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デイミアン・チャゼルと狂気の代償

Le vent se lève, il faut tenter de vivre.

ポール・ヴァレリー「海辺の墓地」

つい先日、デイミアン・チャゼル監督作品「バビロン」を見た。「なんだかわからないがとにかくすごいものを見た」という「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」を見たときと同じ感想を何かしら言語化したいと思った。「セッション」「ラ・ラ・ランド」「ファースト・マン」そして「バビロン」、チャゼル作品には「夢への狂気」と「払われる代償」というテーマが通底する(このこと自体はよく指摘されるし、自明でもある)。本稿では上記の4作品について思うところを書く。

セッション

デイミアン・チャゼルの名を世界に知らしめた作品である。チャゼル自身も(映画ほどではないだろうが)高校のジャズバンドで似たような体験をしたらしい。「偉大な」ジャズドラマーになるため、パワハラ親父のしごきに耐えていくが……という話だが、率直にいうとこの映画はあまり好きではない。一人でいくら速く正確にドラムを叩けたところで、全体として合っていなければ意味がないと思うからだ。もしかしたら、夢というものの独りよがりさを示しているのかもしれない(独りよがりであることも夢の定義に入る、ともいえる)。この時点でチャゼル監督の映画観、テーマは完成している。

ラ・ラ・ランド

恥ずかしながら「バビロン」を見た後に見た(「バビロンは汚いラ・ラ・ランドだ」という感想を読んだ)が、なるほどポップでビターで「ショービジネスもの」で、賞を獲るのも納得だな、と思わされた。ミュージカルが苦手なので完全には評価できない(評価する目を持たない)が、ショービジネスの残酷さ、夢の犠牲になる愛、走馬灯による喪失の演出など見るべき場所は多い。プロローグとエピローグの高速道路の演出に代表されるように、さりげない表現を効果的に使うのが上手いのかもしれない。他の作品でもそうだが、「人への愛は夢への愛の上位には来ない」という点は貫かれていて好感が持てる。

ファースト・マン

4作の中で唯一「ショービジネスもの」ではないのだが、「夢への狂気とその代償」という点では最もソリッドに描き出されている作品だ。寡黙で冷静なニール・アームストロングをライアン・ゴズリングが好演している(ブレードランナー2049の「K」っぽさもある)。この作品でも、(ニール/アメリカが抱く)夢と代償について提示されている。

「俺たちは病院にも行けない、明日の食料も買えない。だが、白人は月を目指す」

ファースト・マン

ニールが亡き娘のブレスレットを漆黒の宇宙空間に捧げるシーン、

そして月から帰還したニールと妻のジャネットが互いの存在/愛情を「ガラス越しに」確かめ合うシーンは印象的だ。

後者はこの後の二人を暗示していて、やはりメタファーが綺麗だと感じさせられる。静かでエモーショナルな一本で、4作の中では一番好きだ。

バビロン

興行収入的に爆死し賞レースからも(チャゼル自体は)見向きもされないという点で文字通りの「バビロン」「クソ映画」「汚いラ・ラ・ランド」と見做されている本作だが、僕は結構好きだ。同じメロディーでアレンジを変えて流れ続ける爆音のサウンドトラック、慣れない舞台メイクでファンデを塗りすぎてハーレイ・クインのようになっているマーゴット・ロビー(これはオマージュだと思っているが、どうだろうか)、夢を諦められず消えてしまう人/夢を諦めて生き延びる人、狂気のトビー・マグワイア(あのシークエンス要る?)、そしてデイミアン・チャゼルの集大成ともいえるマニーが見た「映画」など、印象的な部分は多い。

重要で長く続くものの一部、より大きなものの一部になりたい

バビロン

マニー役のディエゴ・カルバは本作がハリウッドデビューらしいが、本作で「重要で長く続くものの一部、より大きなものの一部」への第一歩を踏み出した。確かな演技力もそうだし、とにかく表情がいい。本作自体はデイミアン・チャゼルの墓標になる可能性もあるが、「長く続くもの」への道を示したといえる。

最後に

夢を追うこととそのために(他者が)払わされる代償という点で、宮崎駿「風立ちぬ」にチャゼルと同じテーマを見ることができる。チャゼル作品のほうが夢を追う本人に代償を強いているので、ストーリーテリングとして誠実かもしれない(現実を描いているかどうかでいえばファンタジー寄りかもしれない)。
クリストファー・ノーランやデヴィッド・リーチのように、デイミアン・チャゼルは監督ドリブンで映画館に行ってもいいかもしれないと思わされた。僕はVtuberではないが、興味があれば「ファースト・マン」だけでも見てみてほしい。

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