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ファミレスにいて、昔と今を思い出した話
近所のガストはいつも空いている
いつも行くわけではない。本当に家で何もできないと思った時に行くのだ
家族で行ったファミレスの話
私の思い出のファミレスといえば、ジョイフル
関東、特に東京には少ないからか印象が薄いけれど、ガストやバーミヤン、デニーズといったよく見るお店よりもずっと思い出深い
親の運転する車に乗って、少し遠くに出かけた時、帰り際にいつも寄るのがジョイフルだった。もしくは、ローカルのうどん屋さん
私にとって外食とはいつもチェーン店で、ローカルなお店に行くとしたらそれは知り合いのお店に限定されていた。
近所に家族でよく行った中華料理屋もあったし、兄弟がお世話になった焼肉屋もあるけれど、それは本当に稀なことでいつもは安くて家族で行きやすいチェーン店だった
外食に行く時はやっぱり特別で、今でも覚えているくらいに特別だったと思う
子どもながらに、親が苦労していることも知っていたし、遠慮も少ししていたようにも思う。とはいえ食べてしまうのだけれど。
友だちといろんな話をしたファミレス
高校を卒業した後に、大学に行って、そこで新しい友達と出会う
みんなで何かを食べる時は、いつもラーメンかファミレスだった
何人かで騒いでもいいし、ドリンクバーを頼めば延々話しているだけで楽しかったと思う
私にとっての青春はあまりなかったように思うけれど、でも例に漏れずファミレスは私にとって学生時代の思い出の場所であったのだ
先輩へのプレゼントどうする?とか、次の試験の範囲間に合ってる?とかそういう割と真面目なことが多かったけれど、それでもよかった
ファミレスに行かなくなった
自分で稼ぐようになって、ファミレスにはなぜか行かなくなった
家族連れが嫌いなわけでもないし、安いお店が嫌いなわけでもない
でもなぜか避けるようになっていった
あれはなんだったのだろうか
ご飯を食べに行くとして、いつもちゃんとしたお店を予約しようとしたり、少し高いお店を選んでみたり
きっと見栄を張るいたのだろう、今ならわかる
なんで見栄を張るようになったのかは、わからない
お金がそうさせたのか、環境がそうさせたのか、私の過去がそうさせたのかはわからない
でも確かに、私は見栄を張るようになっていたのだ
今となってはくだらない、とそう思う
やっぱりファミレスは私の身の丈にあっている
久しぶりにファミレスに行くようになって、やっぱり身の丈に合っていると感じる
いろんな人たちがいろんな話をしているし、隣の席に座ったお子さんが落ち着きがなくて暴れ回ることもあるけれど、それもまた楽しさの一部なのだ
綺麗なお店や高いお店は整いすぎている
今はそう思う。人工的すぎるし、人が選ばれすぎている
そういうお店が悪いわけでは全くない
ただ、そういうお店に行きすぎると私はいろんなものが見えなくなっていく
ご年配の方々がどんなことを感じているのか、家族連れの方々がどんなことを感じているのか
自分から遠いけれど、確実にそこにいる人たちのことがわからなくなっていく
私の本質はそんな選ばれた場所にいるような人間ではないのだ
もっと雑多で、訳がわからなくて、一生交わらないような人たちとも近くに座りながら時間をシェアする、そんな感じでちょうどいいのだ
世の中にはいろんな人がいて、いろんな背景があり、いろんな難しさを抱えている
そういうノイズから目を逸らさないようにしたい
そんなたいそうなことをファミレスにいながら思ったのであった