rules for Biologically Inspired Adaptive Network Design,” Science, 327(5964), 2010.
[19] Lancaster, M. A. et al. “Cerebral Organoids Model Human Brain Development and Microcephaly,” Nature, 501(7467), 2013.[20] Giandomenico, S. L. & Lancaster, M. A. “Probing Human Brain Evolution and Development in Organoid Cultures,” Current Opinion in Cell Biology, 61, 2019.[21] Kagan, B. J. et al. “In vitro neurons learn and exhibit sentience when embodied in a simulated game-world,” Neuron, 110(21), 2022.[22] Trujillo, C. A. et al. “Complex Oscillatory Waves Emerging from Cortical Organoids Model Early Human Brain Network Development,” Cell Stem Cell, 25(4), 2019.[23] Pham, M. T. et al. “Generation of Human Vascularized Brain Organoids,” Neuroreport, 31(5), 2020.[24] Muotri, A. R. & Gage, F. H. “From Spheroids to Brain Organoids: The Next Frontier,” Cell, 185(1), 2022.

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