経歴(ちょっと長め) #1
幼少期から就職するまで
神奈川県愛川町という人口3.9万人ほどの小さな町に3人兄弟の末っ子として両親に育ててもらいました。
愛川町はかつて絹糸が有名でした。高度成長期に内陸工業団地ができたことによって流通や機械工業が盛んになったそうです。あまり知られていないかもしれませんが、とてもユニークな色合いで、とてもいい匂いのする石鹸で有名なL⚪︎SHさんの工場があったりもします。今は南米からの移住労働者が多くサッカーが盛んな町に変化を遂げました。
そんな町で2人の兄の影響でサッカーを始め、サッカーしか知らない少年へとなり、高校までずっとサッカーをして暮らしていました。中学・高校とサッカーの全国大会を経験させてもらいました。全国大会の舞台では出場できませんでしたが(笑)
中学生の頃は背も小さく細かったのでまあしょうがないなあとは思っていますが、高校の時の全国大会(1つ上の代が出場。コーチに試合出られないなら神奈川残って練習してます、と直訴しました笑)に関しては納得がいっていないのが本音です。(笑)でもこういう不完全燃焼感というか後悔というのが実は大事なのかもしれません。結局今もサッカーを続けていたりしていて、健康的だと思います。
不良大学生そして市役所への就職
そんなサッカーしか知らず勉強も全然しなかった高校生活のツケでしょうか。自分が何になりたいのかもわからず、一応ヒトの身体のことに多少の興味がありつつも当時はなんとなくスポーツ業界で働くというと鍼灸師さんとしてトレーナーになる。みたいな情報しかなかったもので(何も調べていない自分が悪いのですが)、そこにワクワク感もなく結局はマンモス4年制大学の経済学部経済学科に入学をします。
こんな感じでなんとなく入学した大学ですが、案の定無気力でバイトもせず。ミクロ経済学・マクロ経済学・ゼミと経済学部生なら99%必修と言える科目を履修せず、学校に行っても講義は聞かずに寝てるか出席だけピッてして視聴覚室みたいなところで映画を見る。というお手本のような不良大学生っぷりを2年半続けるのでした。本当に無駄な時間を過ごしていました。今はこの逃した講義全部丸ごと勉強したい気持ちしかないです。お父さんお母さんごめんなさい。
今同じようなことをしている学生のみなさま、ここから抜け出すには一筋縄ではいきませんよ(笑)でも今変わろうとしないと同じ後悔を絶対します。どうしますか?
とはいえ大学を卒業したら就職をするというのが世の中の流れです。そこでお金に困らないだろうというこれまた安易な考えで公務員という道を志します。うちの大学では確か安く?無料で?どっちか忘れましたが外部講師による公務員対策授業が受けられたのでそれに申し込み、その時ばかりは必死に勉強しました。(お金払ってくれてたらごめんなさい、お父さんお母さん。)
逃れられない就職という壁を乗り越えるためには多少は努力ができたのでしょうか、なんとか試験を合格して晴れて公務員の道を歩き出します。
公務員のお仕事と人生を見直すきっかけをくれた人
配属されたのは片瀬市民センターという江ノ島がある地域を管轄する出張所てきなところ。窓口やったり地域の防災関係やったり蜂の巣駆除したり、江ノ島内にある消火器の本数数えたり(笑)ほんとに色々やらせてもらいました。でも全体的になんかこう、熱を帯びなかったんですよね。
で、1年目の年度末に東日本大震災が起きるんですが、それと同じような時期に自分の人生にとっても重大な出来事が起こっていました。お父さんの肺に癌が見つかったという知らせ。そしてもう治らないでしょうというお告げ。それはお父さんがこの世からいなくなるということを意味していました。
わたしにとってはとにかく強いお父さん。段々と痩せていく姿、闘病して1年もたず。闘病中はほぼ毎日片道1時間半かけて病院に行って顔を見て話をして、一生懸命自分が納得できるような形で見送りたいと努めていたものの、いざ本当にいなくなると喪失感はすごくて、自分はこのままでいいのかとか考え始めます。この熱のない仕事をずっと続けていていいのか、、がこの時の最大のテーマだったように思います。
でもこの時はまだ「自分」の人生しか考えていなかったので、きっと自分勝手な仕事の仕方と自分勝手な決断をしていたんだと思います。
2年後、公務員を辞めます。