経歴(ちょっと長め) #2
自分探しに海外へ、なんて。
基本的に無計画、いきあたりばったりな性格です。高校時代から身体のことに興味があったことは先程かかせていただきました。いろいろ調べてこれだ!と思った職業が理学療法士。なぜ高校のときに調べなかったのか、後悔だらけの人生です。
どうせ学ぶなら海外のほうが今後の人生に活きる。そう思ったら突っ走る。なにも調べずにオーストラリアへ旅立ちます。(調べろよ)
オーストラリアにあるアデレードというシドニーなどに比べて比較的日本人が少ない都市。
2014年12月6日、この地に降り立つ。日本からの食べ物を持ち込み早速検疫検査で捕まります。
難を逃れて3日目、当初の計画は6ヶ月間入学準備用の学校に通いそこから理学療法学科への入学。わくわくしながら大学入学の情報を聞きに大学の窓口に。そこで耳にしたのは理学療法学科への留学生枠は2年間ありません、と。
衝撃の事実に愕然とする他ありませんでした。(だから調べろよ!)入国して数日で無知、無計画、馬鹿野郎な自分を見つけたのです。
人生を繋いでくれたのはサッカー
さて、入国早々こんな珍道中どうしたものか。おめおめと帰るなんてできるわけもなく。(お母さんが手紙書いてくれてて、飛行機の中で読んで泣いたし)
どうやらこの国ではそれなりの力があればサッカーでお金もらえるらしいと聞いたので、片っ端からメール、電話をしました。下手くそすぎる英語で。想いは伝わるもので2チーム練習に参加させてもらいました。
結局カテゴリーのより高いチームと契約させてもらうことになり無事収入源を確保。機会をくれたJimとNeilには感謝です。今もやりとりしてます。(いつか恩返ししなければ)
この土地では理学療法士の地位が高く、ぼくのチームには幸運にも理学療法士が2人いたので学校のことや理学療法のことをたくさん聞けました。これはこれで今に繋がっていると思います。
ここでの最大のテーマは自分が知らない文化・コミュニティにどう入り込んでいくか、でした。サッカークラブはそれぞれイタリア系のチーム、ギリシャ系のチームなどどこの国からこの地に来たのか、でコミュニティが出来上がっています。そして例えば同じギリシャ系のクラブ同士などの試合はダービーと呼ばれとても白熱します。みんなそのコミュニティをとても大事にしています。核家族化していて近所付き合いも疎遠になっている日本の考え方とはまるで違います。このようなコミュニティ形成が乏しい日本ではやはり介護や福祉の部分であらゆる問題が起こっていると感じられます。
そんな日本と外国の違いを感じながら結局2年後に日本に帰国することになります。
(オーストラリアでは手術のため入院したり色々ありすぎたのでまた違う機会に語ります。)
すべては興味・関心から
帰国後、理学療法士養成校として歴史ある専門学校に入学します。29歳の年。面接では「暗記することが多いけどどうですか?」と聞かれたことをよく覚えています。N先生。確かに現役の若い子たちに比べると暗記力は落ちると思われても仕方が無いですね。高校では赤点もとったことあるし、大学は単位ギリギリで卒業だし(笑)
でもね、人って興味があることに熱中するととんでもないチカラを発揮できるんですね。
1年生の成績はオール優(成績優秀者で学費半額免除をいただく)。2、3年は1つだけ良がつきオール優は取れなかったけども「やればできる!」を体現してやりました。
ちなみにぼくの試験勉強の方法はペンは使わない。ひたすら教科書を読む。です。国家試験もこのスタイルなので、理学療法士国家試験の必須本「クエスチョン・バンク」は綺麗なままのため試験が終わったその日に試験問題用紙を添えてメルカリに出品して即売れました。(笑)
ここでとにかく言いたいことは、何事も興味・関心を持つこと。ひたすらに打ち込むこと。そして実践あるのみ。ということです。きっと何かが変わります。無関心は死に値します。好きこそものの得意なれ。