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じゅうににん
初、外部脚本を承った話です。
普段、タイトルは何がいいだろうか、って考えてから書き始める時もあるし、まずは核となるセリフを決めてから物語を膨らませて、タイトルを決める時もある。
舞台「十二人」のタイトルは出演者の数はだいたい何人ぐらいがいいかな?と聞いた時の人数が十二人だった。十二人。これでいこう。タイトルが決まる。内容を考えるにあたり、十二人の怒れる男が浮かぶ。議論劇がよいかしら。十二人。使徒の数。誰かが裏切る話がいい。演出がサスペンス物がいい、と言われたのでちょうどよく。
ぼくは善悪の境界線を引くのが苦手で、人は良い部分と悪い部分が混在しているものだと思っていて。友達の友達は友達ではない、というか。
誰かにとってこの上なく馬が合い仲が良くとも、自分にとっては苦手で馬が合わない人がいる。
同じように誰かにとっては命の恩人であっても、別の誰かにとっては恨んでも恨みきれない相手であったりする。その人は悪人か。善人か。
「十二人」のテーマは「誰かにとっての救いの神は誰かにとっては身を切り裂く悪魔」となっています。
人を見定めようとしても、ぼくに見せてくれる顔と、他の人が話す顔が違うことがあり、「噂話を信用するな、自分の目で見て判断しよう。」というのも難しいよなと思う。自分の目にうつる姿も、その人の一側面でしかない。
十二人は場所が殆ど動くことはないので殆どが「他人と接する時の顔」しか見せない。けれど関係性の中で、この人にしか見せない顔。言わない話というのが浮かび上がったらよいな、と脚本を書かせていただきました。一側面で人を捉えることなく、多面的な見方をして生きていきたいところです。